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6「誰にでも優しい君が、誰にも興味がないことを、誰であろう僕だけが知っている」
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未確定の現状を肯定するひなせの感覚は、多くの人の気持ちを和らげた。彼女の高貴さを物語る哲学であり、最も具体的な慰めでもあった。
ひなせはそうやって知識を切り売りして、人の心を鎮めていった。
「傷ついたことがないんじゃない?」
僕は、ひなせと喫茶店で対面していた。目をめぐらせて、ひなせは考えるふりをした。
「傷だらけだけど、痛くないんだよね」
「麻痺しているってこと?」
ひなせは、意図して考える時間を設けた。
「その感情機構を、私は後づけした。霞には最初から備わっているの?」
僕は少し考えた。悲しみがあるはずのところに悲しみが備わっていないのは、よほど悲しいことだ。とてもかわいそうだし、損なわれているような気がする。
「最初から備わっているよ」
僕は言った。
「だとしたら、それでいいと思う。私は自分に備わっていない感情機構がないことを、損なわれたとは思いたくないから」
「誰かを傷つけたとしても?」
ひなせはくすくすと笑った。
「言葉で傷つくことなんてないよ。単に少し、疲れるだけだよ。少なくとも私にとって言葉は、不完全な伝達手段でしかない。意味と記号で片方が欠落していたら、私はそこから感情を抽出することはないよ」
「怒りや悲しみを知らないってこと?」
「ほんとうの怒りや悲しみって何? そういう振る舞いってだけでしょ?」
僕はその言葉の意味はよくわかった。でも、本当の感情に到達できない感覚は、たぶんひなせが言っていた、割合の問題なのだ。百感情を知っている人はいない。でもひなせもゼロではないはずだ。
「それも一つのスタンスでしょ? わかっているのに、わかっていないふりをするのは」
「感情は、私にとっては記号ではないから。何かわからないものから、わからないものへ移行させる手続きは、いつもいつでも『柔らかい』まま、私のブラックボックスになっている。ラジオのナレーションに、感動することがないのは、私だけだとは思わないけど」




