溺惑の必要悪③
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先に中枢に向かったディティアたちは遺跡が震えるのを感じていた。
――大丈夫、大丈夫、きっと……!
己に言い聞かせながら懸命に駆け抜けたディティアは、あとから戻ってきたグランに担がれているハルトを見た瞬間――息を呑んで言葉を失った。
ぐったりと力なく揺れる腕、上がることのない顔。
彼女の隣にいたボーザックが弾かれたように駆け出しても……ディティアは動けず……立っているのがやっとの状態だった。
すぐにでもそばに行きたい――そう思うのに、不安が胸の奥で膨れ上がって指先ひとつ動かせないのだ。
「ハルト……ッ! な、なに、どうしたのさ⁉」
ボーザックは息を切らせているグランからハルトを支えて降ろし、すぐに床に横たわらせる。
ハルトの腹が血に染まっているのを見てひゅ……と喉を鳴らしたけれど、彼が捲り上げた上着の下――傷が深いようには見えない。
「治癒活性バフで、傷を塞いだのよ――は、ふ……でも、様子が変だわ。すぐに医者に診せなきゃ――はぁ……」
膝に手を突き、グランと同じく肩で息をするファルーアが空気を求めて喘ぐ。
「キィス! ウィルとストー……それからミリィも呼んでこい! ヒールが効くとは思えねぇがないよりマシかもしれねぇからな!」
「わ、わかった!」
怒鳴ったグランに、螺旋階段にいたキィスは弾かれたように立ち上がって慌てて走り出した。
兄弟仲がどうとか、そんなことは〔白薔薇〕にとって二の次だ。
「ティア、布を濡らして持ってきて! 傷を見なきゃ――……ティア?」
ボーザックがこびりついた血を拭うために言いながら顔を上げ……固まっているディティアの様子に気付く。
「あ……は、はい!」
ディティアは我に返ると袋から布を取り出そうとして……明らかにもたついた。
指先が何度も袋を開けようとするのにどうしてもうまくいかない……そんなふうに見え、グランが眉を寄せ、ファルーアがぎゅっと杖を握る手に力を込める。
「――ファルーア」
囁くような声でボーザックが言うと、ファルーアは頷いてディティアのもとへと移動する。
グランは自分の布を取り出し、湖の水に浸してからボーザックに渡した。
「……なにしてるのさハルト。あんなふうにティアが取り乱すのハルトのせいだからね……聞いてる?」
ボーザックは文句を言いながら――そうやって己を律し、ハルトの傷口の周りにこびりついた血を拭う。
グランが立ったまま見下ろし、口を開いた。
「――どうだ?」
「ん……なにかに撃ち抜かれた感じかな……? 傷口は綺麗じゃないから……剣とかそういうのじゃないと思う……でも」
「でも?」
「ねぇグラン。この状態のハルト……見たことあるような気がしない?」
「あぁ?」
グランはぐったりと力なく横たわるハルトの青白い顔をじっと見たあとで顎髭を擦る。
「……いや、待て……そんなに『使った』か? そんなはずは……」
「俺もそう思う……でも体は熱くないし、脈は遅いけどおかしいってほどでもない気がするし……だから……」
ボーザックが考えていることはグランにもはっきりと伝わった。
ただ静かに眠っているようなこの状態は『魔力切れ』と似ている……そう言いたいのだ。
ファルーアが最初の災厄――災厄の黒龍アドラノードを屠ったときも、いまのハルトのようにぐったりと……まるで人形のように眠るだけだったのをふたりは覚えている。
それにハルト自身が『魔力切れ』で倒れたときも、まさにこんな状態だった。
「もしそうだとしてさ……グラン。俺、考えたんだ……古くからここに住む人が罹る病気――それって『古代の血を引く人』が罹ってるんじゃないのかな。その病気をばらまくのがさっきの魔物だとしたら……」
ボーザックが口にした考えにグランは目を瞠った。
ハルトを見詰めたままのボーザックは続けて言葉を紡いでいく。
「それだけじゃない。もしかして……もしかして、だよ。その病気がずっと昔――古代に流行った『災厄が制御できなくなる切っ掛け』だとしたら。病に罹っていない『古代の血を引く人』がレイスになったら――そこからは……」
「ボーザック。それは……いま口にするんじゃねぇぞ」
グランはボーザックの言葉に被せるように言い放つと、ハルトの横に膝を突いた。
固い地面の感触が膝当て越しに伝わるのを感じながら、彼はゆっくりと息を吸う。
「……あの魔物が『病の元凶』だとするぞ。ハルトはその病を撃ち込まれた可能性がある。それが『魔力切れ』を誘発するような代物だったとして――まだ情報が足りねぇだろうよ。なにも判断できねぇ」
「……うん。だけど『どんな病気』なのかは、いま聞き出せるよグラン」
ボーザックは視線だけをちらと螺旋階段に送った。
そこにいるのは不安そうに身を寄せる『スルクトゥルース』たちだ。
「ボーザック」
そこで名を呼ばれ、ボーザックは短く息を吐き出した。
呼んだのはファルーアで、ディティアがその隣で神妙な顔をしている。
「ハルトは大丈夫だよティア」
嘘にはならない……ボーザックはそう願いながら口にした。
ディティアが明らかに安堵の表情を浮かべて踏み出すのを見届け、ボーザックは立ち上がる。
――あんなに取り乱すのは……ティアらしくない。ハルトのことがあっても、なんだか――。
「ティア……平気?」
「ごめんボーザック……なんだかすごく不安になって……自分でもよくわからないの」
どうやら彼女自身も混乱を生じているようだ。
俯き気味のディティアの髪が頬に掛かるのを見て、ボーザックは躊躇いがちに手を伸ばすと――ぎこちない動きでその髪を一度だけ撫でる。
はっとして瞼を瞬くディティアに、ボーザックははにかんでみせた。
「ハルトならこうしてると思わない? ……大丈夫。ティアはちょっとそこにいてあげてよ。俺、スルクトゥルースと話してくるから」
「ボーザック……うん。ありがとう」
ふふ、となんとか笑みを浮かべたディティアの後ろ、ファルーアが小さく頷いたのを確認してボーザックは歩き出す。
――ティアも混乱してる……俺がハルトのぶんもなんとかしなきゃ。
そうやって意気込む彼の背中を見詰めてからグランは血に濡れたハルトの服を下ろし、ディティアとファルーアに場所を譲ってあとを追う。
「……は。嫌な予感がしやがるな」
小さく呟かれた言葉は……誰の耳にも触れなかった。
本日は朝投稿。
引き続きよろしくお願いします。
逆鱗のハルトとは別で『革命のアガートラー』の連載を始めています。
クソクソ言う性格がさばさば系主人公が魔族相手にがっつり戦うハイファンタジーです。
よろしければどうぞ。




