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感慨

 小鳥の囀りを耳が拾って、閉じていた目を開ける。窓から差し込む陽光が顔に当たって眩しい。ヒーローは反射的に右手を目の前で翳し、避ける。

 それから上半身を起こし欠伸をした後、朝の鍛錬の準備をするために立ち上がるのだった。


 サリタンは知っている。

 ヒーローは毎朝決まった時間に起床し、それからしばらくした後、散歩に出ていく。それから数十分は、あの部屋は空いている。

 両親も、眠ったままだ。

 完全に自分はノーマーク。

 上半身を起こしたサリタンは、扉が軋んだ音を立てて、開いたあと、閉じられる音を聞いていた。そして数分間を何時間のように感じながらも充分に待ってから、床を這ってヒーローの部屋へ向かう。

 自分が起きた気配で、父親の意識が浮上したことなど、知る由もないままに。


 ヒーローの寝室前まで辿り着き、サリタンは音を立てないように気を付けながら扉を引いて、中を覗き、改めて主が不在なのを確認してから部屋へ侵入する。

 そして、扉はきっちり閉めた。

 サリタンは壁に左手を付きながら、足腰に力を入れて、立ち上がった。

 そう。

 筋肉を鍛えるために、この部屋に来たのだ。ここでなら誰も知らないうちに、こっそりと強くなれる。

 まずは、壁に手を添えたまま、部屋を歩き回ることから始めた。

 余裕で出来る。

 そして壁についていた手を離し、慎重に、一歩足を踏み込んだ。

 一瞬倒れそうになったが、なんとかバランスを整えて、凌ぐ。

 そのまま、小さいテーブルに向かって、一歩ずつ、慎重に足を進めてゆき、無事に辿り着くと達成感が湧きあがった。思わず顔がにやける。

 そして、視線は壁の隅に立て掛けられている、竹刀に向けられた。

 そちらに向かってゆっくり歩いていき、竹刀を手に取る。

 その瞬間、予想外の重さに耐えきれず、ぐらりと体が傾き、倒れこんだ。けれどすぐに起き上って、今度は壁に手をついたまま、こぼれた竹刀を拾う。

 やはり重い。

 ふぅ、と息を吐いて、サリタンは壁に背中で凭れかかり両手で竹刀を横にして握りしめると、上下に振って、腕の筋肉を鍛え始めるのだった。


 その様子をしっかり見届けていたバッシュはそっと扉を閉めて、首を傾げながら側にある椅子の背中に凭れかかる。

 「うーん……よく分からないな……まだ」

 そう小さく呟いてから、バッシュは欠伸をして体を伸ばすと、惰眠を貪るために寝室へ戻るのであった。



 サリタンが、復讐の足がかりにするために鍛錬を優先するようにしてから、筋肉はメリメリとついてゆき、やがて一歳の誕生日を迎えた。


 

 その日はまるでお祭りのようで、サリタン自身も悪い気はしなかった。

 リビングは花などで華やかに見せ、紙でつくられた飾りは壁に止めてあり、テーブルの上には花弁の形をかたどった桃色のそれが、点々と貼り付けてあった。そして中央には小ぶりながらも色とりどりの果物が切って、乗せて作ってあるケーキという食べ物と、大人たち用と思われる食べ物が並んである。

 椅子に座らされて、様子を見ていると、リーサが食べ物を装いだした。配り終わると微笑んで口を開いた。 

 「誕生日おめでとう、サリタン。ここまでよく健康で育ってくれたわね。お母さん、とっても嬉しい」

 そう言って、柔らかい頬を撫でてくる。

 バッシュやヒーローもにこにこと嬉しそうに笑っていた。

 その後は、きつい臭いがする飲み物を男達が飲みながら、上機嫌なのかいつもよりよく喋っていた。なぜか、頬が少し赤くなっている。

 リーサはそんな二人に微笑みを向けながら、サリタンにご飯を食べさせる。

 サリタンより周りの大人達の方が楽しそうだったのが印象的だった。


 ケーキとやらは大変美味であった。


 誕生日会も終わり、大人達は寝る準備を始める。サリタンも普段着から違う服に着替えさせられて、布の上に寝かせられた。

 すると、お腹のあたりを優しくトントントン、と叩かれる。

 いつもこれをされて、なぜか眠たくなっていつの間にか眠っているのだ。

 そして、やはり今も、サリタンの意識は薄れてゆき、知らぬうちに暗闇へと落ちていったのだった。


 その真夜中、サリタンは目が覚めた。

 バッシュとリーサは静かに寝息を立てていて、よく眠っていることがうかがえる。

 そっと体を起こしたサリタンは、両足で立ち上がった。

 そのまままっすぐ歩いてゆき、扉を静かに引いてリビングを挟んだ向かいの部屋を見つめる。

 音はしない。

 慎重に足を踏み出して、扉を閉めると、ヒーローの部屋へ向かう。暗闇の中でも、目が慣れて僅かにだがテーブルなどの位置も認識できるし、どこになにが置いてあるかは頭の中に入っている為、歩けるようになった今では危険はなにもない。

 ヒーローの部屋の扉の前に立ち、前回は目の前に二本足が生えていた事を思い出しながら、ゆっくり扉を引いて、中を覗く。

 開けた途端、耳が静かな寝息を拾い、ヒーローは夢の中にいるのだと教えてくれる。

 にや、と笑いサリタンはそっと部屋の中へ侵入し同時に後ろ手で扉を閉めた。

 ―――ついに、この時が来た……!

 逸る想いを抑えながら、サリタンは静かに足を進めて、何度も使いすでに手慣れている竹刀を手に取り、今では少し軽いと思えるようになったそれの感触を確かめると、ゆっくり振り返りヒーローを見る。

 心臓が、緊張と期待で高鳴る。

 ヒーローに聞こえて起きやしないかと、心配するほどだ。

 一歩、また一歩と足を踏み出し、仰向けに寝ているヒーローの真横に立った。

 まずは、右腕。

 両手で握りしめた竹刀が、無意識に滲んだ汗で濡れる。

 ゆっくりと深呼吸をし、竹刀を持ち上げて。

 右腕に目がけて一気に振り下ろした。

 風を切る音とほぼ同時に、バシン!!と静かな部屋に似つかわしくない音が反響する。

 ところが。

 狙った右手は、華麗に竹刀を避けて胸をポリポリと掻いていた。そして気が済んだのか、元の位置に右手が戻ってくる。

 怒りで、ぷるぷるとサリタンの小さい体が震えた。

 暗闇の中、サリタンの瞳が鈍い光を放つ。

 殺気を身に纏い、躊躇なく竹刀を振り上げると頭を狙って一気に振り下ろした。

 が。

 今度はあろうことかヒーローは起き上ったのだ!

 一瞬でサリタンは固まり、次にはあっちの方向を向いて床を竹刀でバシバシ叩いて誤魔化す。顔は引きつり、心臓は先刻とは違う意味でバクバク暴れだし、背中を嫌な汗が流れる。

 竹刀の音が間近で聞こえたためか、ヒーローは孫の存在に気が付いて嬉しそうに笑った。

 「お~サーちゃんじゃないかぁ~おーよしよし、おじいちゃんと一緒に寝まちょうね~」

 ―――な、なんだと!?

 そう思ったのも束の間。間髪入れず背後から力一杯抱きしめられ、サリタンの骨が悲鳴を上げると同時に心の中で叫び声を上げた。

 ―――ぼぎゃああああぁあぁぁぁあぁ!!

 はぁ、はぁ、と苦しそうな息遣いが絶え絶えに部屋に響く。

 「ひ、ヒーロー……いつか、ころ……す……」

 虫の息になったサリタンの言葉は、掠れていた。



 その後、度重なる努力により、ようやくヒーローの腕の中から脱出できたサリタンは、体中の痛みに耐えながら久しぶりに床を這って虫の息のまま寝室へ戻ると、意識を手放し死んだように眠りについた。


 翌朝、目覚ても、あまりの痛さに動けずにいると、気が付いたのか心配したリーサが声を掛けてきた。

 「サリタン、どうしたの?どこか痛いの……?」

 サリタンはつい声を出しそうになったが、頷くに留める。

 痛いところがあると知ったリーサは慌てて出かける準備をしだした。リビングに出ていったリーサが、バッシュに話しかけられてお医者様へ行くと説明している声が聞こえてくる。

 ついで、僕も行こうか?という言葉と、お願い、と答えるリーサの声が耳に入った。

 夫婦揃ってサリタンの前に姿を現すと、バッシュが腕を伸ばしてきてそっと抱きかかえられた。寒くないようにと、リーサが軽い布をお腹に掛けてきて、バッシュがそれで上手にサリタンの体をくるむ。

 サリタンを抱えたまま二人は急いで家を後にした。

 医者が住んでいるという小さい家に着くと、入る前にノックをする。数秒の後扉が開かれて、女性が姿を現した。

 中へ促され入ってみると、子供、大人、老人が数人程立っていた。

 サリタンと同じ頃の年頃の子供もいる。

 サリタンは今まで無言で通してきたが、それは間違いであったと知る機会を得た。

 待っていた様子の子供は立っていたり抱かれていたりはするが、誰もかれも一緒にいる親らしき者に対し、パパ、ママと呼んでいるし、痛いのやーだとか他にもよくわからないことを色々喋っていた。

 今まで自分は、何もわからないから、危険なことはすまいと避けてきたのだ。

 だが、これからは多少話すようにしようと心に決める。

 演技というのは、至極面倒だと感じた。


 順番が回ってきて、医者と思われる中年の男が、どうしたのか訊いてきた。

 「痛いか訊くと、頷くんですが……」

 一言リーサが小さい声で言うと、医者はバッシュに子供を下ろせと動作で指示し、逆らうことなくバッシュもサリタンを下ろしてから布を取り、椅子に座れと促す。

 サリタンは医者の目をまっすぐに見つめた。

 「さ、どこが痛いんだい?」

 訊かれてしばらく考えた後、一言告げた。

 「ここ」

 そう言って、胸や背中を触って示そうと体を動かそうとするが、腕にも痛みが走って顔をしかめる。

 その様子を見て見当がついたのか、医者は優しく、次第に強く手に力を加えながら触診していく。そして、静かに口を開いた。

 「打ち身みたいな感じですね。もしかしたら今から痣になるかもしれませんが。とりあえず薬を出しますからそれを塗って、安静に。2週間くらいかな、様子見てください」

 そう言って、包帯と小さめの陶器を渡され、リーサが受け取るとバッシュが感謝の言葉を告げて、リーサとサリタンを促しその場を後にした。

 医者の家から出ると、いつからいたのかヒーローが立っていた。

 「親父、どうしたの?」

 「……サリタンは大丈夫だったか?」

 「ああ、うん。打ち身みたいなものだって。心配ないってさ」

 「それはよかったのう」

 嬉しそうに言って、己が原因とは欠片も思わないヒーローはサリタンを笑顔で見下ろした。

 見られたサリタンはぷいっとそっぽを向く。

 ヒーローは苦笑し、バッシュへ視線を戻した。

 「ちょっと……丘の方へいってくるよ」

 「ああ……あの日か。気をつけて」

 「ああ」

 それを最後に、ヒーローはすれ違いざまにサリタンの小さい頭を優しく撫でると、去って行った。

 その後姿をじっと見るサリタン。そしてそんな様子の娘を見つめるバッシュだったが、やがて、

 「ほら、いくよ、サリタン」

 と声を掛けた後、よいしょ、と呟きながら愛娘を抱え上げ、己の逞しく広い肩に、サリタンの小ぶりのお尻を乗せ、右腕で落ちないように支えながら、自宅へ向かって歩き出した。


 帰宅すると、部屋に入って、そっとサリタンをおろし、座らせる。タイミングよくリーサが入ってきて、サリタンの服を脱がし、薬を優しく塗り込んで包帯を巻いていった。再度服を着せて、片づけをしているリーサをじっと見つめる。

 それに気づいたリーサが、口を開いた。

 「なぁに?」

 しばらく逡巡した後、側に立って見守っていたバッシュを見、リーサに視線を戻した後、小声で呟くように言う。

 「……ママ、パパ。」

 その瞬間、二人が一斉に目を見開いてサリタンを見つめる。

 その眼差しに、サリタンは気まずくなり、口元が少し引きつった。

 が、リーサが突然腕を伸ばしてきて、抱きしめてくる。

 「った……」

 つい、痛みから声を漏らした。すると、我に返ったのか素早く腕を離したリーサが、涙を滲ませた瞳で見つめてくる。

 「ご、ごめんねサリタン。初めてママって呼んでくれたから、う、嬉しくって……」

 声を震わせてそう言いながら、目元に溢れ出そうになっていた涙を細い指で拭う。

 バッシュはそんな妻を愛おしそうに見ながら、微笑みを湛え、そっとリーサの肩を掴み寄せる。

 その様子を数秒見ていたサリタンは、起きているのが億劫になって、身体を静かに横たえた。

 サリタンの意を汲んでか、そっと体に布がかけられて、床が軋む音と共に重そうな足音が遠のいていく。

 その音を聞きながら、サリタンは思う。


 ―――本当に、人間は面倒だ。


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