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残された家族

 ヒーローは生い茂っている草木の中を、一心不乱に駆け抜けていた。

 ドクドクと、心臓が暴れている。

 決して、息切れだけでそうなっているわけではない。

 腕の中でぐったりしている、小さな孫娘。いつも元気なその顔色は、打って変わって土気色になっており、サリタンの頭と直に接触しているヒーローの両腕と胸は、少しずつ赤褐色で染められていっていた。

 そして、滴となったそれは、全速力で走るヒーローの体が上下に揺れる度、向かい風により吹き飛ばされ落下しては大地に染みを作り、やがて吸い込まれていく。それは点々と、ヒーローが走ってきた方向から続いていた。

 汗が背中と額を流れていき、いつも冷静を保っているその瞳も、潤んでいた。

 荒い呼吸を繰り返しながら、ひたすら走り続ける。

 速く。

 速く。

 やがて、その双眸が森の出口……村が映った時、ヒーローは心の中で天に感謝した。



 きっと、早朝一番乗りであっただろう。

 駆け込んだ村医者は突然侵入してきたヒーローを見ると怪訝な表情をしたものの、腕の中でぐったりしている子供の姿を一目見て状況を理解すると行動が素早かった。

 すぐさま寝かせる場所を確保して綺麗な布や包帯、針などのあらゆる器具を用意した。

 そして診察を開始する寸前でヒーローの存在を思い出した。

 「見守りたいでしょうが、集中できないので出て行ってください。その間家族に知らせに行ってはどうですか?」

 早口でそう言い、ヒーローは雰囲気から一刻も早く治療を始めたいという医者の気持ちを察し、頷いて入ってきた扉から出ようと手をかけ……背後を振り返って横たわっている孫娘を一瞥する。その顔に痛ましそうな表情が浮かぶ。

 そして、今度こそヒーローは外へと足を踏み出した。



 気が重い。

 ヒーローは自宅へ向かって歩き出していた。早朝ということもあり、行き交う人はまだ少ない。

 通りすがりに挨拶をしてくる村人に平静を装って言葉を返しながら足を進めていると、すぐに自宅へ着いてしまった。

 玄関の前に立ち、大きな溜め息を漏らす。

 治療に何時間かかるのだろうか。

 訊く暇さえなかった。

 いや、訊く余裕すらなかった。

 無事だろうか。助かるだろうか。

 そんな想いが頭の中を駆け巡り、居ても立っても居られない気持ちで支配されていく。

 だが、こうしてても仕方がない。

 ヒーローは意を決して、玄関の扉を開けた。



 静かに開けてみると、台所にリーサの姿もない。

 どうやらまだ眠っているようだ。

 扉を閉めて、履物を脱ぎ、床に足を乗せると体重でへこんで軋んだ音を立てる。

 とりあえず、起きるまで待っていようか。

 そう考えて、ヒーローはリビングの椅子に腰を掛け、息子夫婦のどちらかが起きるのを待ち構える。

 無意識に溜め息を漏らした。

 ―――なんと説明したらいいんじゃろうか……。

 両目の瞼を閉じて、逡巡し始める。

 それから数分後、起床したバッシュ寝室から出て来て父親の姿を発見し側に立つが、反応がなく、眉を顰める。

 普段ならば、ヒーローは敏感に他人の気配を感じ取るのだ。息子が目覚め動き出した時点で気が付いている筈である。

 存在にすら気が付かないのは稀だった。

 バッシュは目覚めたときに娘の姿が見当たらなかったことを思い出した。

 サリタンの姿が見えない事と関係あるのでは、と考え始める。

 「親父」

 そう声を掛けてみるが、反応はない。

 「親父」

 同じ言葉を繰り返しながら、今度はヒーローの肩をトントン、と叩いた。そうすると、はっとしたように目を開けて視線を合わせる。

 「ああ、バッシュか……」

 「親父、何かあった?あと、サリタンいないんだけど。知ってる?」

 「それが、な……説明するから、リーサを起こしてきてくれないか」

 何やら重苦しい雰囲気が漂っている。

 ―――これは、ただ事じゃないな……。

 「わかった」

 そう言うとバッシュは妻を起こしに寝室へ向かって歩き出した。

 数分後にリーサを伴ってバッシュが姿を現した。すぐさまリーサが居なくなったサリタンのことを訊こうとしてきたが、ヒーローは言葉を遮って、まずは腰を落ち着けるように勧める。

 リーサは素直に従って、バッシュも隣りへ腰を下ろした。

 「フウノはまだ寝とるか?」

 「ええ」

 リーサが返し、ヒーローは、「そうか」と小さく呟いた。

 黙り込んだヒーローが顔を俯け、それを見たリーサは、義父が再度口を開くまでの数秒を数時間にも感じた。

 やがて、意を決したようにヒーローが顔を上げる。

 「……すまん。あの子を……護れなかった」

 そう、一言告げると、既に最悪の事態を予想していたのか、リーサがすぐに悲鳴にも近い、掠れた声を出す。

 椅子に座っていなければ、泣き崩れていたかもしれない。

 両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めたリーサに苦しそうな表情を向けた後、冷静を努めて、バッシュは父親に視線を向ける。

 「どういうことだよ、親父。何があったんだ?」

 問われ、ヒーローはサリタンが突き落とそうとしたことを省いて一部始終を伝えた。

 話し終わってみれば、いつの間にかリーサも泣くのを止めて聞き入っていたようだ。

 リーサは涙を指先で拭うと、椅子からすくっと立ち上がった。同時に、ガタン、と椅子が音を立てる。

 リーサは囁くように言った。

 「いかなくっちゃ……医者(せんせい)のところに……サリタンの傍に」

 そして無意識に走り出すリーサの後を、バッシュが「待てよ!」と叫びながら追い、ヒーローも後を追うために重い腰を上げた。

 が、フウノの事を思い出す。

 置いてはいけない。

 ヒーローはサリタンの元へ飛んでいきたい気持ちを理性で抑えつけながら、未だ何も知らず、静かな寝息を立てて寝入っている少年の元へ向かった。


 それから間もなくして、フウノは目を覚まし、上半身を起こして目を擦る。そして傍に座っているヒーローと目が合うと、慌てた様にお辞儀をしてきた。

 「おはようございます」

 「おはよう。……よく眠れたかな?」

 「あ、はい」

 ふんわり優しく微笑むフウノに、自然にヒーローも口元が緩む。だが、サリタンのことを思い出して口元を引き結んだ。

 「あの……?」

 戸惑ったような表情で声を掛けてきたフウノに首を振って見せた後、「なんでもないよ」と優しく伝える。

 「さあ、着替えようか」

 「はい……」

 ヒーローはサリタンの服がしまってある箪笥の引き出しを開け、適当に一着選んだあと、フウノの着替えを手伝った。

 着替え終わってリビングへ移動すると、テーブルの上に置いてある、固いパンをミルクに含ませ柔らかくして、フウノに与える。

 フウノはいつもと違う雰囲気と、サリタンがいなかったことが気にかかりながらも、何も訊かずに朝食をすませた。



 数時間後、バッシュとリーサが帰宅した。

 逸る気持ちを抑えながら、ヒーローは口を開く。

 「サリタンは……?」

 リーサは黙ったまま俯いている。その様子を見てから、バッシュは口を開いた。

 「とりあえず、一命は取り留めたって。傷も、完治に時間かかるけど、うまく処置できたって。ただ……頭を打ってるから、意識が戻るのに時間がかかるかもって。それと……暫く安静にしなくてはならないから、預かるって言われた」

 「そう……か……」

 「親父、あんまり自分を責めすぎるなよ。サリタンは……もともと、子供にしては妙に大人びてたし……いつか起こってたさ。それが、たまたま親父が側にいた時だったってだけだよ」

 ヒーローは黙り込んだまま、喋ろうとしなかった。バッシュは側にいたリーサの細い肩を抱き、寝室へ促す。

 ヒーローの側にずっと立っていたフウノはサリタンが気がかりだったが、自分も会いに行きたいと言える雰囲気でもなく、黙って唇を噛みしめた。



 それから一週間後、ようやくサリタンを我が家へ連れ戻すことができた。

 ゆっくりと慎重に横たわらせ、あらかじめ用意していた綺麗なタオルを濡らし、唇や額、目元等を優しく拭いてやる。

 甲斐甲斐しく世話を焼くリーサを静かに見守っていたヒーローだったが、そっと口を開いた。

 「医者は、なんと……?」

 「そろそろ目覚めてもおかしくないそうなんですが……。とりあえず、様子を見るしかないと……」

 「……そうか……」

 思い空気が漂い、しばらくの間誰も口を開かず、横たわるサリタンを見つめていた。





 サリタンが戻ってきた日から、一週間が過ぎ、三週間が過ぎ、それが一ヵ月となり半年と、季節が移ろいで行く。




 しかし、依然として、サリタンが目覚めることはなかった。

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