8
虚空に浮かんでいた。また、空にいる。星々の距離が近い。月が大きくて、白銀に輝いている。
私はまたいつの間にか死んだのだろうか。また天国に戻ってきたのだろうか。
永遠に宇宙を漂う、この世界で。また、誰かから声をかけられるのを待つのだろうか。
「こんにちは」
また、誰かの声がした。あの時のように。
「こんにちは、誰ですか?」
わたしはまた以前と同じように返した。
「ぼくはゴマフアザラシだよ。また死んじゃったね」
落ち着いた心持で私はそれを聞いていた。
「そうなんだ。死んだときの記憶がないのだけど、なぜ私は死んだの?」
「すいじゃくしー。きみ、霊能の才能はすごいのに、心が弱いんだね。まさか疲労でそのまま死んじゃうとは思わなかったー」
「え、でもわたし死んだら地獄に落ちるんじゃ…」
「そうなんだけど。まだ役割こなしてないから、神様の特権で宇宙に呼んだの」
なんだか夢見心地で、感情がわかない。麻酔をかけられているように感情が鈍磨している。
「また一から転生させると大変だから、起き上がって頑張って」
「いや、もう死んでるんでしょう? 死んだ者は蘇らないよ」
正直わたしはもう地上でしんどい思いをしたくなくて、生き返るのを拒否した。
「いや、いや、僕が力を貸すから。がんばってー」
私は即答する。
「いやです。疲れたからしばらく天国漂う」
「いや、いや、お願い、頑張って。闇のメシアもなんかやる気ない感じだし、このままじゃ光の陣営が圧勝しちゃう! がんばってー!」
神のくせになんで闇の陣営を応援しているんだろう。でもわたしは今回の人生に疲れていたから、もう嫌だった。
「それも神のご遺志なのでしょう。光の陣営が勝って、預言が成就して、ハッピーエンドじゃない。めでたしめでたし」
私はそう言って、話を切り上げようとした。
「待って。お願い、それじゃあ話が終わらないの。闇の陣営に参加してくれた魂たちがかわいそうなの。みんな地上で苦労してるから。君が欠けるともう勝ち目無いの。みんなかわいそう」
「泣き落とし? 私だってかわいそうだよ」
「助けて。闇の陣営にはぼくのアザラシたちの魂も参加してるの。助けて。たくさん、助けて。いっぱい助けて。闇に眠らせないで。みんないろんな人生でつらい目を見てきたの。ぼくの選りすぐりなの。君もアザラシにしてあげるから、助けて」
全然魅力的じゃない提案だけど、言葉には感情が込められていて、なんかほだされそうになった。
「アザラシにはなりたくないけど、もう一回だけだよ。どうせなら子供からやり直したいんだけど…」
「目を覚まして」
夜の闇の中で、私は目を覚ました。
目の前にはアベやムラキがいて、素っ頓狂な声をあげた。
「サダメ様! 生きておられたのですね!」
「なに? やっぱり死んでた?」
私は夢の内容を覚えているので、驚かなかった。
「呼吸止まってました! 心臓も!」
「疲れたから止めてただけ。それより今どういう状況?」
冗談を言いながら質問すると、アベが動揺しながら答える。
「王様方の用意ができたので、厠に行ったお嬢様を呼びに行ったら、道端で倒れられていたのです。呼吸も浅く、ひどい熱があったので、僧たちを呼んで、横にさせました。すると間もなく呼吸が止まって、心音もなくなりました。大急ぎで医者を手配し、ムラキとどうすればよいか相談していたところです」
やっぱり死んでたんだ。あのアザラシ神本当にすごいのかも。生き返らせる力があるなんて。ありがたや。
「そう。じゃあ出発するよ。関係するものに伝えて、すぐに発つ」
私は寝起きの不機嫌さを倍にしたような機嫌の悪さであったけれど、そう指示を出して立ち上がった。
アベが支えようとして駆け寄るのを手で制した。
「大丈夫。歩ける」
私がすたすたと歩いて見せると、二人はようやく安心したような笑みを見せた。
その日の深夜のうちに出発すると、法安の城の門は閉ざされ、山道の関所も封鎖された。もう後戻りはできない。
気になるのは、闇のメシア、という単語と、その陣営、という言葉だった。
なんかいろいろ思い出せた気がする。とても古い昔の夢の中でも、同じことを聞いたような。
そう考えながら、今日会った従者のことを思い出していた。
魔王とか、メシア、とか、夢の記憶に近しいことを言っていた気がする。
失敗した。連れてくればよかった。もはや後戻りはできないけれど、あの少年従者だけでも連れてくればよかった。
強迫観念のように、戻って助けよう、という考えと、いや、それはもう無理だ、という考えが鬩ぎ合ったが、その葛藤は長いこと続いて、やがて諦めて捨て置くことにした。
だって戻れるわけないし今から。そんなことはできない。
ーーー助けて。闇の陣営にはぼくのアザラシたちの魂も参加してるの。助けて。たくさん、助けて。いっぱい助けて。闇に眠らせないで。
そんなことを言われた気がするが、無理なものは無理だ。私には護衛の役目がある。無理なものは無理。無理だから。
「アベ。忘れ物した」
私がそういうと、アベもムラキもササキも、はあ? という顔をした。
「今日会った私の知り合いの従者がいたでしょ、法安の山城に。あいつも連れてく」
ムラキが何を言ってるんだという感じでいう。
「それはもうできません。関所も閉ざされ、山城も臨戦態勢に入っています。戻れると思いますか?」
私は恥ずかしい思いを感じながらも言う。
「わかってる。でもあいつを連れて行くのは絶対だから。騎兵を一人貸して。その騎兵に乗って戻るから、あなたたちは先に山を下りて」
ムラキが怒ったように声を荒げる。
「待ってください! 正気ですか? いま考えついたことなら捨ててください。指揮官であるあなたが欠けたら私たちはどうすればいいんですか!」
「戻ると言ったら戻る!!」
私もわけのわからない自分の感情に怒るように声を荒げて膝を叩いた。
その様子にアベがびっくりしている。
呆気にとられるアベとムラキの沈黙の間に入るようにササキがなだめるように言った。
「待ってください。時間はありませんが、そこまで仰るのでしたら、みなで戻りましょう。それで彼を連れだしたら、出立ということでいいではないですか。元々明日の朝出発する予定だったのですし」
ササキがそう言うとそれ以上ムラキも言葉をひっこめた。
こいつは無口だが人がいい。連れてきてよかったと今更思う。
その後私たちは関所で大恥をかき、扉を開けてもらい、山城で大恥をかき、門を開けてもらい、イワベ様にはどういうことか散々問い詰められ、大恥をかき、名前も知らない従者をなんとか探し当て、戸惑う彼を横目に拉致して、再び出発した。私の人望は地に落ちて、恥ずかしさでしんだままでいればよかったと何度も思ったけど、とにかくなにか夢の情報を知っていそうなクラベという少年従者はなんとか確保したのだった。
「なんで僕を連れてきたのですか?」
小休止の時、木陰で傷心で休む私のもとにクラベがやってきてそう問いをした。
「あなたが昼間言ったことに興味があったのよ。わたしも頭おかしい」
また恥ずかしさが込み上げてきた。
「でも僕を助けたことは貴方を助けますよ。魔王についての情報を知っていますから」
「魔王ってなんなの?」
「メシアに対抗する人です。アンチメシアとか、獣とか言われてます。でもそれは大陸の西側での話で、アジア側では竜のみ使いなんですけどね。ぼくは皮肉で魔王と呼んでいます」
「ふーん、おとぎ話? それとも宗教の勧誘だったり?」
「どちらも違います。あなたはまだ記憶がないようなので、話したくありません」
クラベもどことなく恥ずかしそうにしていた。
まともな感性はあるようだ。
「わたしも、なんだかそんなような夢を見た気がするの。光と闇の戦い、みたいな話を。それはとても印象に残る夢で、普通の夢とは違う。どういったらいいかわからないけれど、あなたの話はその夢の話に似ていて、とても興味があるわ。それがあなたを助けた理由よ」
クラベは言う。
「僕はあなたについて知っていますが、現実のあなたは知らないです。でもその夢はいつか現実になるはずです。あなたが信じられるようになったとき、この話をしますね」
そう言うと息を吐いて、眠そうにして黙ってしまった。歳も若そうだし、疲れているのかもしれない。
小休止が終わると、私は馬車に戻って、まだ重たい雰囲気のムラキたちと共に気まずい道のりを行かなければならなかった。
ああ、救いはどこに。アザラシ神恨む。と心の中で呪った。




