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くもりのち、あめ

作者: 遠藤 麦茶

 いつもよりカーブしている毛先に、七菜はため息をついた。

「本当に、どうしようもないなぁ」

見上げると、薄暗い空。

白い雲で満遍なく覆われているが、西の空から少しずつ黒い染みが広がってきている。

ほぼ間違いなく、午前中に雨は降りだすだろう。

どんな強力なワックスを使っても髪の毛は大人しくならないけれど、簡単な天気予報は得意になる。

 七菜は最後の悪あがきに、自分の頭をなでつけた。手を放せばまた、毛先はカールする。

今の空模様のように気持ちが暗くなりそうだ。

 暑さがやっと納まり、冬服へ完全に移行したのは数日前だった。

そろそろ進路をどうするか、決める時期が来ていた。

自分はなんとなく大学へ進学するんだろうなと七菜は思っているが、具体的に学びたいことがあるわけじゃない。

大学生生活に漫然とした憧れはある。

とりあえずそれに飛びついてみようと思いつつ、惰性で決めてしまうことへの罪悪感もある。

就職という道もあるが、七菜には進学と同じくらいピンと来ていなかった。

わずかな時間で将来をくっきりと思い描かなければいけない。それが難しく、苦しい。

そもそも自分は、何になりたいんだろう。

小さい頃の夢はパティシエだった。

甘いものが大好きってわけじゃないのに、なんでパティシエになりたかったんだろう?

それさえ覚えていない。

七菜の中で、物事は曖昧で中途半端のままだった。

 文化祭が終わったら真面目に考えた方がいい、と先輩は言っていた。

「あと、一か月かぁ」

そんな日なんて、来ないような気がした。でも、必ずやって来る。

何も決めることができないまま、時間だけはちゃんと流れるのが理不尽だった。

 住宅地の角を、七菜は曲がった。

すれ違う家からは元気な子供の声や母親の急かす声が聞こえてくる。

まだ大半の人が朝の身支度をしている時間帯で、道路に人影はほとんどなかった。

 七菜の自宅から学校までは、歩いて二十分もかからない。

両親が今のところに住居を決めてくれたのは、ありがたかった。忙しい朝も慌てずにいられるから。

こうやってのんびり登校することを、七菜は気に入っていた。

 通学路の途中に、小さな公園がある。

そこはベンチ一つと、申し訳程度のささやかな花壇があるくらいだった。

宅地造成後、中途半端に余ってしまった土地を無理やり活用したようなところだった。

七菜は毎朝、ここを横切る。二分もせずに通り抜けられるところだ。

 にゃあ。

振り返ると、ベンチに白い子猫が座っていた。

子猫は突然入って来た七菜に向けて、声をかけているようだった。

警戒心はなく、尻尾をパタパタと振っている。

「ふふ」

七菜は思わず、笑みをこぼれた。

再度、子猫は鳴いた。

にゃあ。

「にゃあ」

七菜の方も、それに応える。

子供っぽいことをしているなと思ったけれど、恥ずかしさはなかった。

どうせ誰も見ていないし。

朝の、まだ覚めきらない雰囲気に乗せられたのかもしれない。

気持ちは緩み、少しの間だけ悩みを忘れることができた。

 七菜はベンチに近寄り、子猫の横に座った。

小さな毛玉は逃げなかった。七菜を見上げ、ごろごろと喉を鳴らす。

「人間に慣れてるんだねー」

頭を撫でてやると、目を細めてせがむように自分から頭を擦りつけてくる。

「ごめんねー食べ物は持ってないんだよー」

さすがにポケットの中の飴玉をあげるわけにはいかない。チョコレートは…確か猫には毒のはず。なおさらあげられない。

 にゃあ、にゃあ。

「にゃあ、にゃあ。ちょっと待ってねー」

代わりに、ではないけれど、七菜は写真を撮ろうと考えた。

スマホは鞄の中にある。

右肩にかけたままの鞄を開けるため、身体をひねった。その時、背後に気配を感じた。

視線をそのまま向けると、男性が立っている。

「!」

七菜より五歳くらい年上だろうか。整った顔立ちに反して、黒髪には寝ぐせがついている。

よれたスウェットの上下を着ていることから、部屋着のまま朝の散歩に出てきたようだった。

ぽかんと口を開け、目を丸くしている。

「あ、あ!……これは」

ものすごく、恥ずかしい。

知らない人に、猫の鳴きまねをきかれるなんて。

弁解しようとする七菜の声は裏返り、ますます脈が速くなる。

言葉が上手く出てこない。それでさらに焦ってしまう。

いや、落ち着け。

そもそも、この人に説明する必要ないじゃない。

「失礼します」

と言って、七菜は立ち上がった。

一応体裁を取り繕うための台詞だったが、男性には何かもごもごと呟いたようにしか聞こえなかった。

七菜は、一目散に逃げていく。

「……なんだ?」

茫然と、男性は少女を見送った。

徹夜明けでふらふらと歩いてきた彼は、細かいところまで見ていなかった。

目を丸くしたのも、いきなり女の子がこちらに振り返って面食らっただけだった。

「びっくりさせちゃったのかな?」

 子猫がベンチから跳び下り、色白の足首に小さな額をこすりつけた。

男性は大きな手のひらで持ち上げる。子猫は嬉しそうににゃあと一声あげて、ごろごろと喉を鳴らした。


 毛先のまとまらない髪をゆらしながら、七菜は忙しく足を動かしていた。

頬はまだ赤い。

「あー今年は文化祭、何やるのかなー」

振り払うように、早口でそんなことを言う。

醜態はなかなか消えてくれず、目の前をちらついた。

 雨粒が一つ、頬の上に落ちた。

それが合図だったように、空からパラパラと振りだしてくる。

「……。本当に、ついてない」

七菜は駆けだした。

頬の熱は少しだけおさまり、冷静になれた気がした。

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