襟櫛の後悔
駆け付けた俺が見たのは、愕然とする光景だった。
山田の頭部が水に覆われていて、ブッチデヨやストラと対峙していて絶体絶命の危機に陥っていた。
「何で逃げてないんだよ…」
京通が無惨に真ん中で割れて転がっている。
それを横目で見やりながら、山田の隣に達する。
「大丈夫ですか?」
水の中で空気を出してボコボコとなるだけで、山田の返事は聞く事が出来ない。
「とりあえず、カズト氏と合流しましょう」
そう提案し、山田を抱えて走る。
本来ならば、ブッチデヨやストラを殺したいところだったが、何も出来ない山田を守りながらでは厳しい気がしたのだ。
エレベータは閉じ込められる可能性があるから論外として、階段では迷わずに上へと向かう。
それは水が低きに流れるのを見たからであり、上に行くしかなかったという事情がある。
6階まで来て一瞬の半分くらいだけ、躊躇する。
だが、すぐに屋上を目指す。
残念ながら、6階が重要だったのは昨日までの話だ。
今はもう、この館内のどこにだって『灰色』は出現してしまい、そこから敵が湧き出してくるのだから。
屋上への扉は意外にも施錠されていなかった。
そこを潜り抜け、俺はようやく、抱えていた山田を下ろした。
今、彼が喋れないのは勿論、知っている。
しかし、正対した時、当然のように突いて出た言葉があった。
「何で逃げなかったんですか?」
きっと、山田は謝ろうとしたのだろう。
口を開きかけ、頭部を覆う水を思い出したのか、唇を噛んだ。
そして、彼は深々と頭を下げるに至った。
「頭を上げてください」
俺の知る山田はプライドの高い男だ。
その彼が頭を下げだ意味が分からないわけではない。
そして、俺の言葉が聞こえなかったかのように頭を下げ続ける意味だって分かる。
「過ぎた事です。これからの事を考えましょう、山田氏」
ようやく、頭を上げる。
「とにかく、まずは山田氏の首から上にある水を何とかしない事には、特異性も使えないですし、会話も交わせませんね」
山田が慎重な面持ちで頷く。
「それをやったストラを殺すか、カズト氏に会うか…」
2つの方向性を示しながら、俺はすでにストラを殺す方に傾いていた。
山田を守りながら、ストラを殺す。
俺にはそれが出来るし、自信があった。
それに、俺はこの状況にカズトを巻き込みたくなかった。
彼は巻き込まれる事をこそ、望むだろう。
それでも、俺は巻き込みたくなかった。
「今から質問しますから、山田氏の意思を教えて下さいね。ストラを殺しに行くべきだ、どうですか?」
願っていた、祈っていた、山田がこちらを選んでくれる事を。
それなのに、彼は首を横に振った。
すなわち、拒否だ。
「何でですか?ストラを殺してしまえば、山田氏の特異性は復活し、そこからは2人で青岸とブッチデヨを殺せばいい。カズト氏を巻き込まずに済みます!」
熱く主張して、それなのに、再び、山田は拒否する。
「じゃあ、山田氏はカズト氏と再会した方が良いって言いたいんですね?」
ここで俺は、再会っていうよりは合流か、なんて心のどっかで冷静に考えながら、そういう自分が好きになれなかった。
諦めが心に陰を落としていく。
山田が大きく頷き、失望が生じていく。
「カズト氏を巻き込んで、それが正しいなんて俺には思えませんよ…」
山田は俺をジッと見据えてくる。
「分かりましたよ、山田氏がそれで正しいって言うなら、僕は我慢しますよ…」
支離滅裂だ。
山田は何も言っていないし、動揺で俺の一人称までもがブレる。
情けない、情けなすぎる。
拒否されたくなかったのなら、最初から複数の方向性なんて出さずに、自分の意思をシンプルに伝えれば良かったのだ。
後悔が、残る…。