水たまりと幸せと
朝、アラームが鳴る前に目が覚めた。
でも、起きたくはなかった。
目を開けてしまったことを少しだけ後悔しながら、布団の中でもぞもぞと背を丸める。
窓の向こうでは車の音がしていた。
雨の音はしないけれど、曇っている気配がした。
気配なんて曖昧だけれど、今日はそういう日だった。
ゆっくりと体を起こして、顔を洗って、髪をまとめる。
冷蔵庫の中にあったヨーグルトを取り出し、スプーンですくって食べる。
甘さも酸っぱさも感じた気がするけれど、口に残る感覚は曖昧で、目を閉じればすぐ消えてしまいそうだった。
食べ終わったあとのカップをゴミ箱に入れると、静かな音がした。
この音も、すぐに忘れてしまうのだろうと思った。
駅へ向かう途中、ほんの一瞬だけ太陽が雲の隙間から顔を出した。
信号を渡って、駅前の細い路地に入ると、足元に水たまりがあった。
その存在にはちゃんと気づいていた。
でも、ほんの少しぼーっとしていた。
だから、避けることもできず、右足の靴が、ぐしゃりと濡れた。
「うわっ……」
声が漏れた。
水たまりは、どこにでもある普通のもので、雨が降ったわけでもないのに、なぜかしぶとく残っていた。
靴下に水が染みて、冷たく、じわじわと嫌な感じが広がっていく。
その感覚は、午前中いっぱい消えなかった。
靴を脱げば乾くかもしれない、なんて考えながら電車に揺られていると、向かいの席の人が寝ていた。
静かに、でも口が少しだけ開いていた。
他人の眠り顔をこんなにも無防備に見つめるのは、少し罪悪感がある。
だから窓の外を見た。
ビルとビルの間から見える空は、曇っていた。
何かが起こりそうな空ではなくて、何も起こらないような空だった。
仕事場は特に変わったこともなく、上司もいつも通りだった。
同僚がコンビニスイーツをくれて、「昨日限定で出たやつらしいよ」と言った。
食べてみると、たしかに美味しかった。
柔らかくて、ほどよく冷えていて、口の中で溶けていった。
でも、午後にはその味を思い出せなかった。
夕方、駅前のパン屋で、明日の朝用にチーズフランスを買った。
レジの女の子が笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれたけれど、その笑顔も、もううまく思い出せない。
いつもこの店にいる子だったかどうかもわからない。
それでも、「あ、この瞬間はちょっとだけ好きだな」と思った。
けれどたぶん、明日の朝には忘れてしまう。
家に帰って、玄関で靴を脱いだとき、朝の水たまりをまた思い出した。
靴下はすでに乾いていたのに、あのぐしゃりという感覚だけは、妙に鮮明だった。
足元からじわじわと広がってくる不快感。
それを思い出すとき、人はとても簡単に“今の快適さ”を忘れるのかもしれない。
ソファに座り、スマートフォンを開いた。
SNSを何となく眺めて、知り合いの「素敵なカフェでランチ」という投稿に「いいね」をつけた。
その店に行ったことはないけれど、写真に映るプレートの並びが美しかった。
自分が昨日食べたごはんは、たしか炒めものだった気がする。
でも、何を炒めたのか思い出せなかった。
どうして人は、不快だったことだけは、ちゃんと記憶しているのだろう。
熱かったコーヒーで舌をやけどしたことや、満員電車の中で肩を押されたことや、うまく言葉が出なかった会議のこと。
そういうのは、映像のように思い出せるのに、
「ちょっと幸せだった気がする」という感情は、なぜかすぐに抜け落ちていく。
記憶の底に、小さな穴でも空いているのだろうか。
そこから、毎日ぽたぽたと、柔らかいものだけがこぼれ落ちていく。
お風呂に入ると、湯気の中で少しだけ気持ちがほぐれた。
今日もちゃんと過ごせたな、と、思えなくもない。
でも「ちゃんと」ってなんだろう。
ただ無事だっただけのことを、何となく「いい一日だった」と呼ぶようになったのはいつからだったっけ。
布団に入ってから、スマホのメモアプリを開いて、思いつくまま文字を打った。
《今日は右足だけが濡れた。チーズフランスがうまく焼けていた。風が気持ちよかった。コンビニスイーツの名前は忘れた。》
それだけ書いて、画面を閉じる。
そして思った。
こんなふうにしてでも書き留めなければ、
自分は自分の小さな幸せすら、ちゃんと憶えていられないのかもしれないって。
部屋の外で風が吹いていた。
窓の隙間に揺れるカーテンの音が、どこか遠くで聞こえた気がした。
まぶたが落ちる寸前、思い出したのは、ぐしゃりと踏んだ水たまりの音だった。
あれはたしかに、よく覚えていた。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、
たしかに誰かがくれた笑顔や、口の中に残った甘さの記憶も、
ちゃんとどこかにあってほしいと、
願うように、静かに眠った。