山田の説得
上へ上へと、襟櫛は進んでいく。
抱えられたまま、その考えは理解していた。
水は低きに流れていて、それから離れるには上を目指すしかなかったのだ。
どうにも、喋れないのは不便だ。
相手の考えを質す事が出来ず、察するのみになってしまうから。
6階まで達し、だが、襟櫛は足を止めない。
なるほど、どうやら、目的地は屋上というわけか。
屋上で下ろされ、襟櫛と正対する形になる。
先に、というよりは自分が喋れないので、一方的に口を開いたのは襟櫛だった。
「何で逃げなかったんですか?」
まあ、勿論、そうなるだろう。
襟櫛はカズトと自分を逃げられる状態にしてくれたのだ。
それなのに、自分はのこのこと戦場に戻り、窮地に陥ってしまったのだ。
襟櫛が駆け付けてくれなければ、ほぼ確実に殺されていただろう。
謝ろうとして口を開きかけ、それを発する事も出来ない自分に苛立つ。
今、自分は完全に足を引っ張るだけの存在になっている。
襟櫛だけならば、窓から飛び降りても、何とかなったに違いない。
しかし、特異性を失った自分を抱えていたから、彼は屋上まで来る事を選択せざるを得なかったのだろう。
黙ったまま、頭を下げる。
今はこれしか出来ない。
千の感謝も、万の謝罪も、全て込めたつもりだ。
「頭を上げてください」
言われて、だが、頭を上げるわけにはいかなかった。
「過ぎた事です。これからの事を考えましょう、山田氏」
ようやく、頭を上げる。
「とにかく、まずは山田氏の首から上にある水を何とかしない事には、特異性も使えないですし、会話も交わせませんね」
頷く。
「それをやったストラを殺すか、カズト氏に会うか…」
ストラを殺すのは無謀だろう。
襟櫛は自分を守りつつ、ストラと、さらには青岸やブッチデヨと戦わなくてはならない羽目に陥る。
まあ、自業自得だから、究極的には自分が殺されるのは仕方がない。
しかし、巻き込まれて襟櫛まで殺されてしまえば、目も当てられない。
「今から質問しますから、山田氏の意思を教えて下さいね。ストラを殺しに行くべきだ、どうですか?」
先に問い掛けてきた以上、カズトと再会する事よりもストラを殺す方が、襟櫛の本命なのだろう。
だが、それは破滅の道だ。
そう分かっているからこそ、首を横に振った。
「何でですか?ストラを殺してしまえば、山田氏の特異性は復活し、そこからは2人で青岸とブッチデヨを殺せばいい。カズト氏を巻き込まずに済みます!」
気持ちは分かるが、首は横に振る。
襟櫛としてはカズトを巻き込みたくないのだろうが、カズトは巻き込まれなかった方が悔しがるだろう。
まあ、そうじゃなかったとしても、自分は年長者として襟櫛をむざむざ危険へと推し進める事は出来ない。
「じゃあ、山田氏はカズト氏と再会した方が良いって言いたいんですね?」
大きく頷く。
「カズト氏を巻き込んで、それが正しいなんて俺には思えませんよ…」
残念ながら、それが正しいのだ。
襟櫛をジッと見つめる、見据える。
「分かりましたよ、山田氏がそれで正しいって言うなら、僕は我慢しますよ…」
見損なわれただろうか。
しかし、これは罰なのだ。
自分の力を過信し、無駄に危機を生じさせてしまった愚かさに対する罰…。