リィの実
城下町から帰った翌日の朝、早速フウノは石鹸を持って行きたいと言い出した。
瞳を輝かせながらそう言ったフウノを見て、ヒーローも頷く。
「そうだろうのう」
そしてリビングに集まっている家族に視線を走らせると、一点のところで止まる。
その視線はサリタンに向いていた。
ヒーローと目が合った瞬間、サリタンは嫌な予感がした。
「フウノに付いて行っておやり」
―――やっぱりな……。
ふぅ、と溜め息を漏らすとサリタンは玄関の前に石鹸を腕に抱えて立っているフウノに視線をやると、そちらへ向かって歩き出す。
フウノの側を通り過ぎて外へ出て行こうとするサリタンを見、視線をヒーローへ移しを繰り返していると、ヒーローが口を開いた。
「置いて行かれるぞ」
「あ、は、はい!」
慌てて外へと姿を消したサリタンを追いかけるために、フウノは駆け出した。
外に出た途端眩しい光に目がくらみ、一瞬倒れそうになるが足でバランスを整えて凌ぐと、フウノは前を歩いているサリタンへ駆け寄り、横に並んで歩き始めた。
周りには、遊び回る元気な子供達と、それを見守る大人達が点々といた。その中で二人は隅を歩く。
歩きながら、フウノはこうして二人で外にいるのは初めてだなぁと思う。
「家どこだっけ」
だから、突然話掛けられたフウノは気が付かなかった。
隣りを歩いている少年から返事が得られなかったサリタンはフウノを一瞥する。何か考えているような雰囲気のフウノにもう一度声を掛けた。
「家。どこ」
今度は強めの口調でそう言うと、フウノは、はっと我に返ったように慌てて答える。
「あっ、ごめんなさい! 家は、丘に続く道の手前です! 一番端なの……」
それには答えず淡々と足を進めていくと数分後、隣りに居たフウノの足が速まり、次第には小走りになって真っ直ぐ目前に見える木製の家へと走って行った。
立ち止まりもせずに家の玄関の扉を開けて、消えていくフウノの後をゆっくり追い、扉をくぐって中に入ると、後ろ手で扉を閉める。
目の前はキッチンだった。奥にも小さな扉があり、左を見ると広めの部屋が扉を開いて広がっており、フウノと、布団のなかで、上半身を起こし壁に背中を凭れかけさせているその両親の姿が瞳に映る。
フウノは言っていた通りに早速お湯に石鹸を溶かしたのか、タオルを桶の中で絞り、それを身体に添えて拭いていた。僅かに漂ってくる石鹸の香りが、鼻孔をくすぐる。
「いい香りね……ありがとう、フウノ」
「ううん」
母親に感謝されてフウノは照れ笑いしながらも、まんざらではないようで満面の笑みを湛えている。
その仲睦まじい姿を母親の隣りに敷いてある布団の中で上半身を起こし、笑顔で見守っている父親。
急に、脳裏に栗色の髪に灰色の瞳を持った彼女の姿が浮かび、サリタンは切なさに身を焦がし、天井を仰いだ。
その時、両親と微笑んで会話しながら、フウノは玄関前で天井を仰いでいるサリタンを見ていた。
それから数十分してフウノは待っているサリタンの元へ駆け寄った。表情には気遣いのそれが浮かんでいる。
「待たせた、よね……ごめんね」
「……別に」
そう告げると同時にサリタンは玄関の扉を開けて外に一歩足を踏み出した。慌ててそれについて行こうとしたが足を止め、背後を振り返って両親を一瞥する。
微笑んでいる母親と父親の姿をみて、フウノも笑顔になり軽く手を振ってから、サリタンの後を追うために再度足を踏み出した。
お昼前になったせいか、遊んでいた子供たちが親と並んで歩いている姿を点々と見かけた。おそらく自宅へ向かっており、帰宅したら昼食を頂くのであろう。
両親は昼食に何を食べて過ごすのだろうか、と微笑みながらフウノは考えながら歩く。サリタンはそんな少年に一瞥をくれてやるが、何も言うこともなく黙々と足を進めた。
帰宅すると、大人達三人が出迎えてくれ、丁度よいタイミングで出来ていたアツアツの昼食を、テーブルを囲って皆で頂いた。
食べ終わりお茶を飲んでいると、フウノが何かを言いたげな雰囲気を醸し出しており、口を閉口させているので、先にリーサが口を開く。
「どうしたの?フウノちゃん」
「あ! え、えっと……その、今晩、両親のところに泊まりたいな……と思いまして……」
合点がいった、といわんばかりに頷いたリーサは、夫であるバッシュに視線をやった。だが、彼は目は合うものの、そのまま無言で見つめてくる。
特に言うことはないようなので、視線をヒーローに走らせて、目で意見を仰ぐと、リーサに合わせていたそれをヒーローはフウノへ向けた。
「一泊かの?」
声を掛けられたフウノは視線を走らせヒーローと目を合わせると、興奮した面持ちで、こくこくと何度も頷く。
「それじゃあ、もう一度サリタンに見送ってもらいなさい」
その言葉を聞いたサリタンがもの言いたげな視線を送ってくるがヒーローは軽く流し、フウノを見つめる。
フウノは両手を顔の前でぶんぶん左右に振り、慌てた様子で言った。
「いいえ! さっきも送ってもらったし、まだ日も十分明るいので、一人で大丈夫です! 帰れます!」
そう言って断りを入れてくるフウノを見、ヒーローは何かを考えるように唸り声を上げていたが、その数分後フウノは一人でヒーロー宅を後にした。
先程歩いていた道を今度は一人で辿りながら、満面の笑みを浮かべるフウノ。その小さな背中にはリュックがあり、一泊するのに必要なものが入ってある。
鼻歌交じりの足取りはスキップしだしそうな程軽く、端からみてもウキウキしていて、見ている方が楽しくなってきそうな程だった。
自宅の前に着くと、まだ泊まりにくることを知らない両親を驚かせようと、音を立てないように気を付けながら、慎重に扉を開ける。
と、数センチ開けたところで、話声が漏れてきた。
「早く元気にならなくっちゃね……今のままじゃ迷惑かけっぱなしだわ」
「そうだな。そうだ、私がリィの実でも採りに行くよ」
「やだ! あなたったら。そんな体でどうやって行くの! 辿り着く前に倒れるわよ」
くすくす、と母親の笑い声が響く。
「そうかなぁ……よし、今からでも」
「あらだめよ!」
「おっと、危ないじゃないか」
言葉とは裏腹に楽しそうに笑う父親の声が聞こえ、答える母親も楽しそうに言う。
「あなたがそんなこと言うからでしょう」
フウノはそこで扉をきっちり閉めた。
「リィの実……」
空を仰ぐ。燦々と光る陽光。当分日が沈まない。
時間はたっぷりある。
フウノは森へ向かって駆け出した。
リィの実。
とても栄養価が高い、小さく赤い実で、水辺を好んでよく生えている。
この森にも水辺がある。そこにもあるかもしれない。
小さな小石を拾って、逞しい大木に、わかる程度の傷をつけながら草木を分けて歩いていく。
背丈のある草が服を擦れ、音を立てる。
葉の、切れ味が良さそうな空気を裂く音が木霊し、時折地に落ちていた枝を踏んでは、パキッと乾いた音が耳に届く。小鳥の囀りが森の中を反響する中、水音が聞こえないかと耳を澄ませながら足を進める。
そうして休まず足を進め、一時間後には、耳が水音を拾った。
逸る気持ちを抑えて慎重に歩を進めていくと、次第に水音が大きくなり、視界も開けてきだす。
数分後に川辺に辿り着いたとき、フウノは安堵で溜め息を漏らした。
下流へ続いているのか、勢いよく流れている川に意識を取られつつ、リィの実を探して周囲に視線を走らすと、数メートル上流の方に赤い色があるのをフウノは目の端で捉えた。
早足で近づいていき、腰を下して小さい実を人差し指と親指で掴み、転がす。力を入れてみるが、固くて潰れもしない。
フウノは細く手折りやすそうな茎を両手でねじり、実を落とさないように気を付けながら慎重に採っていき、傍にある大き目の岩に並べる。
数本採った後リュックを下し布を取り出すと、並べた、実がついている茎を束にするように持ち、布で包んでからリュックの中へ仕舞いこんだ。
「よし……帰ろう」
溜め息を吐きながら腰を上げて立ち上がる。
足を踏み出そうとした、その時、突如目の前の草木が葉擦れの音を立てて激しく揺れ動き、怖くなって一歩足を後ろに引いたフウノの前に、背の高い何かが、ぬっと姿を現した。
フウノは、驚愕と恐怖で目を限界まで見開き、それを見つめた―――。




