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夜這い小話

作者: 時化

時は寛永年間の頃。

戦国を駆け抜けた英雄達が老いて相次いでこの世を去っていく。

この頃は徳川家の力も強く安定した世相であった。

ゆえに農村も厳しいながらも多少なりとも余裕のある頃合いでもある。


梅雨の名残り雨が降る、でも少しずつ夏が濃密になる神無月(六月)の頃。

繁農期が終わり豊穣を祈る祭りの支度が始まる少し前のことだった。


この村では独り者の女の家に独り者の男が忍び込み、夜這いを行うという風習があった。

闇夜の中を一人の男が歩く。

名を太助という。

雨上がりのぬかるみを器用に避けながら空を見上げると満月が雲の切れ間から見えた。

太助は緊張した面持ちで粗末な裏口の戸を開ける。

幼いころから何度となく入った家だから勝手は知っている。

入ってすぐの簡単に仕切られた一室に忍び込む。


そこには粗末な布団に身をくるんだ妙齢の女が寝ていた。

寝ていた、と言っても実のところは起きている。

この夜這いの為になけなしの銭をはたいて買った紅もしている。

寝ているように振舞うのが、この村のしきたりだった。

太助は物音を立てないように女に近づく。

その寝ているふりをしている女を見る。

胸が高まるのを感じる。

おまつは太助よりも2つ年上の16歳であった。

幼い頃のおまつは女だてらに周囲の大人衆も呆れる乱暴者で、男の子を差し置いてガキ大将に収まっていた。

いつも真っ黒に日焼けしてニカッと笑うと白い歯がこぼれた。

村の子供の中でも"とろくさい"とバカにされていた太助をいつも蹴っ飛ばしては呵呵と笑うのだ。

正直、子供の頃はこのおまつが嫌いだった。

おまつに遊びに誘われると憂鬱になったものだ。

それがいつの頃からだろう。

乱暴にふるまうことも減り、年上の女衆から教わった可愛らしい髪の結い方をし始めたりした。

そのころからおまつはまぶしいほどの輝きを見せ始めた。

あれほど嫌だったのに、おまつにからかわれると嬉しくてしょうがなかった。

でも、その美しさは多くの村の男たちを惹きつけることにもなる。

いつしかおまつの周りには村でも一目を置かれる屈強で明るい男たちがいた。

その男たちは村の大人衆からも次世代の指導者として期待されていた。

そんなおまつに"とろくさい"太助が近づくこともできず、たまに見かけては物陰から胸をときめかせるくらいしかできなかった。


そのおまつに夜這いをかける。


それは太助にとっては一世一代の出来事なのは確かなことだろう。


太助は四つん這いのまま、おまつの顔を覗き込む。

なんとも言えない満たされた気持ちになる。

出来ることならずっとこの顔を見ていたいと思う。


太助がおまつの顔に近づく。

最初は接吻からだったな。

と村の若衆から習ったことを思い出す。


その時、プッとおまつが吹いた。

目を開けると緊張した太助の顔が目の前にある。

それでおまつは堪え切れなくなり大笑いしてしまったのだ。


「笑うなんてひどいじゃあ」


太助は頬を膨らませる。緊張も何もなくなってしまった。

「すまん、すまんよ、太助。怒らんといてえなー」

とまだクスクスと笑っているおまつは反省する風もなく口だけで謝る。


太助は恥ずかしくなり、顔を真っ赤にする。

「こっちゃね、まだあまり知らんことばかりなんね、笑うなんてひどかねー」

その太助を見たおまつは起き上がり太助を引き寄せ抱きしめる。

「おぼこいなあ。太助はおぼこいなあ」

おまつは歌うようにつぶやく。

「ワシももうわっぱちゃうぞ」

と太助は不満を述べるがその心地がとても良くてされるがままになる。

「そうねえ。来てくれたもんねえ。でも来てくれんかと思うたよ」

おまつは太助を抱きしめたまま耳元でささやく。

「何人きたん?」

太助がおまつに聞くと、

「んー、三人まではおぼえちゃるけん、そこからは忘れた」

とペロッと舌を出す。


この時代の夜這いは独り身であれば誰もが誰にしても良いことになっていた。

農村の意識として若いおなごは若衆のものというのがあった。

現代日本では到底受け入れられないものだろうが、江戸時代を通じての掟がその風習を生み出した。

女は誰が来ても受け入れることを義務付けられたが、人気のある女にはなんとなくだが順番のようなものがあった。

特におまつは孝蔵という庄屋の長男と恋仲であることは周知だった。

だから、最初は孝蔵と決まっていた。

しかし、恋仲だからと言って他の男の夜這いを断ることは掟に反する。

なぜならば、もし孝蔵に問題があって子を成せなければ庄屋は後継者が出来ず取り潰されてしまうのだ。

家を存続させるためには、後継ぎが必ず生まれなければならない。

それは江戸社会にあまねく広がっている掟であり、大名どころか将軍家ですら例外ではない。

これを回避するために、夜這いという風習が農村に根付いたのである。


「たぶん、ワシが最後やぞ」

と太助は拗ねたように言う。

それは暗に太助の村での序列が低いことを指している。

夜這いの順番に意味はないが、それでもなんとなく「序列順」というのが暗黙の了解だった。

「太助は体が小さいもんなあ。それに『とろくさ』やもんなあ」

太助はおまつに"とろくさ"と言われて怒るべきかと思ったが、その声色があまりに甘美で言葉が出てこない。

「でもなあ。太助はほんに優しい子。女衆はみんないうと。太助は優しいって」

「ワシは優しくなんかないぞ」

太助は照れてプイと横を向く。

「うふふ。あしがワッパの頃はよう太助をいじめたんよね。なんか弟みたいやった。いつもいやいやあしと遊んだもんなあ」

「そ、そんなことないがね」

「うふふ、うそついてもわかるちゃ。そげんもんわかる。それもあしらいらいらする訳ちゃ。でもあしが森で迷い子になったとき、太助があしを探してくれて見つけてくれたよね。おぼえちゃるけん。ほんに心細くて狼の遠吠えとかきこえてもうあかんと思ったときに太助の声が聞こえた。もううれしくてうれしくてねえ。駆け出して抱きついたっちゃねー」

「そ、そんなことあったかいな」

と太助は惚ける。

でも、太助もそのことは覚えていた。

おまつはいつも自分を連れまわしては無茶ばっかり言う姉のような存在だった。

でも、いなくなったと聞いたとき、いてもたってもいられなくなった。

夢中で駆け出した。おまつの行きそうなところから迷いそうな経路を考え抜いた。

「わんわん泣くあしを太助はだいじゅうぶ、こわない、こわないと頭撫でくれた」

そういうとおまつは太助の顔をじっとみる。

「太助はおみねちゃんのところにいってくれたんやてね?」

「あ、ああ」

「うふふ。おみねちゃんね。もうすごう不安になっていたんよ。ほらあの子男衆からよくイジメられてたんね」

「ああ」

太助は頷く。

おみねというのは、庄屋の小作の娘で幼い頃からガリガリに痩せていた。そして歯は出っ張り、骸骨のように目はくぼんでいた。この村の年頃の女衆でもとびっきりの醜女だった。

「まあワシにはお似合いじゃろう」

「ううん。確かにおみねちゃんは見た目は良くないじゃけど、気立ては村一番じゃ。それはおなご衆のみんなが知っている。そのおみねちゃんのところに太助が行ったって聞いた時のおなご衆の喜びは分かる?」

「いや……」

「村一番の気立てのよい娘んところに村一番優しい男が行ったってみんな大喜びしたんよ。だからあしは言ったんよ。ほらみろあしの弟分はわかっちゃちゃねーて」

とおまつは自らのことのようにうれしそうに話す。

太助はくすぐったそうに笑って頷く。

太助は村の中では序列が低いため、いつも雑用を押し付けられていた。村の行事があるたびに雑用を押し付けられ華々しい仕事はいつも屈強な若い衆の独壇場だった。

そんな太助が一人雑用を夜遅くまで片付けていると必ずおみねがやってきて、何も言わずに手伝ってくれた。

それがいつものことなので

「なんじゃ、おみねはなんか押し付けられてんかね」

と問うと、顔を真っ赤にして、

「う、ううん。ちがうっちゃ。いつも太助さまあ、お仕事最後までやっていて偉いなあって。あし、太助さまあのような人ってすごいなあって思うんよ。だから手伝いたくて……」

と両手をワサワサと動かしながら早口にしゃべった。

自分はいつも「押し付けられている」と思ってやっていたが、そういう風にみてくれるおなごがいると思うと太助は涙が出るほど嬉しかった。

それから様々な場面でおみねと言葉を交わすことが増えた。おみねは下働きを嫌がるそぶりもせず、にこやかにてきぱきとこなしていく。その仕事ぶりから働き者だということも分かった。

触れ合う回数が増えれば増えるほど、見た目は気にならなくなっていく。そうしているうちに、ちよっとした仕草や太助がからかった時にみせる真っ赤な顔がだんだと愛おしくなっていった。

それはおまつに寄せる恋心とは全く違うものだが、しみじみと心に染み入る愛情のようなものだった。

「あしなあ。おみねちゃんの良さがわかる男が村一番じゃおもう」

おまつはそんなことを言う。

「でも、おまつは孝蔵が好いとうと?」

太助は意地悪く訊く。

「うん。だってさあ、村一番のいい男が弟分じゃ二番目にしとくしかなかろう」

とおまつはクスリと笑う。

「わっぱ頃から弟みたいに思うとるちゃ男衆には見えんよ」

「まあの」

太助はため息をつく。

「でもワシはおまつのことがずっと好きじゃった」

太助は雰囲気もあってずいぶんと自然と告白をした。

「わかっとるよ。知っとるよ」

「わかっとったか」

「それくらいわかるちゃー。これでもおなごよー。でも、応えられんかった。ごめんねえ」

「きにせんなよ。ワシはそれでもこうしておまつを一度でも抱ければ嬉しいんじゃ」

「太助。嬉しいよ。今宵だけはあしは太助のことを男衆と思っとる。あしを好きにしてほしいちゃ」

おまつは、太助の目を潤んだ瞳でみる。

「ワシもあすからは、おみねと生きていく。今宵限りじゃ。ワシの思いはおまつの体に残らずぶちまけっちゃる」

太助はおまつを強引に抱き寄せる。

「ああ……」

おまつの熱い吐息が太助の耳をかすめる。

「おまつ、好きじゃ。大好きじゃあ」

太助はおまつにありったけの気持ちをぶつけるように唇を重ねた。


この村では神無月から豊穣祈願の祭りが始まるまでの間に夜這いが行われることを黙認している。

そのころは家の方でも女を裏口の近くの部屋に寝かせるようにするという周到ぶりだ。

そして夜這いが行われる結果として女が子供を身ごもるのは当然の流れであった。

しかしおまつのように複数の男に夜這いされた女であれば、誰の子かは分からない。

この場合、その子供の父親は誰になるのか?

その選択権は女に委ねられる。

つまり、夜這いをしてきた男たちの中から「この男を夫とする」というのを女が自由に決められるのである。

そして男はそれを断ることは絶対にできない。

それを断れば掟に従い村八分となり生涯陽の目を見ることはなくなる。

それが夜這いという風習だった。

女は男を拒めない。しかし、代わりに男は女の求婚を断れない。

それが「平等」と言えるものかは分からないが、一方的に犠牲を強いるものでもなかった。

この時代の農村の人々は村の中の役割を全うすることが生きる意味だった。


その年の秋。収穫が終わり豊穣を祝い感謝を捧げる祭りと共に村の結婚式が行われる。

この頃、女は妊娠四ヶ月目くらいである。

そして女が指名した男が夫となり、新しい家庭が築かれていくのである。

おまつは孝蔵の妻となり、庄屋を切り盛りしていくことになった。

太助はおみねを娶った。おみねは働き者として太助の家族にも愛されていくことになる。

そして多くの赤子が卯月(四月)頃に生まれる。

女達は赤子を背負いながら洗濯場に集まり、年上の女房も交えて子育ての悩みなどを共有していた。


その夜から数年後。

田んぼで真っ黒になりながら鍬を入れる太助に、

「おっちゃーん」

と大声を上げながら近づく男の子がいた。

鍬を地面に突き刺したままにして太助は振り返る。

この数年で太助はずいぶんと背が伸びた。今となっては村の男衆の中でも上の方だ。

多分に成長期が遅い子供だったのだろうと思われる。

幼い男の子が飛びつくように太助に抱き付く。

「おやあ、松蔵はおっかあに似て元気じゃねえ」

と太助は男の子を抱き上げ頭を撫でる。

「ほらあ、待ちんしゃい! もう目を離すとどこにすっとぶやらあ!」

その後ろから疲れ切った母親の声が聞こえる。

見やるとおまつが汗だくになりながら田んぼのあぜ道を走ってくる。

「わはは、おまつも大変じゃなあ」

と太助が声をかける。

「ほんに、こげに大変なこととは思わんちゃあ」

おまつは胸を抑えながら大きく深呼吸する。

「まあ、おまつの親も大変じゃったことがわかったやろ?」

と太助がからかうと、おまつは少女のように頬を膨らませる。

そして太助の耳に顔を近づけるとこうささやいた。

「何言うとね松蔵は絶対に太助の子じゃね! 小さい頃の太助みとるようじゃ。小さい頃から知っとるからようわかるんじゃ」

その言葉に思わず太助は抱いている松蔵の顔を見入ってしまう。

そうかの?

と思うがおまつが言うのだから間違いないのだろう。

その顔を見て松蔵はキャッキャッと笑い声をあげる。

「ほら、松蔵、おとさんが待っとるけえ、帰るよ!」

そいういうとおまつは太助から松蔵をひったくるように奪う。

その去り際、

「孝蔵さんには内緒よ。やきもちやくけえな」

とおまつは幼い頃のガキ大将時代のような口調で太助に命じた。

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