諦め始め
帰宅し、何もやる気が起こらず、思い返しても苛立つ6階の出来事を反芻していた。
俺は惨めに散々、逃げ回った。
残念ながら、俺の『ビルメン』は『灰色』と『子供達』に対して、何の役にも立たなかった。
それどころか、残虐な拷問シーンを見せられる分、苦痛以外の何物でも無いのだ。
「クソが、クソが、クソが、クソッ、クソッ、クソがっ!」
もう、手を引くべきだろうか。
『京通』も、ただの力仕事と化しているし、俺にこの任務は向いていなかった気がするのだ。
そこまで考えた時、まるで見透かしたように、スマホに着信が入った。
「組織か、嫌なタイミングだぜ…」
出るべきか迷い、出なければ、次が無いと思い、仕方なく出る。
「何の用だ?」
「ブッチデヨとの接触は終えましたか?」
あの現場からの逃亡を唆した俺としては、答えに慎重を期すべきではあった。
「いや、まだだ。こっちから、接触した方が良いのか?」
ブッチデヨは恐らく、最初の報告もせず、逃亡しているはずだ。
ならば、俺は関わり合いを持っていないと思われた方が良い。
「いえ、彼に関して、実は奇妙な事が起こっているのです」
遠回しに言われても、逃亡しただけだと知っている俺としては、何らの興味も湧かなかった。
「奇妙な事って、何だよ?」
最大限の義務感を動員して質問してやる。
「今週の月曜、彼はあの現場から出て来なかったのです」
「はあ?何を言ってやがるんだ…」
連絡が途絶えていると言うならまだしも、出て来ていないなんて意味が分からない事を言われても困るのだ。
「当惑するのも無理からぬ事です。こちらとしても、混乱しているのですから」
相手に分かるように舌打ちを響かせてやる。
「端的に説明しましょう。実は、ブッチデヨ本人には秘密にしていましたが、あの日、あの建物はストラに見張らせていました。しかし、ストラは送迎バスに乗り込んでいく貴方は確認できたが、ブッチデヨの姿は確認できなかったと報告してきたのです」
「俺も、ストラの件は聞かされていなかったが?」
「貴方も知っての通り、あの建物の入口は1つだけです。そこから出て来なかったという事は普通に考えれば、彼は今もあの建物にいるという事になる」
俺の質問を故意に無視したのは苛立ったが、組織の馬鹿さ加減の方が愉快で笑えた。
「なあ、1つ聞きたいんだが、ストラがブッチデヨを見逃したという可能性はないか?余所見してた、とかさ」
「冗談を言っている場合では無いのです。昨夜から、組織はすでに調査を開始しています。幸いな事にストラの特異性は、夜間に無人の建物を探索する事に適していますから」
冗談を言ったつもりは、毛頭なかった。
ストラは俺の知る限り、組織のランクが最も低い。
だから、今回のような使い走りをさせられるのだ。
そいつがミスをしたとしても、それは可能性として最も高い事であり、冗談などでは決してありえない。
まあ、大方、ストラを見つけたブッチデヨが、上手く姿を隠したというのが、正解なのだろう。
真実とはかくも単純で、だから、虚しくなるのだ。
「とりあえず、ストラが頑張ってるって事で、話は終わりか?」
「ええ。ところで、そちらは順調ですか?」
「いや、そうでもない。正直、撤退を考えている、真剣にな」
「珍しいですね…、いや、初めてかもしれません、そんなに弱気な発言を聞いたのは」
「まあ、な。とりあえず、今週くらいは頑張ってみるけどな」
「頑張って下さい。無駄な努力も、たまには報われる時もあるのかもしれません」
まるで励まされた気がしない。
向こうも励ました気はないのかもしれないが。
「じゃあな」
向こうは何も言わずに切った、それと同時に俺はブッチデヨやストラの事を忘れる事にした…。