襟櫛の災厄と吉兆
逃げて、逃げて、逃げ続けようとして、俺は足を止めた。
建物の入口、そこで足を止めた。
ここから、外に出てしまえば、俺が殺した最強を見る事になってしまう。
それが、カズトや山田と合流した後ならば、まだ良い。
いずれは出なければならないし、ずっとここに留まるわけにもいかない。
ただ、今、何もやっていないのに、脅威から逃げる為だけに、ここを出て行くわけにはいかない。
もしかしたら、あの化物にカズトや山田は殺されてしまったのかもしれない。
しかし、彼らも逃げたのかもしれない。
そう、反対側に逃げてしまったのだとしたら、あそこを避けて外を目指している可能性がある。
階段の方に向かい、俺は再び考える。
上か、下か。
「あれ?襟櫛じゃないですか!」
その声に俺は途惑い、上を見た。
階段を下りてくる姿はさながら、ホラーのようですらあった。
そう、さっき、化物になった奴に殺されたはずの道化が、にやけた顔で登場したのだ。
「何で、いる…?」
「何か殺されたと思ったら、また、4階にいましてね、僕も驚いたんですけど、もう一度、荷物を取りに行こうと思いましてね」
「あの瞬間に、特異性が発現した…のか?」
「特異性って、何ですか?それよりも、襟櫛、さっきはどうして僕を犠牲にして、自分だけで逃げたんですか?」
特異性は、先天後天を問わず、発現に自覚症状がある。
ただ、極稀に自覚できない奴がいると、カズトに聞いた事がある。
いや、山田に聞いたのか、或いは最強だったか。
とにかく、無自覚の特異性はヤバイんだと、その時、教えられた。
薄ら笑いを浮かべながら、ある種の虫を連想させるような顔付きで、道化が階段をゆっくりと下りてくる姿にゾッとした。
咄嗟に、階段を駆け下りる。
そうだ、奴はヤバイ。
俺が戦装束に、二振りの日本刀なんて奇妙な格好をしているのに、それに対して何も言ってこないのだ。
もう、平常な部分が壊れてしまっているのかもしれない。
「慌てて、そんなに急いで、どうしたんですか?」
地下を駆け抜けている俺に対し、ゆっくりと歩いてくる道化がすぐ近くに気配を漂わせ、怖気が走る。
「全速力の俺が、何で追い付かれる!」
速度なら、誰にも負けない自信があったのに、それは無残に打ち砕かれてしまった。
目の前に扉があった、非常口、あんな物があんな場所にあっただろうか。
ただ、今は逃げたい一心で、躊躇せずに飛び込んだ。
勿論、誰もいないと思っていたから、人にぶつかってしまって揉みくちゃになり、押し倒してしまったのは予想外も甚だしかった。
そうして、後ろで非常口の扉が閉まる音を聞きながら、俺は眼前にある顔に途惑いつつ、安堵していた。
「カズト氏…」
「襟櫛…?」
後ろで扉の開く音がして、俺は弾かれたように振り向くが、扉は開いていない。
「あれ?襟櫛、どこですか?どこに行きましたか?おかしいな…、確かにここに入ったはずなのに、いない…。っていうか、ここはどこですか?何ですか、この場所は?」
道化の混乱を訝しく思う。
「さてと、また奇妙な事になったな…」
「そうですね」
まさか、こんな場所で再会できるとは思ってもみなかった。
俺は立ち上がり、倒れているカズトに手を差し出しながら、久し振りに笑っていた…。