出会い
チュンチュン、と小鳥の囀りが聞こえ、ヒーローは瞼を開けた。
上半身を起こすと、背伸びをして硬くなった筋肉を解し、立ち上がって着ている服を脱ぐと、壁際の箪笥から新しいそれを取りだして着替え、暖かみを失いつつある布団を畳む。
無言で頷いてから、ヒーローは歩き出して部屋とリビングを繋ぐ扉を引き―――…。
「……何しとるんじゃ?」
―――おおう、びっくりしたわい。危うくちびるところじゃった……。
薄暗い中、扉の前でぼわーと立っていたサリタンの姿に内心驚愕して、心臓がドックンドックンと激しく暴れていたが、それを表に出さないように繕いながら、問う。
サリタンはにっこり笑って、
「一緒にいく」
と告げてきた。
サリタンが偽りの笑顔を見せる寸前、一瞬だけニヤリとしたのをヒーローは見逃さなかった。
―――また何か考えておるの。
「よしよし、わかったわかった。ちょっと待っておれ」
そう言って、ヒーローは服を取り出した際に使った同じ箪笥の、別の引き出しを開けると、おもむろに縄を取り出し己の体に軽めに素早く巻き付けていく。
そして、巻き終わるとヒーローは立っているサリタンの元へ行き、疑問符が浮かんでいる孫の細い腰に縄の端を二周巻いて、強固な結び目を作った。
「これは……なんだ?」
口元をひくつかせながら訊いてくるサリタンに、飄々と答える。
「迷子紐じゃよ」
「なっ……ん……!」
ショックで開いた口が塞がらないサリタンを置いて悠々と先行くヒーロー。
その背中に、
「ちょっとまてこらああああぁぁぁぁぁ!!」
と、サリタンは地で叫んだ。
「これはずしてよ!」
自分を置いていったヒーローの背中に追いつくと、脇腹付近の裾を離すまいと思いっきり引っ張って足止めさせつつ、荒い呼吸を繰り返しながら訴える。
「だめじゃ」
「ぬ、あ……言うと思った!!」
「じゃあ戻るか?」
ニヤニヤしながら言ってくるヒーローの目は、笑っていなかった。
怒りでぷるぷると体を震わせながら、サリタンは理性を総動員させつつ、答える。
「いや……このままでいいです……」
ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえてきそうな状態のサリタンを置いて、またもやヒーローは歩き出す。
しかし。
「ふ……ふふふふふ……みてろよ、今日こそは……」
一人でぶつぶつと呟くように言っていたサリタンは、気が付いていなかった。
そうして、はっ、と我に返った時、既にヒーローはかなり離れた先を一人で歩いていた。
プツン、とサリタンの中で何かが切れた。
「まてえええぇえぇぇ! なんのための縄だあああぁぁぁぁ!!」
と大声で猛り全速力で追い掛ける。
大分先を歩きながらヒーローは小さく、
「こういう時のためじゃろうが」
と呟いた。
再度追いついたサリタンは、今度は置いて行かれないようにきっちり距離を詰めて歩いていた。
ふと、以前一人で歩いていた時とは違って、歩きやすいなと思ってから、気づく。
そもそも道が違うらしい。
ヒーローが通る道だけ、僅かだか草が折れ曲がっていて、葉が茂っているにも関わらず、そこまで邪魔にならない。自分はヒーローのすぐ後ろをついて行っているのだから、歩きやすいのも当然のことだったのだ。
ほんの少しだけ、感心した。
だが。
それはそれ、これはこれ。
にやり、とサリタンは笑う。
ヤるなら、今しかない。
右のポケットにゆっくり手を差し入れて、忍ばせておいた小型ナイフを取り出す。音を立てないように慎重に刃を立てて、目前を歩いている背中を見据えた。
そして、ゆっくりと、ナイフを持った手を胸の前に持ってくると、一歩足を踏み出し背中に襲い掛かった!
……はずだったのだが、背中に刺さる予定だったナイフは宙を裂き、目的の相手は猛ダッシュで前方を走っていた。
「ぐ、おおおおおおおぉぉぉぉぉ!! 待たんかあああああぁぁぁぁぁ!!」
雄叫びのような声が森中に轟いだ。
長く続く縄を適当に巻きつつ、サリタンは走って追いかけていく。
魔王だった時はもっと力もあり術も使えて、対等な関係であったのに。
一方的に開いているこの差が、悔しい。
額に滲んでいる汗を拭うこともせず荒い呼吸を繰り返しながら走り続けていると、やがて遠目にだがヒーローの姿をその双眸に捉えた。
―――ん?もう一人小さいのがいるような……。
自分のことは棚に上げて、そう思うサリタンだった。
足音で気が付いたのか、ヒーローが走ってくるサリタンを見る。
近づいて行ってサリタンは気が付いたが、小さいものの正体は、同じ年頃の子供だったようだ。完全に追いつくと、サリタンは肩を上下に揺らしながら、ゆっくり歩き、立ち止まる。
流れてきた汗を、手の甲で拭った。
無言で見つめるサリタンを見遣ったあと、ヒーローは傍に佇んでいる子供に視線を移した。
「サリタン、今日はこのあたりにして、戻るぞ」
静かに告げられた言葉に文句が出かかったが、寸でのところでやめておく。
ヒーローは、サリタンが回収し手に持っていた縄を取ると、己の肩にかけ、サリタンの背中を右手で優しく押して促しながら、左手ではもう一人の子供の細い肩を掴み、誘導する。
歩きながらサリタンは背後を振り返り、目の端に一匹の魔物の死体を捉えた。
そうして、ヒーローは二人の子供を連れて、森を後にしたのだった。
家に帰宅すると息子夫婦は驚いた様子だったが、リーサは泥だらけとなっている少年の身体を綺麗にするために、共に姿を消した。
三人になったところで、少年から聞いた話を、息子に話すため、口を開く。
「なんでも、早朝からこの村に引っ越す為に移動していたらしいんじゃが、その際運悪く魔物に出会い襲われたそうじゃ。両親は少年に逃げろといって、あの子もそれに従って逃げていたところで、わしに会ったのだと。わしはあの子の両親がどうなったのか確認するために家を空けるから、あとは頼んだぞ」
そう言い残し、ヒーローは玄関の扉をくぐって出ていった。
ヒーローが消えた扉を見つめていたバッシュだったが、その視線をサリタンに向けて、微笑む。
「お茶でも飲んで待とうか」
そう言って台所に立つと、食器をカチャカチャ言わせながらお茶の準備を始める。そんなバッシュの背中を見たあと、サリタンは一番近くにあった椅子まで移動し、腰を下ろした。
じっと待っていると、やがてサリタンの目の前にコップが置かれる。
飲んでみると、人肌の温度に温められており、飲みやすかった。
二口飲み、一息つくとカタン、と音がして視線を走らせてみれば、すっかり綺麗になった少年とリーサが歩いてきていた。
リーサはサリタンの隣りの椅子に少年を座らせると、お茶をコップに淹れるために台所へ立つ。
サリタンは突然隣りに座った少年の方に、ゆっくり視線を向ける。
すると、相手も見ていたのか、グレーの瞳と視線が絡み合あった。
濃い、綺麗な灰色の瞳に、黒髪を持つ少年が、おずおずと柔らかい笑顔を向けてくる。
サリタンは突然、カシャンと音を立ててコップを置き、席を立つと背中を向けて寝室へ歩いていく。
コップから零れた緑色の液体は、テーブルの上に小さな水たまりを作っていた。
寝室へ入るとすぐさま扉の陰へ、身を隠すように滑り込む。
ギリ、と歯ぎしりしながら無意識に作っていた拳に力を入れる。
「あいつ……嫌いだ……!」
小さな声で呟いたそれを、誰も聞くことはなかった。
ただ、その言葉を呟いたサリタンは、とても苦しそうであった。