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「サダメ様、報告があります」
中休止中に草むらに座ってパンを食べている私に、ムラキが駆け寄って来て膝をついた。そして言う。
「先行させている騎兵から、安間の関所から火の手が上がっているとの報告が」
安間の関所とはこれから街道沿いに進んで友邦の領地、コウベ氏のいる不県まで進むための国境の関所だ。
国境沿いの関所は守りが固く、警備も厳重だと聞いているから、そこに火の手があれば何か重大事案が起きているという意味になる。
「どういうこと?」と私はムラキに詳細を尋ねた。
ムラキは言う。
「北方方面から軍勢が南下していると考えられます。どこの軍勢かはわかりませんが、明らかに何者かに攻撃を受けている様子だった、という報告でした」
不県の国主は古から友邦であるが、裏切った、ということだろうか。
不県との関係性の深さはこの国の国主、フクワラ様との血のつながりにもあらわれており、コウベ氏とフクワラ様は遠戚でもある。
それは一朝一夜で築かれた関係ではなく、裏切るとは考え難いのだけれど、現実に安間の関所が襲われてるとなればそういう可能性も出てくる。
「他に進める道は?」
と私が聞くと、ムラキは即答した。
「馬車を捨てれば、東部方面への道がないことはないですが、東の国境を越えてもムツミ氏の領土に入るしかなく、現実的ではありません」
ムツミ氏は友好的な国主とは言い難い。加えて人柄でいいうわさを聞かない。国境でも何度もいざこざを起こしてきたし、今回の国難に乗じていつ軍をこちらに動かすかわからない危険で不透明な存在だった。
私の考えはこうだ。
え、なんで北から敵が攻めてくるの? なんでこれから亡命しようとしている国のほうから軍勢がくるの? どうしたらいいの?
だ。
「わかった。アベとササキも呼んできて。意見を聞きたいから」
ムラキも突然の事態に戸惑っている様子で、アベたちを呼びに行った。
その時遠方から味方の騎兵が走ってくるのが見えた。何か叫んでいる。
談笑していた従者たちが一斉に喋るのをやめ、みながその言葉を聞き取ろうと耳を傾けていた。
やがて輪郭がはっきりしてくる頃にその声が聞こえた。
「敵襲ーーーー! 竜騎兵、竜騎兵! 数100!」
全員が全員立ち上がる気配がした。同時に動揺している様子も見える。
竜騎兵とは銃で武装した騎兵のことだ。
冷静に考えれば兵士のいない竜騎兵だけの集団なんて、まともに戦えば勝ち目は十分あるのだけど、時期が悪かった。
休憩中の不意の敵襲に、従者たちは困惑し、どちらかというと怯えていた。
「陣形取れ!」
私がそう言うと、ムラキやアベが叱咤しながら従者たちを一か所に集めていく。
敵軍に先行する斥候の騎兵隊だろうか。
剣で武装しているだけのこちらの従者たちでは散らされて殺される。
かといって兵士三名を前進させて敵に当てるのも、打ち漏らした敵に護衛対象を襲われる可能性がある。
「ササキと従者十名は私についてきて。残りは瑞葉を取り囲んで守れ」
ササキの呪物は災害を起こす四品等。術者のいる場所に暴風雨を起こす呪物。しかし発動までに時間が一時間近くかかり、それ自体は環境的要素で、ここでの使い道はない。
しかしササキの呪物は防御範囲が広いので、ササキの後ろにいれば十名くらいの従者なら銃弾から守れる。
私一人で行ってもいいのだけど、いざというとき敵の標的を散らす囮くらいにはなるだろうと思った。
私の呪物では、動きの速い騎兵は相性が悪い。術にかけている間に接近される恐れがあるからだ。
もう一つの呪物を使って、相手を迎え撃つ。
もう一つの呪物は生まれつき持っていたもので、これは呪物の先在と呼ばれるものだった。祖先に移植した呪物が、祖先の体に溶け合って、子孫のいずれかに発現するということが稀にある。
それに該当するのかはわからないが、生まれた時から呪物が備わっていたので、恐らくそれだろうということにされていた。
既存の呪物にはない能力なので、品等は不明だが、使い勝手が非常に良い現場攻撃的な呪物だったので重宝している。
僅かな地鳴りを感じた。街道の遠方から騎兵の一団が整列しながら疾走してくる。あまり時間はない。
心臓にあるとされる呪物に力を集中させる。
力は私の霊視では光の粒が無数に漂っているような光景に見える。
一貫して人の生命力や力は光の粒の集合のように見え、それに向かって念じると、それを動かして操作できることがあることもわかっていた。
だから、自分と、周囲にある光の粒を、自分の心臓に集めるという幻想を霊視で見ながら、呪物を発動させるのが私の基礎的な法術だった。
発動する。と同時に世界が暗転。
音が聞こえなくなる。騎兵のいななきも、味方の兵たちの息遣いも、自分の呼吸の音も。
代わりに幻聴的な囁きがそこかしこから聞こえてくる。笑い声や、誰かを呪う声、人間ではない魔性のものたちの声が、囁くような声であちこちから聞こえてきた。
私は騎兵隊に向かって歩いて行く。
「コ、コカ…」
と言葉を発したつもりだが、音が聞こえないので本当にそのように言っているのかわからない。
はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。はあぁぁぁぁぁぁぁぁ。
呼吸も荒くなっていく。黒く深い感情が腹にたまり続ける。黒く塗りつぶされていく私。世界が油絵のようになっていく。
「コカビエル、出てこい」
中空の空間が塗りつぶされ、闇夜より深い暗闇の穴が、私の頭上に現れた。闇の中には目。目のようなものが見えた。
「馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。馬の力はその口と尾とにある。その尾はへびに似ていて、それに頭があり、その頭で人に害を加えるのである。…それは、なぁーんだ?」
闇の中の存在に私がわざとお道化た様子でそう言葉を投げかけると、存在は目の前の竜騎兵を敵と認識したらしく、「阿」と言った。
すると騎兵たちがゆっくりと疾走をやめていく。こちらを注視するように呆けた表情で眺めていた。
「吽」
闇の中からそんな声が響くと、突然騎兵隊が空中に飛び上がったかと思うと、そのまま虚空に突然消えた。
何が起こったのかは私もわからない。考えてもどうやっているのかも想像がつかない。携挙。携挙にあったんだと、昔の私は考えていたのを思い出した。
しかしとにかく敵は消えた。わたしは呪物への力の供給を絶って、強制的に闇とそこにいる存在を世界から遠ざけた。
音が回復して、聞こえるようになってくる。私は吐いていた。「おえええええええ」
お腹からどす黒いものが込みあがってくるようで、気持ち悪さに吐いた。冷や汗もかいている。人間より上位の怪物を呼び出す恐怖と緊張感が、毎回あった。
だからこの呪物は嫌なんだよ。
この呪物を見慣れている味方のササキと従者たちは、特に動揺した様子もなかった。
私はササキに言う。
「馬車を捨てて東の森に入る。これ以上の戦闘はごめんだし」
ササキは頷いて、従者たちに指示を始めた。




