手記
島村 和江
ここに記すのは、わたしの罪でございます。
この手紙はわたしの夫、島村勇治の遺体と共に棺に入れて燃やすつもりですので、きっと書いたわたし以外の誰の目にも触れることなく燃えてなくなるでしょう。
それでいいのです。本来ならば、この罪も形に残すことなく、わたしの胸のうちにひっそりと秘めたまま消え果てしまうはずだったのですから。
わたしの罪は他人様にしてみれば、なんだそんなことかと思われるかも知れませんし、なんて残酷なことをしたんだ、と思われるかも知れません。
どちらを思われるかは、その方の価値観によってもずいぶんと変わるでしょう。もしかしたら、わたしのしたことを善い事だと捕らえかねません。
でも、わたしはわたしのしたことをこれ以上ないほどに残酷で恐ろしいことだと思っております。この手で、夫にしでかした罪の重さに、わたしは胸が重く締め付けられる心地です。
わたしの罪は、この手で病気の夫に、食事を与えたことです。
夫は、癌に侵され、医師にももう長くはないと言われました。一度、癌を患っていたものですから、多少なりとも覚悟はしていたつもりでしたが、その宣告を聞いたときは本当に目の前が暗くなりました。
夫は満足に食事をとることもできなくなり、必要な栄養は点滴で補いました。それでもどんどんと痩せていく夫を見るのが辛くて。
夫が自宅で最期を迎えたい、とお医者様に言われたとき、それが夫の願いならばとわたしは自分ですべての看護をする決意をしました。
わたしも、疲れていたんです。
夫は、わたしのすることに愚痴をいい、ときにはわたしの手をたたきおとして罵りました。
夫の行動は癌の苦しみと恐怖から来るものだとわかってはいましたが、わたしは夫のそれらの気持ちを理解することはできません。生活の中で、わたしは自分自身の疲弊していく心をどうすることもできませんでした。
罪を犯したのは、ほんの少しの出来心でした。
夫がポツリと漏らしたりんごが好きだったという言葉をきいて、たまたま弟が送ってきた初物だというりんごがたくさんあったから、わたしは、夫が好きなものだから、と、思って。
今まで何も口にしていない夫が食べ物を食べたら何が起こるかわからないから、とお医者様に言われていたのに。そのことを、わたしはきちんと覚えていたのに。
どうなってもいい。
そんな恐ろしいことを、わたしは一瞬でも思ってしまいました。
好きなものを食べて、死ぬことができたら、きっと夫も幸せだろう。そう思いました。
本当は、りんごを持った手を叩かれて、殺す気か、と叫ばれるものだと心の隅で想像しておりました。わたしはいいえ違います、そんなつもりはなかったのと泣いて許しを請うのだと、想像していたのに。
夫は微笑んで、覚悟をしたような、さびしそうな、少しだけ嬉しそうな顔をして、わたしが摩りおろしたりんごの果汁を、口に含みました。
そのとき、わたしはハッとして、なんてことをしたんだろうと……。
夫はその日から二日後に、意識も朦朧としたまま亡くなりました。
わたしは、わたしが夫を殺したのではないかと、そう、思っております。
癌が夫を殺したのだと、誰が言っても、わたしは、りんごを夫に与えたとき、確かにほっとしたのです。
ようやく、この生活が終わるのだ。
そう思って、肩の力をふっと抜いてしまったのです。
わたしの罪は、生涯共に生きていくと誓った夫の死を、望んだことです。
この手紙が、誰の目にも触れず、密かに燃やされていくことを、わたしは願っております。




