閉じられた瞼
力強く、鋭い目つきで見据えるヒーローと、悪びれる様子もなくそれを受け入れるレヒドルの間に横たわる静寂。
数秒が数時間にも感じられたそれを最初に破ったのは、レヒドルだった。
「さぁな」
その言葉を聞いた瞬間、ヒーローは目を瞠った。
知らないわけがない。
この世界の中でこんなものを作れるのは、目の前の男一人だけだ。尚且つ効果が違う類似物を作っているのだ。この男でない筈がない。
「嘘を、つくのか」
己の中で、徐々に怒りが膨らんでくるのを感じながら、それを表に出さぬように抑制し、言葉を紡ぐ。
しかし、レヒドルとは長い付き合いだ。ヒーローが今怒りを抑えているのは手に取るように感じている筈だった。
けれども、それを解っていて尚、レヒドルは告げる。
「嘘? 嘘などついておらんよ。……そうじゃなぁ。わしが造ったとしてもだ。それが解った後はどうするつもりじゃ?」
「な……に?」
無意識に拳を握り、力を込める。
ヒーローの体から、抑えきれない怒気が漂い始めた。
「証拠がないじゃろう。わしが造ったのだ、という……な」
怒りから、ヒーローの体が僅かに震えはじめた。
「お前が造ったのはわしと、孫たちが知っておる!」
その言葉を聞いても尚、レヒドルは悠然とした態度を崩さない。
「何を知っていると? お前たちが知っておるのは、サリタンに渡した物のこと、だけじゃろう。わしがその黒いのを造っているところでも見たのか?」
ヒーローは、言葉に詰まった。
反論できない。
そんなところなど、見ていないのだから。
「それに、だ。魔物らも結局殲滅出来たんじゃろう?ならばいいではないか。……お前の大事な孫の命も、それがあったから助かったのではないのか?」
正論では、あった。
確かに、レヒドルから貰った魔具がなければ、今頃サリタンは死んでいた可能性が高い。
だが、だからといって見逃していいのだろうか。
人間の姿になれる魔具など。
効果は抜群だった。
ヒーローが、魔物の気配を感じ取れない程に。それをわかっているからこそ、恐ろしい。
そんな恐ろしいものを、造れる男。
そんな者をこのまま野放しにしてもいいのか。
ヒーローの怒気が収まり、変わりに迷いが見て取れたレヒドルは、続けて言った。
「まぁ、もし仮に、わしが造った人間だったならば、もう二度と造らんじゃろうの。魔物も死んで試せるやつもおらんし。王にも目をつけられたらかなわんわい」
その言葉は、己を捕まえることなどできないという意味と同等であったが、二度と造らないという宣言にもとれる。
証拠はない。そして、孫の命を救ってもらった恩義がある。
ヒーローは、一旦引くことに決めた。目を細め、厳しい表情のまま鋭い視線を向け、口を開く。
「二度と、造るなよ……見張っておるぞ」
それには、レヒドルは答えなかった。
ただ、じっとヒーローの目を見つめ返していた。
数秒、厳しい視線をお互いに向けていたが、ヒーローが一歩足を踏み出したことで、止まっていた時が刻み始める。
すれ違いざまに肩が並ぶと足を止め、目の端でレヒドルを捉える。
彼は、身じろぎすらせず、正面を見続けていた。
やがてヒーローはまた歩き始め、静かな室内に足音を響かせながら、扉を開けてレヒドルの家を後にした。
扉が閉まる瞬間、レヒドルの視線を背中に感じた。
外に出て空を見上げると曇り空がその双眸に映った。
雨が降りそうだ。
―――帰ろう。……今日は馬車を借りるか……。
ゴロゴロゴロ、と上空から鳴り響く唸り声を耳にしながら、足早に庭を真っ直ぐ突っ切っていく。城下町に入ると、雨の気配を感じてか、いつもなら道一杯に広がっている人ごみが数人に減り、道沿いにずらりと並んでいる露店も早々に店じまいを始めていた。
いつもこうだと歩きやすくて助かるのだが。
そんなことを考えながら颯爽と歩いて行き、門まで辿り着くと逗留している御者に話し掛け馬車を借り、運転は任せて乗り込む。
数秒後、馬車は小さな揺れと共に走り出した。
数時間後、ヒーローは馬車を降りると御者に賃金を払い御者に礼をして、再び王都へ続く道を走っていく馬車を見送った。姿が見えなくなるとヒーローは村へと足を進める。
昼間の魔物との戦いが後に引いているのか、広場に出ている村人は少なかった。
ヒーローが歩いていると、その姿に気が付いた村人達は目に留めた順に挨拶をしてくれる。
子供が手を振ってくると片手を挙げたり、大人が礼をするとお辞儀をして応えるなどして歩を進める。
やがて村医者専用の家の前まで来ると足を止め、感慨深げな視線を送った。
魔物が医者を騙り、それもまた死んだ今、この村には医者がいない状態である。近々王都からまた派遣されるだろうが、それまでは怪我をしないよう自重せねばならない。
ヒーローは視線を正面に戻し、再度歩を進めた。
砂利が履物の裏で踏まれる音が耳に届く。
ふと、鼻の頭に何かが落ちて来た。足を止め、それを皴が寄っている指で拭い見てみると、水で濡れている。
どうやら雨が降り始めたようだ。
ヒーローは更に速度を上げて歩き出した。すると、数メートル離れた先に、よく見知った小さい後姿が見えた。
サリタンだ。
―――あの子が道端に立っているということは、フウノと話でもしておるんじゃろうなぁ。
自然にヒーローの顔が綻んでいく。
優しい表情を浮かべたまま、ヒーローは無意識に止めていた足を再度動かし始めた。雨も、パラパラと降り出している。
その時ふと、森の方向から広場を斜めに歩いている小さな子供の姿がヒーローの眼の端に映った。
歩きながら、なんとなく少年を観察する。
人を騙る魔物がいたため、神経が過敏になるのは仕方のないことだった。
だが、子供だからと安心している自分が、この時たしかに、いた。
しかし、少年が真っ直ぐサリタンだけを見つめて近づいて行っていることがヒーローは少し気がかりで、目を細めて観察していると、僅かに子供の手の平で、何かが煌めいた。
咄嗟に、ヒーローは駆け出していた。
そして、腰に鋭い痛みが走った。
誰かが急いでいるような足音を耳にして、サリタンは正面で話をしていたフウノから視線を逸らし、肩越しに振り返った。
だがその瞬間、力強い手に肩を掴まれて引き寄せられ、誰かの胸の中に収まっていた。
硬い、鍛えている胸板。
顔を見上げてみれば、そこにいたのはヒーローだった。いつものように優しい笑みを浮かべている。
なんだ、と瞬間的に考える。
そして、何をしているのだろうか、とも。
異変に気が付いたのは、その数秒後。
サリタンの双眸に、信じられないものが映った。
ヒーローの口元から、何か赤いものが流れだしていたのだ。
それが、血だと気が付くのに、更に数秒を要した。
―――これは、なんだ……?
あまりの予想外の出来事に、サリタンの思考が止まっていた。
そして、自分を抱きしめていたヒーローの力強かった手から、徐々に力が抜け落ちていくのを、敏感に肌は感じ取っていた。
ゆらり、とヒーローの体が揺れて、ゆっくりと、自分とすれ違うように、前のめりで倒れていく。
サリタンは、手を伸ばすことも出来ず、固まっていた。
どさっ、と足元で重いものが倒れたような音を耳が拾う。
続いて、フウノの叫び声。
サリタンはゆっくりと視線を足元に落とした。
夢でもなく、現実で、ヒーローが倒れていた。
腰にナイフが深々と刺さって、そこから鮮血が流れ出ており、地面を赤く染めている。
そしてまた、耳が、じゃり、と何かが動いた音を拾った。
視線を動かすと、サリタンの目の端に、小さな子供が映った。
その子供が憎々しげに、血走った目で自分を睨み付けているのをこの瞬間に初めて気が付き、そして、サリタンの止まっていた思考がカチリ、と動き出す。
「き……さまぁっ!!」
叫ぶように言うと同時にサリタンは、ヒーローを刺した子供に勢いよく拳を飛ばし頬を殴打していた。ドガッ!と鈍い音がすると同時に軽々と宙を舞う子供の体は数秒の後地面に背中から叩きつけられ、その弾みで砂埃が舞った。だがそれも上空から降り注ぐ雨の影響で風と共に自由に広がるのを抑制される。
ポツポツと、落ちてくる雨がサリタンの頬や体を濡らしていき、熱を奪いながら地面に小さな染みを作っていく。
降ってくる雨が目に侵入しそうになるにもかかわらず、サリタンの細められた鋭い目は、倒れたまま身じろぎもしない子供の姿をずっと捉えていた。
数秒してから、動かなかった子供の腕がゆっくりと胸元へと伸びる。
次の瞬間、サリタンは素早く何かに襲い掛かれたと思ったら腹に衝撃を受け背中を硬い何かに強かに打ち付けられていた。
「っ……!」
それは、家の壁だった。
痛みを、唇を噛みしめて堪えて立ち上がろうと力を込めるが、体が言うことを利かない。
―――早く……!言うことをきけ……!!
体に念じるがそれも空しく、サリタンの首元に手が伸びてきて掴まれると再度背中を壁に打ち付けられる。しかし今度は体が地面にずれ落ちることはなかった。
首を絞められていた為に。
「ぐっ……!」
息苦しさから顔を顰め、無意識に己の首を絞めている、人間の姿を解いた魔物の子供の腕を掴むがビクともせず、段々意識が遠のいていく。
すると目の端で、フウノが魔物に体当たりしている姿が映った。
途端、サリタンの中で恐れと焦りが急激に膨らみだし血の気が引いた。
なんとか言葉を絞り出す。
「や……め、ろっ……!」
しかし、その声がフウノに届くことはなかった。
体当たりしたフウノは軽々と魔物の手で殴り飛ばされ、体を地面に叩きつけられていたのだ。
そして、サリタンの首に掛かる指圧が更に高まっていく。
その時、かすれゆく双眸に、地面に転がったはずのフウノが起き上り、何事かを叫んでいる様子が映った。それを邪魔に思ったのか魔物の視線が再度フウノへ向けられる。
―――やめ、ろ……!
ぐぐぐ、と魔物の腕を掴んでいる手に力を込め、気を引こうとするが、僅かな力も出ていないのか関心を引き寄せられない。
そして、サリタンの意識が途切れそうになった時。
暗転していっていた視界の中に、父親の姿が映った。
気が付くとサリタンは地面に倒れ、空気を求め肩を荒々しく上下に揺らしながら大きく咳き込んでいた。幾度も咳き込み、眼尻に涙がたまる。それでもまだ喉に詰まったような感触があって、消えない。
短いようで長く感じた一分間でようやく咳が収まり、まだ回転が鈍い頭で状況を理解するために視線を周囲へ巡らせる。
まず、魔物はすぐに見つかった。
自分が押し付けられていた壁に、剣で額を貫かれて、縫い付けられていたのだ。宙に浮いている足の爪先から、ポタリ、ポタリと体液が地面に落ちていたが、いつの間にか勢いを増して降り注いでいた雨と交じり、境目が消失している。
地面につけていたサリタンの両手が、水分を吸って泥と化したもので、汚れている。
フウノが立っていた方へ視線を巡らすと、そこにはもう姿がなく、首を回して反対側を見ると、サリタンは愕然とし、動きを止めた。
その双眸に、地面に倒れている祖父と、その側で立ち尽くしている母親と村人達、フウノ。そして傍にヒーローの顔を覗き込むようにして地面に両手両膝を着けている父親の姿が映ったのだ。
その現実を、はっきりと頭が理解した時。
サリタンの瞳から、涙が溢れ、頬を濡らした。
流れたそれは、降って来た雨と混じって、地に吸い込まれゆく。
―――嘘、だろ……?おい……?
ゆっくりとした動作で立ち上がると同時に、体中に痛みが走った筈だったが、今のサリタンには気に掛ける余裕はなく、気づきもしない。
ふらつく足取りで一歩、また一歩と足を踏み出し、倒れているヒーローへ近づいて行く。
サリタンが近寄っていくと、ヒーローの周囲を囲んでいた村人達が、そっと後ずさりして、道を空けてくれたが、それもサリタンには見えていなかった。
サリタンの双眸には、血の気が無くなり、ぐったりと人形のように倒れている祖父だけが映っていた。
ヒーローの真横に着くと体から急に力が抜け落ち、雨で泥と化した地面に座りこんでしまう。
その弾みで、泥が周囲に跳ねた。
「な……なぁ……」
そう声を掛けたサリタンの声は、震えており、囁き声に近かった。
だがそれでも、十分だったようだ。
ヒーローは、伏せていた瞼を震わせながら、ゆっくりと開けたのだ。
浅い呼吸で、胸部がゆっくりと動いている。
ヒーローの視線が、顔を覗き込んでいるサリタンと合うと、祖父はいつもの慈愛に満ちた優しい笑みを向けたのだ。
そして、息をゆっくり吸い、時間をかけてゆっくりと吐きながら、同時に瞼を閉じてゆく。
その閉じられた瞼が開けられることは、二度となかった。
雨が激しく降る音の中に交じり、サリタンを含め村人達全員の慟哭が、いつまでも響き渡っていた。




