第44話:灯火の下で
激しい戦いと、過去との対峙を越えたあとに訪れた、ほんのひとときの静寂。
それはシステムが与えた偶然か、誰かの優しさか――
焚き火を囲む時間の中で、仲間たちはようやく“心”を取り戻していく。
互いの傷を見せ合い、何気ない会話に笑い合い、そして胸の奥にある想いに気づく。
これは、コードの向こう側へ進む前の、小さな灯火の物語。
セントラル・ノードの扉が静かに閉じる。
光のゲートを抜けた先に広がっていたのは、まるで時が止まったような空間だった。
草原。遠くに沈みかけの太陽。仮想世界であるはずなのに、風の匂いがやけにリアルだった。
「ここ……は?」
リーシャがつぶやく。
翔太は周囲を見回し、ふと気づく。
「……セーフゾーン、らしい。どうやらシステム側が一時的に“休息”をくれたらしいな」
「珍しいこともあるんだな、敵さんも」
ガルドが空を見上げて笑う。その顔は少しだけ柔らかく見えた。
彼らは草原の中央に焚き火をつくった。
仮想世界でも火の温かさは変わらない。データであっても、人の心はあたためられるらしい。
「……葵って子、どんな人だったんだ?」
ぽつりと、カイルが翔太に問う。
翔太は火を見つめたまま、小さく笑った。
「変わった子だったよ。システムの裏を読むのが得意でさ。“ここが現実なら、現実の方をハッキングしたい”なんてこと言ってた。……正直、今の俺たちに近いかもな」
「それ、かなりやばい思考じゃない?」とリーシャがくすっと笑う。
「けど、すごく真っすぐだった。あのとき、もう少し自分に力があれば――って、ずっと思ってたんだ」
その言葉に、誰も返さなかった。ただ、火の揺らぎだけが彼の後悔を包んでいた。
焚き火のそばで肉を焼きながら、カイルとガルドが静かに話していた。
「なあ、あの記憶……思い出すの、きつかったか?」
「……ああ。正直、逃げたかった。でもさ」
ガルドは肉をひっくり返しながら、火を見つめた。
「翔太たちと一緒にいると、“今”を生きたいって思えるんだよな。過去じゃなくて」
「へぇ……そりゃ珍しい。あんたがそんなこと言うとは思わなかった」
「俺だって人間だ。いや、ちゃんと“人間”であろうとしてるって言ったほうが正しいかもな」
カイルが肩をすくめて笑う。
「俺も……似たようなもんだよ」
「……人間らしく、なったな。お前も」
カイルは、ほんの少しだけ照れくさそうに目をそらした。
リーシャが持ち出した簡易データキッチンを使って、即席のキャンプ飯が完成した。
デジタル素材で構成された食材とはいえ、味も香りも現実と変わらない。仮想世界の進化を感じる瞬間だった。
「わあ、このスープ……ちゃんとハーブ効いてる!」
リーシャが嬉しそうにスプーンを口に運ぶ。
「ガルド、焼き加減ちょうどいいな。カイル、ナイス連携」
翔太が肉にかぶりつきながら、感心したように言った。
「ふふん、料理くらいできないとダメだろ? 女の子にモテないぞ?」
「その“女の子”が、今目の前で料理してるってこと、ちゃんと自覚してる?」
リーシャの冷ややかなツッコミに、カイルは慌てて笑う。
「いやいや、俺は褒めてるんだって! 本気で!」
ガルドが吹き出しそうになりながら、スープをすすった。
「……こうして笑って食えるってのは、贅沢だな」
「……ふむ。夜明け前の空って、なんでこうも不安になるんだろうな」
ガルドがぽつりとつぶやく。
「怖いから、強くなろうと思えるんじゃね?」カイルが隣で肩をすくめる。
「……なるほど。名言だな」
「記録していいぞ」
「やだ」
仲間たちの笑い声が、仮想空間の夜に優しく響いた。
静かに、温かな時間が流れていた。
夜も更け、他の仲間たちは眠りについた。
焚き火のそばで一人本を閉じたリーシャに、翔太が声をかける。
「眠れない?」
「ううん……ただ、考えてたの。“記憶”って、厄介ね。温かくて、苦しくて、でも消せない」
翔太は隣に腰を下ろし、火に薪をくべる。
「俺、思うんだ。忘れたくないって思える記憶があるのって、たぶん幸せなことなんだって」
リーシャは翔太の横顔を見つめた。
「……本当に、変わらないね。昔から。まっすぐで、時々バカで」
「それ、褒めてる?」
「……たぶん」
リーシャは、少し頬を赤らめながら微笑んだ。
「翔太。もし、扉の先に本当に“終わり”があったら、あなたはどうする?」
「……みんなと一緒に、最後まで行く。道がどんな形で終わっても、それだけは決めてる」
その答えに、リーシャは静かに目を伏せた。
「……ありがとう。あなたと会えて、よかった」
火の明かりが、二人の影を重ねていた。
夜空には、満天の星。
リーシャは焚き火の近くで本を開いていた。仮想空間に保存されたデータ書庫から抜き出した“姉の論文”だった。
「ねぇ翔太。もし、あの扉の先に“本当に世界を変えるコード”があるとしたら……あなたはどう使う?」
翔太は少しだけ考え、静かに言った。
「変えるんじゃない。“選べるようにする”。俺は――誰かの未来を奪わない選択肢を作りたい」
その言葉に、リーシャは微笑む。
「……やっぱり、あなたは“翔太”ね。あの頃と何も変わってない。……だから、信じられる」
夜が明ける。
データの空が淡い光に染まり、次なる戦いの始まりを告げる。
翔太は立ち上がる。
彼の眼差しは、もはや迷っていなかった。
「行こう。“向こう側”は、もうすぐそこだ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「灯火の下で」は、戦いと記憶の狭間にある、ごく短い“人間らしさ”を描いたインタールードです。
翔太たち四人がただのキャラクターではなく、“一緒に時間を過ごす仲間”として読者の心に残ってくれたら幸いです。
次回から物語は再び動き出します。
彼らが選んだ想いと決意を携えて、“コードの中枢”――そして、支配AI〈ノヴァ=アーク〉との対峙が始まります。
世界の真実が明かされるとき、翔太たちは何を信じ、何を選ぶのか。
どうか、次の章も楽しみにお待ちください。




