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管理社会

作者:


 二十一世紀が三百六十五日を何度も超えて終焉を迎えたのは、とうの昔のことだ。その間に幾重にも生物の歴史が体積した地球という太陽系の惑星で、人が互いに身を寄せ合ってお天道様を見上げるばかりだった時期も、遥か昔に終焉を迎えた。というのも、人々は宇宙に進出し、地球に足を接着剤で密着させていた状態を、自由にしたからだ。無重力地帯、宇宙での営み。地に足がつくことのできないもどかしさを抱えながら、宇宙の広大さと比較すれば赤ん坊よりも小さく無力に弄ばれ、何度も嘆いた宇宙を望む人類は、しかし時と共に宇宙への移民を成功させていく。スタンディングオペーションと拍手と共に。そうして成功を積み重ねながらさらに時間が進んでいけば、人類という種は地球人と宇宙人、としても枝分かれしていった。宇宙の中での赤ん坊が、成長して成人し、地に足を付けずとも生活を成立させるのは原始人からすれば夢でも見ないことだろうが、現実にはそういった時期が訪れたのだ。

 宇宙へ進出した人々。地球と繋がっていた臍の緒を、人類は外した。

 そして、地上は地上で、かつての世紀では考えられぬ形態を持つようになっていた。

 赤ん坊は胎内より産まれ出でた時には臍の緒をひっつけて栄養を送り続けてもらっていたわけだが、幼児の時も子供たる時も大人になりし時にもどうやら他者から栄養を送ってもらい続ける行為は変わらないらしく、頭脳へと知識接続リンクが常に備わる管理社会内部にて生きれば、もうほとんど『個性』という言葉は、死語となった。

 身体を保つ、たんぱく質、炭水化物、ミネラル。

 個人に個性を感じさせない、コントロールされた、そのことで発生する不満も社会側からのアプローチで処理される。個人は社会にコントロールされて、これによって個性を失い、その代わりに、死期まで計画されてはいるが実に安全で快適な、管理され続ける暮らしを得る。

 地上に住まう彼らは、システムの楽園にて、喜怒哀楽さえ他者に委ねることでその身に死をもたらさない。管理社会から『あなたは死ぬ必要があります』と告げられる時がやってくるまでは、生きて生きて生きられる。

 システムの楽園は、システムの牙城とも言い換えられるだろう。

 強靭な、決して破られぬであろう完成されたシステムは、人類の積み重ねによって作られた試行錯誤の結晶体。決して崩れず、滅びず、すべてを予想する。

 地上ではもはや国境という壁を建築する必要性は消失し、もちろんそのすべての壁が取り払われたわけではないのだが、人類の遥か過去から連なる歴史の中では無数に地割れのように走っていた地図上の国境線は、その数を非常に少なくした。いや、少なくさせられた。完全に構築され尽くした、システムという人類の手段によって、人は『国』という言葉でさえも死語へと変えたのだ。

 戦争と呼べるものは、滅多に起こらなくなった。

 病気という人類の難問はほとんど解かれる。

 人と人があれば必ず発生していた軋轢なども、システムがその間を上手に取り繕うことで解決されるし多くは未然に防がれる。

 昔の人ならば天国とでも評するような、すばらしい空間で、理想の生活。

 一例でいうと、集合住宅地で散歩を終えて自室に戻ろうとする途中の老人と、顔見知り程度の仲の中年女性が舗装道で出くわし、老人が彼女に向けて挨拶をしたとする。すると彼女がたとえば他のことを考えて気が紛れていたとしても、確実に老人への注意が傾くように出来ていて、挨拶を老人へと滞りなく返すことができるだろう。各人の脳に埋め込まれた管理のためのナノ・チップが、人の生活を様々な形で補助するのだ。

 ナノ・チップは知識接続リンクを可能とし、キッチンで料理を作りたいと思った時に、食材が冷蔵庫に何もないことに即座に気がつかせた上で、その人物が今もっとも食べるべき料理をいくつか候補として選出し、当人に選ばせた上で、続いてその食材を購入するための手段をいくつか挙げる。二度目の選択をした後、その人物は実際に行動を開始し、手間取りや思考の停止、慣れない作業のために発生するエントロピーを最小限に抑えるためにナノ・チップの指示を的確に受け取り作業し、料理を完成させて食する。

 これらはほんの一例で、しかもナノ・チップが活躍するばかりが管理社会の凄みという訳ではないのだ。多種多様な――地上人類管理の為の工夫――が網の目のように地上を這いずり回り、機能している。

 管理された地上と、ひとまずの開拓を終えて安定してきた宇宙。膨大なる、二百重、四百重とも表現できるセーフティーネットを持っているが故に安定した形の地上という根から成長する宇宙人枝は、順調に葉を生い茂らせて、幹を太くしていた。

 そう、臍の緒を外しているはずの宇宙人たちは、しかし地球との関係性を完全に断裂することは有り得なかった。あまりにも広すぎる宇宙にて地球という目印がなくなってしまえば、灼熱の太陽に身を焼かれるか、真空によって自ずから散らばるかだ。そして地上は宇宙に開拓を求め、宇宙は地上からの補給を求めた。

 だが、大樹の成長がいつか止まるのと同じように、宇宙人たちの開拓とて無限に進み続けるわけもなく、スペース・フロンティアの時代は一旦の急速成長を止め、急速成長によって乱立した宇宙勢力たちによる資源確保のための睨み合いや、地上と宇宙が不気味な気配を持って互いに見つめ合う……いわゆる様子見、均衡の状態が訪れた。

 そして、時が流れ――

 地上人と宇宙人に続く、第三の分類とも呼べる存在が人類から誕生したのは、地上と宇宙の均衡を崩し、発達か衰退かを、もたらすためかもしれない。

 はじめは、管理社会から逃げ出した、いわば放棄された人々であった。

 かつて繁栄してはいたが、今は灰色に淀んでしまった死の大陸に足をつけたそれらの人々は島流しをしてやったようなものだと管理社会からは評される人々だったが、当の彼らの中には、胸湧く躍動を心に宿す者も多くあった。

 知識接続リンクの切断。

 かれらは管理社会から抜け出した、地上人。

「しかし、間違っているとして、どうしよう」

「肉と内臓を全部骨から削いで、灰色の粉で全身を覆っちまえばいいんじゃないか。代わりに死を指し示す標識になっちまうのが、構わないならば」

「おいおい、僕は死ぬためにここにやって来たんじゃない。一念発起……再スタート……僕だけじゃない。くたびれた土地で三百六十度、もう全部がくたびれてて、完成されているものなんて欠片も見当たらないよ。ああ、すばらしい!」

「管理社会から解放されて浮かれるのはいいが、少しくらいは、人工物が残ってて欲しかったものだと感じるな。ここまで鼠色だらけの本当に何にもない大地にポツンと立たされると、大きな大地さんに矮小だと小馬鹿にされている錯覚を起こしてイライラするらしい。第一、再スタートと言うけれども、スタート地点はどこだ? それとも、ゴールがもうすぐ見えてくるんだろうか。なんだか地平線の彼方から、骸骨が歩いてくる気分がしないか?」

「この大陸の空気にあてられているのさ。あるいは、ちょっとびびっているのかも。この鼠色の粒子のように何の意味も持たず漠然と風に吹かれたくなければ、標識は愚か人工物が一つも見当たらないせいで行き先不明、前後不明のノイローゼになっても、しっかりと自分の身体とそれに伴う精神を保つべきだよ」

「さっきはお前も、弱気な発言をしていて、間違っていたらどうしよう、なんて泣き言だったものなのに、俺の弱気にあてられて強気になってきたようだ。自分をしっかりと保てていないように見受けられる」

「いいじゃないか、ネガティブとポジティブは繰り返されるものだろう。それに実際は、心臓ばくばくで弱気なままなのさ。弱気な者同士、仲良く手を繋いでぴょんと飛び跳ねて、スタート地点をまずは見つけることからだな。あれをイメージしよう、その昔、人類がはじめて月に到着した時の、あの、なんだっけ」

「アポロ?」

「そう、アポロ十一号だ。人類がはじめて月に足をつけたのは、かつてこの大地に高層ビルや自由の女神を建設し資本主義経済の頂点に君臨していたアメリカの成し遂げた数々の偉業のうちの一つ! 君もあの映像を見たことはあるだろう? 昔の宇宙服を着込んで、ぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねていて、あれは希望の象徴だよ。僕達が常にイメージしておくべきポジティブな成功の象徴に、それを指定しようじゃないか。さあ、スタート地点はどこにする?」

「じゃあここでいいか。ほら、ほらよ」

「適当じゃないか! これは、地団駄を踏む子供のようだぞ」

「悪かったよ」

 二人乗りの小型の潜水艦を、与えられている全キャッシュ二人分を使って購入し、海中の生物たちに、時折囲まれたり、共に同じ方向に進んだりしながら、ようやくこの大陸に辿り着いたというわけだ。二人が購入したのは新型の耐久性が強いUNI型潜水艦であり、伝説の獣であるユニコーンに似た形状を持っていることから、そう名づけられた。

 どうしてユニコーンに似た形状を持っているかなどのより詳細な理由は、知識接続リンクしている人間ならば容易に無限かと錯覚を起こすほどの知識倉庫から情報を引っ張り出すことで、知ることができるだろう。

 しかし、管理社会のサーバーとの接続はもはや切れている。

 二人はこの大陸に到着した瞬間に、”喪失”を感じた。たった今潜水艦から抜け出て、粒子の細かいサラサラな地面に足をつけ、大陸中のほとんどがその鼠色の砂粒に包まれているのだろうかと想像した時とほぼ同時に、二人は、常に自分自身の意識の周辺に漂っていた知識接続リンクのさざ波が遠ざかって、静まり返り、自分自身は人類の全体の一部という感覚が希薄化し、はじめて、孤独、という言葉の意味を実感した。

 知識の波音が完全に消失するとともに二人にもたらされた、喪失と孤独。

『Good luck』

 二人の知らない挨拶が頭を過ぎる。どういった意味かもわからないが、知識接続(リンク)はもう失われる。それはどうやら別れの挨拶だったらしいとわかった時には、二人の人物は、己の五感と隣にいる人物だけが頼りの脳になっていた。

「この大陸で使われていた昔の挨拶なんじゃないか? 管理社会からの皮肉か?」

「かもしれないし、そうじゃないかも。僕達はもうすっかり間抜けさ。一+一=二」

「ニ+ニ=四だ。これくらいならわかる。……さて、スタート地点の話なんてしている場合じゃない現状で、俺たちが優先して行わなければならない活動は?」

「同志をさっさと見つけ出して今後の相談をするか、この大陸に住んでいる骸骨が歩いているのを写真にでも収めるか」

「前者じゃないか」

「多分ね」

 死の大陸……。あるいは、死大陸。滅びの風吹く大地。鼠色大陸。枯渇の地。文明の住めぬ大陸。大地干からびた地上。呼び名は幾つかあった。その呼び名のどれにも共通している意味は、”人類にとっての負債”、”忌避したくなる過去”、”おそらく最たる自然破壊”

 かつて繁栄の極みを見せた大陸。そこにあった大国は、資本主義の極み。その大ボスとして君臨していた身を翻すようにして、移民国家として様々な人種を迎え入れ、多種族宗教国家となった。地上国家のフラット化、グローバル化が宇宙開発と共に押し進められた時期に、宗教特区地域として指定された為だ。

 それも大きな一因となって、結果的にはその大陸を滅ぼすまでに繋がる事態を招き、人も大地もまとめて細かな灰へと化させた訳だが、管理社会において忌避されるべきその地は本来人の住める所ではなく、土壌に太陽のエネルギーが染み込まず、自然が根付くこともない。

『ただし、人の手を加えれば話は別、かもしれないのだ』

 賢いライト博士によれば、困難なことだが不可能ではないというのだ。

 ライト博士は管理社会からの警告を散々に受けながらも、最高博士号を持った人物だからこそ許可される危険な通信を執拗と呼べるほどに世の中へ発信していた。

 結果として彼が行方不明となったのは、管理社会から抹殺されたのだろうと世間からは認識された。元々管理社会の重鎮たる人物だ。元々は、システムが上手く社会に機能しているか、不具合がないかを事細かに観察し、システム改善の必要を提案するなどの仕事をしていた。

 上等な仕事をしていれば、より上等な生活が与えられる。

 システムへの貢献をしている仕事こそが管理社会にとっての上等な仕事である。

 ライト博士は上等と呼べる仕事をし、上等と呼ばれる生活を与えられていた。

 そんな上流たる人物が管理社会からの警告を受けながら発していたのだから、その言葉は世の中に非常な重みを持って届けられた。

『死の大陸は、我々の行動次第では生き返ることも有り得るのだ』

 本来忌避されるべき、死の大陸、という存在。

 管理社会では、好ましくない話題だ。

 ライト博士の追放は当然だった。

 世の中では、ライト博士は今頃宇宙にいるかあるいは彼も死の大陸にいるかそれともシステムによって命を奪われたかのいずれかだと、認識されている。

 彼の執拗な死の大陸に関する発言は、無駄だったろうか。彼の行いは愚かしく、せっかくの上流生活を自らかなぐり捨てる行為は、馬鹿げていただろうか。

 そう認識しない人物が、数多くいた。

 高名な博士の発言は、生活を賭したためではないだろうが、多くの管理された地上人に影響を与えてしまった。

 管理社会は人がより良く生きるために構築されている複雑で便利なシステムだ。

 システムはそこに住みたがらぬ人間を、通常、容易に手離す。

 また、システムは地上での生活を強要しない。住みたがる者に対しては、二百重四百重のセーフティーネット付きの安全な生活を提供するが、拒否に対しても寛容だ。ライト博士が追放を受けたのは彼が重要な役職についているからで、比較的通常の配置で働いている人物たちには追放を与えるほどの手段は講じず、やんわりと、宇宙への移住を薦める。

 よって、通常、追放はされない。

 だが死の大陸を生きた大地に再生させる活動をしよう、とライト博士に扇動されてしまった大勢の死の大陸活動志願者は、管理社会から”警告”を与えられ、その警告を無視して死の大陸に足をつけた者は、”追放”された。

 死の大陸に関する、発言も、活動も、管理社会というシステムは認めない。そういうシステム側の立場をハッキリとさせる警告、追放である。

 だから、今しがた死の大陸に足をつけた二人の人物も、追放扱いであり、だから知識接続リンクは断絶されて二度と戻らない。これは地上管理社会側から見放されたことを意味し、見放された人々はもう管理社会への出戻りはできないのだ。やがてナノ・チップも血液に溶けて体外へと排泄されることになるだろう。

 



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