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追いかけっこ

 ―――クックックックック……。

 可笑しくてたまらない、と言わんばかりに爪が伸びている手を俯きがちな口元へあて、両肩を震わせながら嗤う魔物を、背に庇われたフウノは恐怖の視線で、庇っているサリタンは眉を顰めて、見る。

 サリタンの内の中で、この魔物に対しての憤りが湧いてくる。

 ―――アーハッハッハッハッハァ!!可笑シイト、思ッテイタンダァー……時々、魔王様ノ気配ガスルカラナァ……ヨウヤク、ワカッタ……マサカ……アノ、魔王様ガ……。

 一旦言葉を切ってから魔物は顔を上げ、歪めた口元と双眸をサリタンに向ける。

 ―――コオオオオーンナ、人間ノガキニナッテルナンテヨオオオオオオー!!!

 「……え?」

 サリタンの背中で、そう囁く声が聞こえた。

 内心、舌打ちをする。

 ―――フウノがわたしを恐れれば、逃げにくくなる……余計なことを……。

 ―――ヒャーハッハッハッハッハァ!!

 魔物は、何が可笑しいのか狂ったように嗤い続けている。

 ―――モウ、必要ナイヨナァ。

 そう脳裏で声が響くと同時に、魔物はサリタンを見据えた。

 ―――魔王様ヲ、マツ必要ハナイヨナァ。ダッテ、タダノ人間ダ……貴様ハ、魔王様ジャナイ!!

 そう響いた瞬間魔物が腕を伸ばしサリタンへ跳びかかった。

 爪が、風を切り裂きながら振り下ろされ、瞬時にサリタンは背中を向けフウノの身体を川めがけて押し出す。

 爪を避けるには及ばず、サリタンの背中に、服が破け数センチにわたる四本の裂傷が出来ると同時にそこから血が吹き出て宙を舞った。

 川へ、フウノの身体とサリタンのそれが、傾いていく。サリタンは落下しそうになりながらも手でしっかりとフウノを掴む。

 そして、水面に打った時の軽い衝撃と共に身も凍えるような冷たく、勢いのある水の奔流に巻き込まれ、二人の小さな子供は流されていった。

 魔物から遠ざかりながらも、嗤っている声が脳裏に響いた。




 冷たい水が体中に纏わりつき、十分に水分を吸い取った服は重く、魔物の爪によって負った裂傷は痛み、そこから流れ出ていく命の源。

 サリタンの顔色はどんどん悪くなっていっていた。

 手に掴んでいるフウノの細い手首を離すまいと力を入れて、体力を失い、溺れそうになりながらも水面に顔を出せた時には息を吸いながらなんとかやり過ごすが、その度に水が顔に飛び散り視界を狭めていく。

 ―――くっそ……!

 何分流されたか。突然、視界に岩が映り、フウノを掴んでいる手に力を込めて横に引いて、直撃を免れようとする。水の抵抗でやりにくかったものの何とか移動させた瞬間に腹から岩にあたり、強い衝撃と、同時に水圧が裂傷にかかり、血がどんどん流れていく。

 サリタンは使える左手で岩の頂点に手の平を置き、流されていきそうになるフウノを脇に寄せながら手首を掴んだまま、右手首を上げた左手の横に並べ、這い上がる。

 両肩を上下させ荒い呼吸を繰り返しながら、足まで完全に岩の上に上がると、首から下が川の中に入ったまま流されているフウノの左手と、右肩の服の裾を掴み、渾身の力を込めて引き上げる。

 「くっ……あっ……!」

 ずるり、とフウノの気を失って重くなった身体が、岩の上に上がり、サリタンは手を離した。強く握っていた為、フウノの右手首は寒い時期だというのに赤くなっていた。

 滴が垂れている前髪を手の平で搔き上げオールバックにしたあと、甲で目元を拭い視界を確保し、サリタンは俯せで倒れているフウノの背中をバンバンと叩いた。

 「おい! 起きろ! 目を覚ませ!!」

 叩く度にフウノの身体が震え、数秒後、かはっ、とフウノが水を吐き出し、ゆっくりと瞼を開けた。

 身体をゆっくり起こすフウノを見てサリタンは安堵し、溜め息を吐くと共に天を仰ぐ。

 「え……と、あれ?私……」

 そして、フウノの言葉を聞いて顔を下したサリタンと、顔を上げたフウノの視線がぶつかる。

 「……あ……」

 忘れてるのかどうかは分からないがフウノの表情に恐れはない。サリタンは口を開きながら周囲に視線を走らせる。

 「起きたか。……どうするか…………」

 その時、サリタンとフウノの脳裏に言葉が響いた。

 ―――クケケケケケケ、ドコニ行ッタカナァークケケケケケケ。ドコカナァー?

 途端、フウノの身体がビクッと震え、顔色が真っ青になる。サリタンは舌打ちをし、フウノに小声で囁くように言った。

 「おい、逃げるぞ。こっちだ」

 フウノは顔を上げて、サリタンの顔を真剣な表情で見つめた数秒後、こくり、と力強く頷いた。

 それを見て、サリタンは口角を上げた。

 「あ……」

 「ほら、立って」

 言われた通りに立ち上がると、服がずっしりと重いことに気づく。が、前に立っているサリタンも一緒だと気が付き、そして目を見開いた。

 背中に、四本線の裂傷と、そこから溢れ出ている血で、服が赤く染まっていたのだ。

 途端目が潤んできて、不安でどうしようもなくフウノは脇腹の裾を掴む。

 「なんだ、よ……」

 背後を振り返ってフウノを見ると泣きそうになっており、言葉が力をなくして途切れる。途端合点がいって、口を開いた。

 「今はそれどころじゃない、行こう」

 サリタンが右手で再度フウノの左手首を掴み、フウノに痛みが走るが、耐える。

 上がっていた岩以外にも小さい岩があった為、跳びながら岩を渡り、岸に降り立つ。

 「行くぞ」

 そう言って駆け出すサリタンの後をフウノは追いかけた。

 川辺は草があまり生えていなく、素早く走れる。

 サリタンは走りながら一旦フウノの手を離すと上着の脇腹に服を引っ張って寄せ、絞り上げて水を流し軽くする。それをみたフウノも走りながらサリタンに習い、自身の服も絞りあげる。

 そうして暫く走るとやがて行き止まり、下を覗くと滝壺があった。

 舌打ちしながらフウノの手を再度掴もうとして手を伸ばした時、フウノが先にサリタンの手を取った。少し驚いて見つめてくるサリタンに、にこっと微笑んでから、フウノはサリタンの手の平と自分のそれを合わせ、握る。

 サリタンはどこを掴もうと、掴んでいる事には変わりないので無言で受け入れ、走り出す。

 草が伸びている中を突っ切っている為、葉擦れの音や足音が響いている。

 音で魔物にばれやしないかとひやひやしながら足を進めていくが、脳裏に響く魔物の声は止まらない。

 どうやら近くを走っているらしい。

 ―――くそっ……。もっと鍛えなければ……。

 走り続けていると、サリタンは突然足の力が無くなり倒れそうになる。

 「っ! 大丈夫!?」

 横にいたフウノが体を支えたことで転倒せずに済むが、サリタンは目の前がクラクラしてくるのを感じていた。

 ―――血を、流し過ぎたか……。

 脳裏では、相変わらず魔物が猫なで声を出している。追いかけてきているのは必須だ。

 そしてまた一歩力を入れて足を踏み出すが、サリタンは今度こそ大地に崩れ落ちた。

 ドサッと草の上に倒れこみ、目が掠れ始める自分と、フウノの泣きそうな声、脳裏に響く魔物の声を聞きながら、やがてサリタンの意識は闇に沈んでいった。


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