ソラの勇姿
昼間と打って変わって静寂と闇に包まれる夜。
森と村の境目から、草木の葉擦れの音を立てて、のっそりと姿を現すものがあった。
短い二本足と両手の指先には鉤爪が、四本ある指の間には水かきのようなものがある。両側頭部には魚のようなエラ。目つきは鋭く瞳孔は縦に細い。
それは、砂利の上をゆっくりと歩いていた。その度に砂で足の平が汚れていくのだが、気にも介さずひたすら歩を進めていく。
そうして、村中を歩き回ったそれは、ある一点のところへ着いたとき、口角を上げた。そして、見つけたそれに対し、勢いよく跳躍する。
数秒後、それの姿は影も形も残っておらず、ただ風だけが吹き木々のざわめきを生み出していた。
温かい陽光を浴びて目覚めたサリタンは、ゆっくり起きると寝ている両親を起こさぬよう、音を立てないように気を付けながら移動し、扉を引いた。
リビングに入ると既に起床済みのヒーローが椅子に腰を落ち着けて待っていた。サリタンは裏手にある井戸に回ると水を汲み、顔を洗うと持ってきたタオルで顔を拭きリビングへ戻る。
一連の動作を確認したヒーローは音を立てないようにゆっくりと椅子を引いて席を立つと玄関へ向かって歩き出し、サリタンを伴って朝の散歩へ繰り出した。
一時間後に戻ってくるとリーサが起床しており、朝食がテーブルの上に並んでいた。皆でそれを囲んで食べ、食後にはお茶を飲んで一息つく。
お茶を飲み干すとサリタンは席を立ち玄関へ向かって歩いて行った。その姿をみて、視線が一斉にサリタンへ集まり、リーサが声を掛ける。
「あら、どこへ行くの?」
「フウノの所」
短くそう答えれば、リーサは苦笑しながらも見送る。
娘の姿が、扉が閉まった音と共に消えると、リーサは呟くように言った。
「最近フウノ君にべったりねぇ……好きなのかしら? うん、そうに違いないわ……」
ぶつぶつと呟いている妻を隣りで見ながら、バッシュは苦笑し、ヒーローは天井を見上げた。
―――好き、以上じゃろうな。
家を出たサリタンは真っ直ぐ歩いていき、フウノの元へ向かう。砂利道を歩いている為、歩く度に靴の裏で小石がこすれ、ジャリジャリと音を立てている。
そしてあちこちの家から子供が一人、また一人と出てきては一緒に駆け回り遊びだした。
心地よい風を全身で受けながら歩いていたサリタンは、突然ピタリと足を止めた。
視線を、すっと横に向ける。
そこは家と家の間で、奥に少し大きめの井戸があった。
この村では、井戸がそれぞれの家に一つあり、皆それを家庭用として使っている。それとは別に公共用として置いてあるのが、この井戸だった。
サリタンは一歩足を踏み出してそれに近づいて行った。
半分まで距離が縮んだところで、背後から声がかかる。
「レグ?」
その声を耳にした途端、サリタンの動きが止まり、背後を振り向く。
その双眸がフウノを捉えた時、サリタンの表情が明るくなった。
「りあ」
お互いが近づいて行き、目の前に来るとフウノが首を傾げる。
「何してるの?」
サリタンの肩越しに見える公共の井戸を見ながらそう訊いてくるフウノに、頭を振りながら答えた。
「何でもないよ。行こうか」
「うん」
微笑んでそう答えるフウノと肩を並べて、二人は歩き出した。
丘に行った二人は、中央にある一本の木の下で前世の事、生まれ変わってからの事を語り合った。そうしている間に数時間が瞬く間に過ぎ、二人は大木に背中を預けてどこまでも広がる青空を見つめた。風で流れゆく雲を見ながら、木の葉の擦れる音を聞き、髪が弄ばれるのも任せ、眺める。
二人の間には暫くの間沈黙が流れていたが、それは心地の良いものだった。
そうして時を過ごした後、フウノが囁くように訊いてきた。
「そろそろ、一度帰る?」
「……そうだな」
どちらからともなく立ち上がって、二人は手を繋ぎ、ゆっくりとした足取りで緩い坂を下りていく。
下り切ると数メートル行かないうちにフウノの家があるため、そこで二人は別れてから、サリタンは一人で歩き始めた。
数分歩いて公共の井戸が見える所まで来ると、サリタンは足を止めて井戸を一瞥する。
数秒そうしていたが、再度足を動かし始め、家に向かって歩を進めた。
家まで数メートルという所まで来た時、元気な子供の声を、耳が拾った。
「待ってー! 手を洗うからー!」
声に引かれ、無意識にサリタンは背後を振り向いた。
転んだのか、子供が服と足を手で払ってから、公共の井戸へ向かって走って行っている姿が目に映る。子供の姿が視界から消えるとサリタンも正面に向き直し、止めていた足を再度動かし始めた。そして二、三歩歩いた、その時。
「うわあああああああ!!」
子供の叫び声が聞こえて瞬時にサリタンは背後を振り返った。
奥の公共の井戸を使いに入った筈の子供が恐怖に怯えた顔で勢いよく逃げるように道から出てくる。それから数秒遅れて、水色の生物が子供を追って、のっそりと姿を現した。
ソレを目にしたとき、サリタンは解った。
井戸が気になった正体は、コレだったのだ。
魔物。
それはおそらく水中を得意とする魔物なのだろう。
鋭い鉤爪が生えている指とそれのあいだに、薄いみずかきのようなものがあり、体中にはぶつぶつしたものが出来ていて、僅かにでこぼこしているようだった。側頭部にはひれのようなものがついており薄い唇の口角周辺から、牙が覗いている。
だが水中が得意とは思えないほどの素早さでソレは子供のあとを追いかけており、それを見た外に出ていたほかの村人から叫び声が飛び交って、場が騒然となっている。
子供を追っていた魔物は方向転換し、北の方へ向かって走っていった。その方向に立っていた村人達は叫び声を上げながら必死に散り散りになって避けようとしはじめる。
そこに医者助手のアオが姿を現し、魔物を見て声を上げた。
「な、なんだこれは!」
それを敏感に察知した魔物は距離が一番近いアオに向かって走り出す。
「うわああああああああ!」
驚愕の声を上げたアオは腰が抜けたのかその場に尻餅をつき、一歩も動けなくなった。
鋭い鉤爪が伸びている腕を振り上げて、襲い掛かってくる魔物を見ながら、アオは絶叫した。
そして、魔物の鉤爪は背中の肉を切り裂いた。
別人の。
村人にどよめきが走る。
アオを庇ったのは、新しく来ていた、医者のソラだった。
サリタンは魔物の意識を己に向けようと、周囲を素早く見渡した。
今対峙しに行ったところで武器もない。やられるだけだ。
数秒迷った末、魔物の気を引くために駆け出そうとサリタンが一歩足を踏み出した、その時。
背後で扉が開く音を耳が拾い、素早く振り向いたと同時に一陣の風がサリタンの側を駆け抜けた。
目を瞠って素早く視線を元に戻すと、見知った人物が真剣を右手に持ち、魔物に向かって走っている。
そう、ヒーローだった。
魔物が、
「グギャ」
と声を上げて振り返ると同時にその水色の体は右上から左下に向かって斜めに切り裂かれ、体液を吹き出しながら重い音を響かせて背中から地面に倒れ込む。
じわりじわりと裂かれた肉の間から体液が滲み出し、砂を濡らしていく。
ヒーローは真剣についた液を払う動作をした後、それをあるべき場所へ戻し、怪我を負ったソラに声を掛けた。
「大丈夫か?」
「ああ……」
顔を痛みで顰めそう答えたソラは、恐怖から抜け出したアオに体を支えられながら、立ち上がる。
「手を貸そう」
ヒーローがそう言うとソラは一言、
「いや、いい」
と断り、方向転換し、おぼつかない足取りでアオと共に家を目指し歩いていく。
静まり返っていた村人達は、口々に歓声と尊敬の声を上げ、それを背に彼らの姿は扉の中へと消えた。
ヒーローは足元の魔物の亡骸を見下ろし、溜め息を漏らす。
ふと、足音が聞こえて視線を向ければ、サリタンが駆け寄ってきているところだった。魔物の側まで来たサリタンは爪先立ちで膝を曲げて腰をおろし、踵の上に尻をのせて力なく倒れこんでいるそれに視線を走らせた。
そして立ち上がると、顔を上げて視線をヒーローへ向ける。
「これ、どうする?」
「……埋めるのを手伝ってくれるか?」
「分かった」
短いやり取りをしたあと、先を読んでか、大き目のスコップを持ってきた中年の男性と亡骸を担いで森へと赴き、時間をかけて穴を掘りそれを土に還すと、三人は村に戻って行ったのだった。




