最後の戦い -閉幕-
―――クケケケケ、死ヌ覚悟ガデキタノカアアァァアァ?
声高く脳裏に響いてくる言葉を聞き、魔物が興奮していることが解る。楽しくて楽しくて仕方がないというように。魔物はみるからに上機嫌だった。
完全に殺せるつもりでいるのだ。
―――そんな簡単に、殺されるつもりはない。
なんせ、どのくらいの時間かは解らないが、こちらだって今は大人の体なのだ。小さい子供の姿よりかなり勝機がある。
間隔はまだ掴めていないが。
―――扱いに慣れるまで、とりあえず避けるに徹するか……。
そう心に決めると、サリタンはわざと背中に回した枝をそのまま放した。枝の倒れる音が多少サリタンには聞こえたが、魔物は嘲笑に忙しくて耳に入らなかったらしい。
いや、それか、勝てると思い込んでいる為に気を配ってないか。どちらかだろう。
―――ならばこちらから。
サリタンは、腰を瞬時に低く屈め体を前のめりにすると、右足で強く地面を蹴り上げその勢いを殺さず魔物へ向かって走り出した。
遅ればせながら魔物がサリタンの行動に気が付いたとき、既にサリタンの体は魔物の目前にいた。得物は置いていたので手を出さず、魔物が攻撃してくることを見越して左足が地に着いたとき体を右に傾けつつ膝を曲げて力を入れ真横に飛ぶ。すると立っていた場所へ数秒遅れて魔物の鉤爪が空気を切り裂きながら振り下ろされていた。
だが、その時にはサリタンは無傷で数メートル離れた所に立って、魔物の行動を視ていた。
避けたサリタンが気に食わなかったのか、魔物は唸り声を上げる。
「グルルルルルルル……!」
今度は怒りで興奮しているのだろう。距離が開いているのに鼻息が聞こえてくる。そんな状況でもないのに、その鼻息ならちょっとした重い物でも吹き飛ばせそうだなとつい考える。
悠長に立っていたのが気に食わなかったのか、突然襲い掛かって来た。
意外にスピードが速い。流石に獣だなと変に感心する。
しかし、サリタンもそのままやられるつもりは毛頭なく、両足を瞬時に曲げ勢いよく真上に跳躍すると枝を掴み腕の筋肉で体を上げ攻撃を避ける。それと同時に左腕に痛みが走った。
腕を振り下げたことで前の目にりなっていた魔物の体を踏んづけ両足で背中を蹴り上げると同時に枝から両手を離し、魔物が顔面から大木に激突する音を聞きながら、地に足を着けたサリタンは転びそうになったものの何とか態勢を整えると素早く振り向き、次の攻撃に備える。
みし、と顔が大木にぶつかった魔物は先程までとは比べものにならないくらいの殺気を急激に漂わせ始めた。ゆっくりとした動作で大木に両手をつき顔を離すと、ゆらぁと体を揺らしながら向きを変えてサリタンと対峙する。顔は俯きがちにしている為解らないが、おそらくかなりご立腹であることが窺える。
だが、それでいい。
魔物という生き物は怒るほど血が煮え滾り、思考が暴力的なそれに支配される。そして視野が狭くなる。攻撃することしか考えられなくなるのだ。
魔物達の王として君臨していた為、特性は解っている。
だから、サリタンは。
魔物が気付くように、声をだして笑った。
それに敏感に耳が反応し、威嚇するような唸り声が響き渡る。
「グガアアアアアアアアァァァァ!!!」
―――何ガ、何ガ可笑シイ!!! 何故嗤ウ!!!!
脳裏に響くその大音量に顔を顰め、サリタンはいい加減黙らせないとなぁと半ば本気で考えた。
鼓膜が破れる心配はないかもしれないが、代わりに頭の血管が切れそうだ。
すこぶる、うるさい。
苛つきが、無意識に大袈裟な溜息として表現される。そしてその態度がまた気に食わない魔物が雄叫びをあげ、今度は鼓膜にクる。
「あー……ほんっとにうるさいな……」
つい本音がポロリと口に出して出てしまうが、別に構わない。
堪忍の緒が切れたのか、突然「ウガアアアア!!」と雄叫びを上げながら正面から突撃してくる。そして思いつくままに次から次へと腕を振り下ろしてくるという単調な魔物の鉤爪を、サリタンは避けれる方向へ体を傾けながら片足ずつで重心を変えつつ身軽に避けていく。それがまた怒りを煽って、魔物の頭から『考える』という行動を奪っていく。
冷静な時にはあれほど魔物を使い人間を利用し、サリタンを何度も誘拐出来ていたというのに、怒りに支配されるだけでこのザマだ。
だが、この時。
サリタンも油断していたのだ。
「危ない!!!」
背後からよく知った声が飛んできて素早く肩越しに振り返ると、アオが真剣の先をサリタンの背中に目がけて真っ直ぐ向け、全力で走ってきていた。
陽光に照らされた剣先が、鋭い光を放って向かってくる。
「グアアアアアァァアァァア!!!」
と雄叫びが聞こえ素早く視線を正面に戻せば、魔物が腕を振り上げていた。
―――まずい。
一瞬で状況判断したサリタンは瞬時に膝と腰を折り、胸が腿に密着するほど低く身を屈めると体を前のめりにし同時に曲げた膝を伸ばして地を蹴り、腰を低くしたまま前方へ飛び込む。そうすることで背後から迫ってくるアオの持っている剣に貫かれることを避けたのだ。
飛び込んだサリタンは顔面から地に激突しないよう真っ直ぐ伸ばした両手を着くことで衝撃を緩和させながら、飛び込んだ時に伸ばした足を上半身へと引き寄せる。そのついでに右足を真横に垂直に伸ばし、正面から怒りに狂い迫ってきていた魔物の足をひっかけた。それによって重心を失った魔物は前のめりになる。
その先を予想してしていたわけではなかった。ただ、己の危険を避けるために取った行動だった。
真後ろで倒れた魔物の口から、絶叫と、肉を貫いたような音がサリタンの耳に届いた。
「あああぁぁあぁぁぁ!!」
そして、誰かの慟哭のような叫び声。
それを聞きながらサリタンは重心を依然と低くしたまま再度前のめりに跳び、アオと距離を取って足が地面に触れたと同時に素早く身を翻しながら立ち上がる。
サリタンの双眸に映ったのは、予想どおり、アオの持っていた剣が魔物の胸から背中へと貫いている姿だった。
体液で濡れた剣先が怪しく光り、貫かれた傷口から魔物の体液が止まることなく溢れ続け腰を伝ってゆき、狼のような筋肉質だが細く固そうな足を伝って流れ、大地へと吸い込まれていっている。
「ああああぁあぁぁあぁぁあ!!!」
己が殺してしまったことに耐えられなかったのか。現実を受け入れられなかったのか。
アオは気が狂ったように叫んでいた。
そして、彼は剣から手を離した。
支えているものが離れた魔物の体は力なく重たい音を立てて地に崩れ落ちる。反動で砂が宙に舞った。
「うあああぁぁぁぁあぁぁあぁぁ!!!!」
アオは、体液で濡れそぼった両手で自身の頭を抱え、そうかと思ったらサリタンと背後に立っているヒーローを避けるように全速力で真横へ駆け出したのだ。
それをいち早く感知したヒーローが後を追う為に駆け出して、躊躇せず森へと姿を消す。
サリタンは息絶えた魔物を一瞥すると、自身も後を追う為に走り出した。
ヒーローとサリタンが消え、息絶えた自身の体液が広がっている地の中心で倒れている魔物。その側に生えている草が、ガサガサと葉擦れの音を立てた。
そして、小さい鉤爪の生えた足が、草木の間からそっと出て来た。
倒れている魔物の側に寄ったそれは、暫く見下ろしていたが、小さな体をまるめ、ごそごそと何かを探るように手を動かす。やがて、目的の物を手に入れたそれは、ゆっくりと出て来た草木の中へと姿を消した。
「あああああぁあああぁあああぁぁぁぁぁ!!!」
声がいい加減枯れるのではないかと思う程ずっと叫び続けながら走り続けるアオを追っているヒーローの姿を、距離が開いてしまっているサリタンは走りながら遠目で見ていた。
油断してはいたが、戦っている間は、やはり緊張していたのか腕の痛みなど感じなかったのだが、こうやって後を追うだけとなると急にそれを感じるようになってしまっていた。止血しているとはいえ限度があるため、傷口から流れる鮮血で左腕の服の裾が赤く染められていく。
ふと双眸に、ヒーローが足を止めて立っている姿が映った。
顔を顰めることで痛みを耐えながら側に駆け寄ると、アオがヒーローの剣で刺されたのだろうか。サリタンの方へ頭を向ける格好で俯せに倒れていた。
ヒーローと肩を並べて立ち、剣が胸から背中に刺さったまま倒れている姿を見ていると、ヒーロが身を屈めてアオの体を仰向けにし、自身の剣を引き抜いたあと宙を切り裂いて体液を飛ばし、携えていた鞘に収めた。
その間もサリタンの視線はずっとアオに向いていたのだが、ふと驚愕に目を瞠った。
なんと、倒れていたアオの体が妙な煙を上げたと思った瞬間、体にごわごわとした固そうな毛が生えたのだ。
「……こいつも、魔物、だったのか……人間じゃなく」
側で囁くように言ったサリタンの声に反応して、ヒーローが目線の高くなったサリタンに視線を向ける。
「そなた、大丈夫だったか?」
―――そなた? やけに他人行儀な……。
無意識に首を傾げつつ、「ああ」と答える。
その動作はヒーローからすれば非常に可愛らしく見えていたのだが、サリタンには知る由もない。
何故か頬を赤くして素早く視線を逸らしたヒーローに怪訝な表情を向ける。
―――うーん……何かがおかしい……。
すると突然我に返ったように真剣な表情をして、ヒーローが視線を向けて来る。
「そなた、小さい子供を見かけなかったかね!? このぐらいの……」
といって、手の平を地面に向けたまま自身の胸の高さの所で手を止めてサリタンに訊いてくる。
「背の子なんじゃが……」
表現したその高さを見て、サリタンは、まさかなぁと、思う。
「……知り合い?」
「わしの孫娘なんじゃ!」
その言葉にサリタンは吹いた。
「何か?」
ちょっとムッとした表情を作ったヒーローがサリタンに問うてくるが、すぐに教えるのも惜しい気がしてそのまま沈黙していると、痺れを切らしたのか怒ったのか、ヒーローは無言のままで歩き出した。 その背中に、「待てよ」と声を掛けた瞬間。
視点が急に低くなった。
あれ?と思い体を見ると、胸はぺったんこで胴体は寸胴、華奢なのは変わらないが色気皆無の子供サイズに戻っていた。
―――なんだ、もうちょっと遊べたのに。
とサリタンが意地悪いことを考えながら視線を正面に戻すと、先刻の声掛けに振り向いたヒーローが、眼を丸くさせてみていた。
めったにお目にかかれない祖父のその表情に、サリタンは無意識に口角を上げた。
突然目の前に現れた孫の姿にも驚いたが、それよりもサリタンが笑っていることがヒーローの目を白黒させていた。
だが、ヒーローとしては、孫が無事ならそれで良かった。
目を細め優しい微笑みを湛えながら、二メートル先に立っているサリタンの元へ向かう為に一歩足を踏み出した。
その時。
ジャリ、と何か固いものを踏んだような感触が履物を通して足の平に伝わった。
素早く見下ろし、足の平をのけると、目を見開いてヒーローは腰を屈め踏んでいたものを掴みあげる。
「何かあったのか?」
サリタンが声を掛けて来たため、ヒーローは手の平に握ったそれを素早く自身のズボンのポケットに忍ばせた。
そして微笑みをサリタンへ向けると頭を振り、「いいや」と答える。
「さ、帰ろう」
そう言って歩き出したヒーローは、サリタンの小さい背中を右手で優しく押し、帰途を促したのだった。




