思惑の交錯①
濁流は俺たちを追い掛けて一気に坂を駆け上がり、まだ俺たちが行っていない分かれ道へと流れ込む。
ディティアとボーザックの五感アップは残してほかのバフはすべて速度アップの三重に上書きした結果、俺たちは全員が逃げ果せていたけど――まだだ。
「来るよ、皆ッ!」
ボーザックの声とともに、もの凄い勢いで水の中から『そいつ』が飛び出してきたのである!
ざばああああぁッ!
――大きいッ!
俺を丸呑みするのに十分なほど開いた口にずらりと並んだ牙は鋭く、どう甘く見積もっても肉食。
ランプに照らされてぬらぬらと光る体は銀色の鱗に覆われ、天井すれすれの位置で背中のヒレが波打っている。
存在するであろう尾ビレは丸々と肥えた体に邪魔されて視界には捉えられない。
最後尾のディティアとボーザックがその巨大な魚型の魔物から身を躱すために通路を駆け上がり――その足下で飛沫が弾けた。
「肉体強化、肉体強化ッ」
俺は自分のバフを書き換え、彼らと入れ替わるようにしてぎゅっと地面を蹴り飛ばす。
「おおぉぉ――ッ!」
そのまま魔物の脳天目掛けて一本だけの双剣を振り翳し、渾身の力で刃を突き込もうとして――。
「ははは、いいところに来たな〔白薔薇〕!」
「――はっ?」
ギンッ
自分でも間抜けだなと思う声がこぼれるのと同時に、鈍い感触で刃が弾かれ、剣を握る手から腕にじんと痺れが奔る。
咄嗟にぬめる魔物の頭を蹴り付けて後ろに跳んだ俺は、閃いた双剣と渋くて深みのあるいい声に――たぶん無意識に顔を顰めていたはずだ。
通路を跳ねた魚型の魔物は横倒しになってそれ以上ぴくりとも動かず、俺の剣を弾いた張本人は悠々とヒレの影から現れた。
当然ずぶ濡れ。腹立たしいことにそれでも味のある雰囲気を醸し出す熟年男性である。
白髪の混ざった黒髪に、笑うと深くなる目尻の皺。光のもとでは琥珀色に煌めく優しげな瞳。一部が薄い金属でできた革鎧と、白と黒の双剣。
「いや、水中で戦闘になるのは俺でも初めてでな。手こずった!」
それでも楽しそうに双剣をくるくるっと回すその人に、俺はがっくりと肩を落とすしかない。
「――あのさぁ――なにやってんだよ〈爆風〉……」
「ガイルディアさん⁉」
気付いたディティアの素っ頓狂な声が俺の言葉を盛大に掻き消すと……『伝説の爆の冒険者』である〈爆風のガイルディア〉は濡れた髪を手で掻き上げて片目を瞑ってみせた。
「元気そうだな〈疾風〉。――とりあえずここは場所が悪そうだ。上へ移動するとしよう」
「いや、誰のせいだよ……」
思わず突っ込むと〈爆風〉は「ははは」と楽しそうに笑って後ろを振り返る。
「大丈夫だ、行くぞ」
すると――魚型の魔物のヒレがゆらゆらと揺らめいた。
「!」
思わず一本だけの双剣を構えたけど――んん?
出てきたのは俺たちより年上であろう男性だった。
三十半ばってところだろう。
彼は歩く度にびしゃびしゃと水を滴らせながらも、冷ややかな顔で腕を組み〈爆風〉に向かって毒を吐いた。
「くそ。俺を殺す気かお前は」
そしてすぐに視線を移し、品定めするかのように俺たちをジロジロと眺める。
帝都のレンガに似た赤茶色の髪はかなり短め。筆の先を滑らせたような細い眉の下、吊り上がった翠色の瞳は射貫くようなキツい眼光を放っていた。
不躾な奴だな……というか、誰だ?
纏っているのは白いシャツ。太い革ベルトにはダガーが挿してあり、黒い細身のパンツ姿。
戦うには心許ない装備を見るに戦闘専門のトレジャーハンターってことはなさそうだ。
そうすると探索専門なのかもしれない。
彼は、つ、と顎を上げたあとで面白くなさそうにふんと鼻を鳴らし、カツカツと音を立てて歩き出す。
……歩く度にずぶ濡れの体から水が滴るのはちょっと気の毒だけど、乾かす暇は取れそうにない。
いまも轟々とうねりを上げる濁流は健在で、いつこっちに溢れてきてもおかしくはないからな。
ストーの話からすれば遺跡の『中枢』が自己処理を始めるはずだし、この場所が封鎖されたら最悪なことになる。
「――俺はウィル。訳あって遺跡にいたところをそこの男に『助けられた』。さあ、案内しろ」
擦れ違いざまに紡がれた言葉は不穏そのもの。
俺は〈爆風〉に説明しろと視線で訴えてから踵を返し、とりあえず移動を再開した。
――結局、戦闘らしい戦闘はしてないな……俺たち。
本日分おはやめ更新です!
よろしくお願いします!
爆風おじさまです!