お城
残されたフウノは脳裏に未だ響いてくる魔物の恐ろしい声を聞きながら、己の身体が恐怖に支配されていくのを感じていた。
血の気が引いて、真っ青になる。
そして、今までどれだけ、側に倒れこんでいる瀕死の少女に頼り切っていたのかが、解った。
先程だって自分を庇い背中に傷を負ってしまったのだ。それなのに川から引き上げ助けてくれて、傷も痛い筈なのに、泣き言は一切言わない。
自分は仮にも男なのだから……今度は、護らなければ。
今までしてもらった分は、必ず。
そう思うと、突然フウノに力が湧いてきた。
そう、今を乗り切らねば。
フウノは倒れているサリタンの片腕を己の首の後ろへ回しながら、左手で彼女の腰を掴み、足腰に今まで入れたことのない位の力をつぎ込んで、なんとか立ち上がる。
そして解る、人間というものの重さ。
気を失った人というのは、こんなに重いものなのか。
途端無事に乗り切れるか不安がフウノを襲うが、頭を振って、心を奮い立たせると、一歩足を踏み出してぷるぷる震えながら歩き出した。
半ば、引き摺りながら歩くが、早く歩くことができずどうしても遅くなる。
脳裏に響く魔物の声が、少しずつ大きくなっている気がして落ち着かない。
どこか隠れるところはないかと辺りを見渡すが、視界に入るのは草木ばかり。絶望と焦りで涙が滲み始めるが、足は止めない。
荒い呼吸を繰り返しながら、休みたい気持ちを抑え込み、震える足で、一歩一歩ゆっくり進む。
だが。
―――見ィーツケタ、クケケケケケケケケケ!
と狂ったように嗤う声が脳裏に響き、同時に側の草が激しい葉擦れの音を立てた。
フウノは絶望と恐怖に目を見開き、硬直した―――……。
瞼がピクリと震えると同時に開けられ、長い睫の奥から瞳が覗く。
瞳に映ったのは見知らぬ天井で、状況を理解するのに時間がかかった。
なんでここにいるのかが全く分からない。
サリタンは体を起こそうとした途端背中に走った鋭い痛みに呻き声を漏らし、怪我を負っていたことを思い出す。
そして、フウノのことも。
―――どこだ、ここ……。
なにかの医療室なのか、周囲に目を走らせると己が寝かされていたのは白い小さいベッドで、他にも何台ものそれが規則正しく並べて置いてある。
広い部屋だ。
ふと、左隣りに視線を動かすと、フウノが同様のベッドに身体を横たえている姿が目に映った。頬に小さな切り傷を負い、着ている服は土ぼこりや草花と、草の汁のような物で染みがつくられ、汚れている。
―――一体、どういう……。
がちゃ、という音と共に人の声が耳に届いた。
「あ、起きてる」
その声が聞こえた方向へ顔を向ければ、鎧を着こんだ男二人と、白衣を着た男が姿を現していた。
近づいてくる男三人を警戒し睨み付けると、若そうな鎧を着た男がおどけた様に言った。
「おー怖い怖い。そんなに見つめるなよぅ~。つかさ、君オイラ達のこと、覚えてる?」
すると、隣りに居た中年の男が肘で若い男の脇腹をつついた。
「一年位前だ。覚えとらんだろう」
「え~そうっすかねぇ」
「怪我はどうだ?」
白衣の男が訊いてきて、サリタンは怪訝な顔のままで答える。
「……大丈夫です」
「そんなわけないだろう。無理をしたらだめだよ」
叱るように男が言って、背中を向け歩いていく。その先には台があり、医療器具と思えるものが上に並んでいる。どうやら何かを取りに行くようだ。
「なぁなぁ、思い出してよ。ほら、森で穴におっこちてたろ? 狼に襲われてさ」
そこまで言われ、脳裏に過去の出来事が駆け巡る。
そう、確かに一年前魔物を探しに森へ入り、最後には狼に襲われて穴に落ち、二人の騎士に命を救われた。
―――あの時の二人組か。
「思い出した」
「だろ、だろ?」
なにがそんなに嬉しいのかニカニカと笑っている若い男を一瞥した中年男が、視線をサリタンに戻して口を開く。
「しかし、前回は狼で今回は魔物とは……嬢ちゃんも不運だな。俺達が居合わせなかったら、今頃は……。なぜあんなところに?」
ちらり、と隣りのベッドで安らかに寝息を立てて眠っているフウノを一瞥した後、呟く。
「探し物があって」
「ふむ……そうか。しかし、森も安全じゃない。子供達だけでは絶対に行くな」
解ったな、と言われ、サリタンはとりあえず頷いた。
「とりあえずお嬢ちゃんはねー、傷が治るまで動いたらだめだよー」
白衣の男がそう言いながら、台を転がしつつサリタンのほうへ近づいてくる。「はい、背中むけてー」という声と同時に肩を掴まれ体を回されて、あっという間に服を剥かれた。
「ちょっと痛いよー」
言いながらガーゼを取って傷を診ると、消毒液を振りかけて布で流れる液をふき取り、薬草を塗ってまた新しいガーゼを貼る。
「はい、おわり」
腰にずらした服を首元まで上げてくれたので、サリタンはそのまま前を止めて、肩越しに背後を見遣った。
すると、痛ましそうな顔をしている騎士二人の姿が目に映る。
サリタンの視線に気が付いた二人は気まずそうに逸らすと、若者は頬を人差し指で掻き、中年は頭を掻いて誤魔化している。
サリタンは三人の大人達に向き直って、口を開いた。
「……倒れた後、どうなったの?」
「ああ……一人でお嬢ちゃんを引き摺ってる所に見合わせたんだよ。そしたらさ、すぐ魔物も出てきやがったから戦ったんだが、逃げやがった」
―――あいつ逃げたのか……。
若者が続けて言う。
「んで、お嬢ちゃんもヤバそうだったから、すぐ連れて帰ったんだよ……村よりここの方が近かったからな」
「……城?」
「そうそう。よくわかったなあ」
「嬢ちゃん。あんた、勇者ヒーローのお孫さんだったな。伝言鳥飛ばしてもらったから、あっちもここにいるってこと知ってるはずだ」
言われて、中年の男の方に視線を向ける。
「……そうですか」
「はい、ここまで!」
側に立って話を聞いていた白衣の男が突然手を叩き、会話を遮るように言った。
「とりあえず、お嬢ちゃんはまだ本調子じゃないから寝ておきなさい。隣りの子は良く寝てるからね。ほら、お前達も出た出た!」
白衣の男はそう言うと二人の鎧を着こんだ背中を押して、入り口の方へ押していく。
「おいおい」
「そう焦るなって」
口々に何かを呟いているが、白衣の男は聞く耳を持たずそのまま一緒に出て行った。
残ったのは意識があるサリタンと未だ眠っているフウノだけ。
はぁ。と溜め息を漏らし、サリタンは体を横たえた。
静かに寝息を立てているフウノを見ていると、だんだん眠気が襲って来て、いつしかサリタンも目を閉じ、意識を手放していた。




