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逆鱗のハルトⅢ  作者:
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溺惑の必要悪⑨

 ディティアは部屋に踏み込んで目を瞠った。


 蠢く黒い触手の塊は〔白薔薇〕に背を向けており、彼女から見て左手の壁にもたれ座っていた男は『血塗ちまみれ』だったのだ。


「……ふ、ふ」


 それでも男は笑っている。


 その異質で異様な空気が肌に纏わり付くようで、ディティアは腕を大きく振り払って駆け出す。


 ――とにかくいまはあの人を通路まで連れていかないと!


「ふふ、ふ……」


 なおも笑う男は右半身をディティアに向けていたが、その左半身が視界に飛び込んだ瞬間、彼女はごくんと息を呑んだ。


 ――腕が。


 あるべきものがそこにない。


 男は布を縛り付けてなんとかしているが、蒼白な顔色は状況の悪さを物語っている。


 ディティアはさっと魔物を確認し、グランとボーザックが気合とともに攻撃を繰り出すのを横目に男の右肩を掴んだ。


「しっかりしてください! ここから下がります!」


 彼女の言葉に彼は言われたとおり『しっかり』とディティアを見ると、また笑った。


「ふふ、どなたか存じ上げないが見たまえ。これこそ帝国民を選定する『必要悪』だ」


 男はギラギラした紅い瞳に、白髪混じりの黒髪。


 ところどころ千切れて血で染まっている研究服を纏っていた。


 しかも決して己を見失ってはおらず口調もはっきりしている。


「……『必要悪』?」


 彼がアンバーだろうと予想しながらも、ディティアは聞き返す。


 男は頷くとディティア越しに魔物を見て目尻を下げる。


「病を撒く魔物。彼は帝国民を選別し相応しくないものに病をもたらす。魔力結晶が生み出した最高の存在なのだよ!」


「……。とりあえず通路へ。ここは危険です」


 話が通じる状況ではなさそうだ。


 ディティアはそう判断して身を屈め、彼の右腕を引いた。


 アンバーは再びディティアに視線を戻すと首を振る。


「私は見届けなくてはならない。彼の撒く病がどうなるのかを。このとおり圧倒的な強さだろう?」


 まるで自分の言葉に酔っているような恍惚こうこつの表情。


 彼の視線の先で魔物の触手が大きく振られたのをグランの大盾が受け止め、ボーザックが斬り掛かる。


 戦闘音は部屋の中にこれでもかというほど木霊していたが、アンバーはそれすら楽しんでいるかのようだ。


 ディティアはゆっくりと息を吸い、アンバーの右腕から手を離して双眸を眇めた。


「――させません。私たちは……負けません」


「……ふむ」


 そこで初めてアンバーは〔白薔薇〕に興味を持ったらしい。


 紅い瞳はディティアを映し、じっくりと観察するような素振りをみせる。


 アンバーの腕がなぜそこにないのか。


 連れていったひとたちを彼がどうしたのか。


 ディティアは考えたくはなかったけれど、それでも口にした。


「紅い粉を飲ませたひとを――贄にしたんですか」


「ほう。どうしてそんな考えに至ったのか聞かなければならないな」


「あれは『魔力結晶が生み出した魔物』なんですよね? あなたは紅い粉をスルクトゥルースにもたらした――そして私たちは『贄を必要とする魔物』に心当たりがあった。だからです」


「なるほど、なるほど。事実と実体験に基づく考察か。素晴らしい。ではわかるはずだ。帝国民たちに古い血族など不要で、この先にあるのは新しい血の築く国」


 ディティアは一瞬だけ言葉に詰まった。


「新しい国を造るとでも言うつもり、ですか」


「ふむ。それには違うと答えなければならない。私はこの『必要悪』が勝手に国を変えると思っている。そこに私の意志は関係がないのだよ」


「……病のあとによりよい国が残るなんて思えません。だからこれは――ただの悪です」


 臆せず応えたディティアにアンバーはふふと笑う。


「では勝負したまえ。彼は強いぞ」


 アンバーが逃げることはない――そう判断したディティアはくるりと踵を返した。


 ――キィス様も、スルクトゥルースのひとたちも……誰ひとり不要だなんて言わせない。


 誰かの命。ディティアにとってそれは守るべきもので、己の心の傷に触れるものだ。


 だから彼女は双剣を構えると床を蹴り抜いた。


「私たちが勝ちます、勝負になりません!」


◇◇◇


 ディティアがアンバーらしき男となにか話しているのにグランとボーザックは気付いていた。


 通路に移動しないところを見るになにかあったのかもしれない。


 彼らは目配せして位置取りを変え、ディティアとファルーアに魔物の意識が向かないよう次々と攻撃を仕掛ける。


 魔物が持つ炭のように黒い皮膚は人のそれとは違い、なにか粘液のようなものを纏っていた。


 ……その双眸は紅く爛々と光を放つ。


 ここは湖と繋がっていないため、やはり魔物が蛸のような形だと確認できる。


 その大きさはグランが見上げるほどだ。


 なにかを喰らっていたのか……口から這い出す太い触手の一本が赤い。


「おおぉっらあ――ッ!」


 グランの振るう大盾が触手の一本へと叩きつけられ、次の触手が彼の右側から迫り来る。


「たあぁあっ!」


 気合を吐き出しながらボーザックがその触手へと大剣を振り下ろし、ぐにゃりとした弾力のあとで刃が肉に食い込んだ。


「――悔しいけどバフがないとやっぱり断ち斬るまではいかないや」


 剣を引き抜いて飛び離れたボーザックが大きく息を吸いながら戯けてみせる。


 そんな場合ではないのはわかっているが、彼の顔には苦笑が浮かんでいた。


「はっ! 確かに一撃受けるのも重てぇがまだまだやれるだろうよ! 次だ、いくぞ!」


 グランはそれを笑い飛ばし、再び盾を構えて踏み切る。


「ボーザック! 裏側から押さえてやる! 叩き斬れ!」


「了解ッ!」


 彼らは左右に展開すると、それぞれに襲い掛かる触手を躱して『同じ一本』を狙った。


「おおおぉっ……らああぁ!」


「いくよグラン――やあぁぁっ!」


 互いの得物が触手の左右から白い線を描いて撃ち込まれる。


 しかし。


 ブツンと手応えがあって笑みを浮かべたふたりのあいだ、魔物の体液が噴き出した。


「うおぉッ⁉」


「げーっ!」


 瞬間、ひらりと風が舞い――『彼女』は体液を撒き散らす触手の上へと身を踊らせる。


「はあぁ――ッ!」


 ずだあぁんッ!


 勢いそのままに〈疾風のディティア〉によって床に叩きつけられた触手の傷口が白く煙ったのは、まさにそのときだった。


「三人とも離れて。――凍てつきなさい!」


 響く声に呼応して――壁に、床に、氷の華が咲く。


 ファルーアの杖が煌々と光を放ち、空気が急激に熱を失った。



すみませんちょっとあきました!

よろしくお願いします!

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