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迷える子羊

 昨晩、早めに寝たサリタンは明け方に目を覚ました。視線を窓の外へ向けるとやはり暗い。

 しかし、これも計画の一部。

 早朝はヒーローが起きて外へ出ていく為、自分が誰にも気づかれずに行動できる時間など限られている。故に、真夜中に出ると決めたのだ。

 リュックの場所は先日出かける準備をしていた母親がどこから引っ張り出すのかを見ていた為、すでにしっかり確保した上で、食べ物用だったが小型ナイフも入れた。

 準備万端である。

 あとは。


 サリタンは暗闇の中ゆっくりと立ち上がって、二人を起こさないようにそっと歩く。音を立てないように己が通れるほどの隙間を開けた後、するりとリビングへ抜け出して、注意しながら閉める。その際二人が寝息を立てて眠っているかの確認も忘れない。

 きっちり扉を閉めた後、サリタンは着ている服の中に手を突っ込み、隠していたリュックを取り出した。

 ナイフは刃が柄の部分に仕舞えるようになっているタイプだったし、他は何も入れてないため薄いので、お腹に隠していたのだ。

 サリタンはリーサが引っ張り出していた記憶を頼りに、棚の中を探って目的の物を手に取ると、目を凝らして、確認する。

 小さい手が掴んでいるのは、竹で作ってある水筒だ。

 リーサは小さいサリタンがいつでも飲めるように、木で作られた器に水を溜めてくれている為、埃が入らないように被せてある蓋を開け中身を水筒へ移すと、同じく側に置いてあった鮮やかな紅色をした瑞々しい林檎を一つ手に取って、両方ともリュックへ入れる。同時にナイフだけは、いつも好んで穿いているズボンのポケットに仕舞った。

 リュックを手にしたまま、サリタンは静まりかえっているリビングを歩く度に、床が軋んで立てる、予想以上に大きく響いて聞こえる音に恐々としながら歩を進め、無事誰に気づかれることもなく家から出たのだった。


 外にでるとやはりこちらも静まり返っていた。人通りもなく、暗闇に支配されている。

 サリタンは歩きながらリュックを背負うと、走り出す。

 もしここで誰かに発見され、見咎められたら面倒だ。

 砂埃りを立てながら走り続けて数分後、サリタンは森に辿り着いた。鬱蒼としており、何かの動物の鳴き声らしきものも時々耳に届く。

 サリタンは一歩足を踏み出して、森の中へ入っていった。


 整備はされていないのか、長い草はサリタンの胸の辺りまで伸びている。まだ涼しい季節な為、丈の長い服を着ているのが幸いだった。

 そうでなければ今頃、草によって、細かい切り傷がいくつも出来ていただろう。

 ―――さて、アレがいたのは、どちらだったか……。

 方向を考えながらて足を進めていると、サリタンは足先に何かの感触を覚えたあと突然倒れこみ、ついで体中に衝撃を受けると同時に腕と足に痛みを感じていた。

 どうやら木の根に引っかかって、転んだようだった。

 そう気が付くのに、数分掛かった。なにせ辺りは暗く草も視界の邪魔をし、目を凝らしてすらはっきりとは見えないのだ。

 サリタンは立ち上がって、とりあえず全身に付着してしまった砂を手で払いのける。

 砂で両手も服も汚れてしまったことを苦く思いながらも、歩き出した。

 止まっている暇はない。日が昇った後でサリタンが居なくなったことに三人が気が付けば、騒ぎ、捜し始めるだろう。

 そうなる前に。

 せめて捜し当てられる前に、用事を済まさなければならない。

 しばらく歩いていると、今度はおでこから足に掛けて硬いものにぶつかり、反動で背中からドサッと音を立てて倒れこむ。

 「ぐっ・・・」

 上半身を起こして、前方に腕を伸ばし、原因のものに触れる。

 硬く、かさついた感触。

 「木・・・!」

 腹が立ってきた。

 起き上り、足底で力一杯蹴リ始める。

 しかし、馬鹿馬鹿しく思いすぐやめると、さっさと歩き出した。

 それからというもの、視界の悪さが祟り、小石に躓いて転び、何もない所で転び、枝に引っかかったり、そうかと思えば肩をぶつけたり等、散々な時間を過ごすのだった。

 おかげで転んでできた擦り傷や、大木にぶつかって出来た打ち身などで服は汚れ引っかいて穴も空いてしまった。

 そして一番問題なのが。

 「こ……こんなに……弱いとは……」

 自分に体力がないことだった。

 足はふらふらで、怪我した個所は痛みを全身に伝え、歩くことすら難しくする。

 「だ、だめだ、もう……」

 はっ、はっ、と荒い息を全身で繰り返しながら、傍にあった大木に背中を預け、ずるずると座り込む。空を仰いで呼吸を繰り返す。

 どのくらい経ったか。しばらくそうして息を整えた後、背中のリュックを下ろして、中から水筒を取り出すと、ゴクゴク喉を鳴らしながら水を飲みこんだ。そして汚れた手に水を掛けて、一旦綺麗にする。

 次に林檎を取り出して思い切り噛り付いた。

 シャリ、と心地よい音と共に林檎の甘酸っぱい香りがサリタンの鼻孔をくすぐり、ついでに胃も膨れていつの間にか感じていた空腹感が消えうせる。

 食べ終わると、リュックをまた背負い、歩き出した。

 それからは、慎重に歩を進めては無理をせずに足を休めた。だが、周囲を見渡すことも忘れなかった。

 「それにしても……こんなに遠かったか……?」

 先日丘から見下ろした時は、すぐに辿り着けると思ったのだが。

 実際歩くとこんなにも違う。

 と。

 ふと足を止めた。

 両手の平を胸の辺りで空に向け、見つめて。

 気が付く。

 そう、なんという……小さな、手。

 「ああああああああ!! そういえば、今は子供であった!!」

 前世は大の大人であったし記憶が健在な為、つい今は子供であることを忘れ、魔王としての視点で物事を捉えてしまっていた事に気が付く。

 開いた口が塞がらないまま、脱力して両手と両膝をガクリと地に崩れ落ちる。

 「あああああああああぁぁぁぁああうあぁぁあぁぁ! なんということだ! なんという……」

 背中に絶望という文字が見えるような落ち込みっぷりである。

 それから、復活するのに裕に十分はかかったが、なんとかサリタンは気を取り直して歩き出し始めた。

 草を掻き分けながら進んでいると、ふと、いつの間にか周囲が薄暗いことに気が付いた。

 空を仰いでみると、白みゆく姿がその双眸に映る。

 「もう、日が昇ったか……」

 その声色には、疲れが滲んでいた。無意識に溜め息を漏らし、また、足を動かす。

 何メートル歩いたかという所で、耳が草がガサガサ動く音を拾った。

 捜しているモノか、蛇か、または違う動物か……。

 右手をポケットの中に入れて、小型ナイフを握り取り出す。そして、間合いを取るために、ゆっくりと一歩、また一歩と後ろに下がる。

 身構えて、何が出てくるか警戒していると、突然白いものが飛び跳ねて姿を現した。

 それは、小さい、つぶらな瞳の白いうさぎだった。

 無意識に止めていた呼吸を再開し、溜め息を吐く。

 「なんだ、うさぎか……」

 呟いてナイフは握りしめたまま歩き出す。

 静まり返っている森の中に足音が響き渡る。ふいに、小鳥の囀りが聞こえてきた。

 歩きながら空を仰ぐと先刻より高い位置に太陽が移動していることに気づく。

 「もう居ないのは知らているであろうな……」

 そう独り言ちたところで、また、傍の草が音を立てて揺れた。

 またうさぎか、と思いながらも一応は距離を取る。

 だが。

 予想外の、唸り声が聞こえた。

 グルルルル、と。

 一気に、現実味が湧いた。

 死が、近い。

 無意識にそう感じて、背筋を伸ばし体が緊張する。顔が強張って、冷や汗が背中を走った。ぐ、と力を入れてナイフを握りしめる。

 命綱はナイフだけ。


 魔物であったなら。


 そう願う。

 しかし、草を掻き分けて姿を現したのは。


 一匹の、白い毛色の狼だった。

 憎々しげに鼻の頭から頭部にかけて皴が寄り、獲物にいつでも噛みつけれるように開かられた口には、涎で濡れ、鈍く光を放つ鋭い牙が4本見える。その鋭い目は真っ直ぐサリタンを見据えていた。

 「くっ……」

 腋を締め、ナイフを構える。

 狼は唸り声を上げる。

 数秒、どちらも動かず視線だけがぶつかり合い、火花を散らす。

 目を逸らせば、終わる。そう感じた。

 沈黙を破ったのは、狼だった。

 前後の足をばねに勢い良く身を屈めたと思うと一瞬で地を蹴飛ばして空中へ舞い上がる。

 天から差しこむ陽光が、狼の足の爪に当たって鋭い光を放った。

 ああ、抑え込まれたら終わるな、とやけに冷静に考える自分がいた。

 顔面に迫る狼を、片足に重心をかけ真横に飛び跳ねることで、ぎりぎり躱すが、全てを避けることはできず、爪が額を掠った。だが、狼と距離は離れる。素早く振り返って、向き合う。

 いつの間にか、白い色の額に血が滲み始めていた。

 そこで、ふと思い出した。

 そっと手を前方に突き出し、人差し指を伸ばす。空中に、まるで絵を描くように。やろうとしているのは、魔術。

 手始めに円を描こうと空中に指を滑らすが、前世の自分が為せていたような、燦々たる青白い光は出てこない。

 それは、生まれ変わった自分には、魔力が皆無であるということを示す。

 無意識に舌打ちをする。

 意識が逸れたその一瞬の隙を突き、再び狼が襲い掛かってきた。

 咄嗟に体を屈め、懐に飛び込むと持っていたナイフを狼の腹に突き刺す。

 その瞬間、確かな手応えを感じた。刺したナイフを、倒れこむように前に出る自身の自然な動きに任せるまま抜こうとするが、予想外に深く刺さっているのか、するりと手から抜けてしまった。

 瞬間的に、やばいと悟る。

 倒れこまないよう、体制を立て直すため反射的に二、三歩足が進む。耳に、何かがどさりと地に倒れるような音が聞こえた。素早く振り返って状況を確認する。

 その瞳が捉えたのは、倒れたはずの狼が、すぐさま起き上りサリタンを睨み付けるところだった。

 唯一の武器のナイフはもうない。魔術も使えない。


 ―――こんなところで……こんな風に。


 「終わるのか……」

 じり、と狼がゆっくりと前足を出し、若干距離が縮まる。

 縮められた距離を、後ろに一歩足を引いて、延ばす。

 ほんの、数秒。

 そののち、跳びかかってきた狼の姿が目に映った。

 覚悟を決めたはずなのに、人とは不思議なもので、自然に避けようと足が後ろへ下がる。

 狼の前足が目の前にくる。

 サリタンの重心は後ろに引いた片足にかかり―――。

 突如。

 足元が崩れる感覚。

 浮遊感。

 空が見えた。そして狼の鋭い爪と、恐ろしい顔と、牙。

 背中に衝撃が走った。砂埃が舞って、呼吸が出来ない。ごほごほと咳き込む。

 目に何かが入って、痛みを感じ、涙が滲む。瞼を閉じる。

 数秒して、伏せていた瞼を開けた。

 最初に目に映ったのは狼の姿。でも、遠い。

 周りを見渡すと、むき出しの土があった。

 小石や、植物の根らしきものが、所々から伸びている。

 再度顔を上げた。そうして理解する。

 どうやら、誰かが作った、罠に落ちたらしい。落とし穴だ。

 落とし穴で、命が救われたのだ。

 突然、狼が声高らかに遠吠えを始めた。

 ―――仲間を呼ぶ気か。

 避けねばならない事態だが、小さい自分では決して届かない地上。例え戻れたとしても、希望を繋げる手段すらない。ヒーローに復讐できなかったことだけが心残りだ。

 そんなことを考えていると、僅かに鉄のぶつかるような音が聞こえた。

 聞き間違いかと思い、耳を澄ます。けれども継続的に、それは次第に大きく聞こえるようになってくる。

 サリタンは、永遠とも感じるような数秒を、ただ待った。

 すると、勢いよく何かが飛び出したような草の立てる音、鉄の音、空気が裂けたような音、そして、狼の鳴き声が耳に届く。

 ひたすら上を見ていたサリタンの双眸に映ったのは、見知らぬ青年の顔。鎧を着こんだ……。

 ―――騎士?

 「あらま。よう嬢ちゃん、大丈夫かい?」

 そう声が掛けられて、サリタンは詰めていた息を、吐いた。

 「……はい」

 「そうか、よかった。よーいこっちだ、こっちー」

 ふいに視線をサリタンから逸らして後者の言葉を叫ぶ青年。声を聞きつけてか、草を掻き分ける音とほぼ同時にもう一人中年の男が姿を見せた。

 「……これは?」

 「さぁ」

 男二人が顔を見合わせながらそんな会話をする。そこへサリタンが口を挟んだ。

 「ここから出たい」

 思い出したように二人の視線が向けられて、若い方がひょいと穴へ降りた。

 それに目を見張る。

 ついで、サリタンを片腕で抱き上げたかと思ったら、上に立っている中年の男に、物のように渡されて、地に下ろされる。

 若い男と中年の男がお互いに手を伸ばしあって、後ろに引く反動で若い男を引き上げた。

 「とと。さて、嬢ちゃんは……どこの出だい?」

 若いのに話しかけられて視線を合わせた。

 ―――どこ? ……村?

 「……知らない、名前。でもここから近いと思う……」

 すると、苦笑した中年の男に若い方が話しかける。

 「近くって言ったら、英雄ヒーロー様が住まう村だけっすよね?」

 「ああ、そうだな……」

 ピクリ、と耳が動く。

 「知ってるよね?英雄ヒーロー。君の村にいた?」

 にこにこして話しかけてくる若い男に、憤りを感じながら、それでも声は抑えて答える。

 「居た」

 「おおおーラッキー! 会えるっ!!」

 ガッツポーズをする若い男を、サリタンは睨み付けた。だが、二人は気づかない。

 そして、サリタンは二人に連れられて村へと戻り始めたのだった。

 だが、歩き出して数分後にサリタンは中年に抱え上げられた。抵抗したが、こちらの方が早く着くといわれ、それもそうだと納得する。

 自分に合わせていたら夕方になるだろう。

 体中が痛むし、御免こうむりたい。

 しかし、歩かないとなると疲れからか眠気が来るもので、次第にサリタンはうとうとしてきた。

 中年の男が歩くたびに、心地よい揺れに誘われて、危うく目を閉じそうになっては頭を振って目を覚ます、ということを何度も繰り返し行う。

 ―――だめ、だ……もう……。

 そう思った時。

 「着いたぞ。ここか?」

 その声で我に返り、目を瞬いて前を見据える。

 そう、目に映ったのは、確かに自分がいた村。

 声に出さず、頷いた。 

 「よし、じゃあ家を……」

 「サリタン!!!」

 その時、横の方からよく知った女性の声を、耳が拾った。

 視線を声がした方へ走らせると、母親のリーサが瞳にいっぱい涙を溜めて見つめていた。次から次へと溢れ出た涙が頬を伝って、地面に吸い込まれてゆく。口元を覆っていた両手が、前方にまっすぐ突き出され、開く。そのまま駆けてくる。

 知らないうちに下ろされていたサリタンは、気が付けば痛いほど強い力で抱きしめられていた。

 身体が悲鳴を上げた。

 だが、なんとなく。我慢した。

 耳元で名前を繰り返し囁く声。今まで気づかなかった、母親の匂い。



 そして、サリタンの意識は途切れた。


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