溺惑の必要悪①
シャアンッ!
澄んだ音色で引き抜かれたディティアの双剣がその刀身に篝火の光を踊らせる。
グランが大盾を構えて前に出ながら「下がれ!」と指示をすると、ボーザックがケルヒャを担ぎ、ファルーアがキィスやほかの男を下がらせた。
「――来ますッ!」
ディティアの声に俺は双剣を構えて腰を落とし――。
ザパアアァ――ッ
水飛沫とともに襲い来る『触手』を跳ね上げて手を突き出した。
「肉体強化っ、肉体強化、速度アップ!」
五感アップに上書きして速度アップを重ね、全員を三重に。
それでも恐ろしいまでの気配がそこに存在し、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
どこにこんなのがいたんだ?
どうしていままで気付かなかった⁉
全身が――ずぶ濡れだとかそんなの関係なく冷えていく。
「はぁッ!」
気合いを吐き出すディティアの双剣が鋭い音で水面から突き出した触手を斬りつける。
その一本だけでもディティアより遥かに太く、黒くぬめりのある表面は蛞蝓みたいだ。
「おおおぉぉっらあッ!」
グランが大盾で弾いた次の一本にキィスたちを下がらせたファルーアの炎が爆ぜてなにかが焼ける臭いが満ちる。
――そのとき。
『ウォォォ……!』
低い轟きが腹の底に響き渡り、水面が盛り上がった。
うねり、流れ、渦を巻く水の中から覗くふたつの紅い光が明滅を繰り返し――俺は浅くなる呼吸を必死で整える。
「なんなのさ――あれ」
ケルヒャはキィスたちに任せたんだろう。そこでボーザックが大剣を閃かせて俺の隣に戻ってくる。
だけどそんなの俺にもわからない。
首を振って双剣を胸の前に構えた俺の前方、そいつは何本もの触手を這わせながらゆっくりと『頭』を持ち上げた。
顔……巨大な人の顔だ。
髪はなく、触手と同じ色をした漆黒の皮膚はぬらぬらと光る。
口の部分が大きく裂けてそこから太い触手が何本も生え、蛸を思わせる様相で。
「――おい。こいつは、まるで……」
「可能性は否定できないわね」
グランがこぼすその声が耳に触れ、ファルーアが龍眼の結晶の杖を掲げて唇をキツく結ぶ。
爛々と光る血色の双眸。あまりにも異形なその姿に否が応でも思い出す。
まさか、まだ『残っていた』なんてこと……。
「災厄――なのか……?」
グランとファルーアのあとを引き継ぐように口にした俺に、真っ赤な瞳がぎょろりと蠢く。
「……ッ!」
次の瞬間、大きく振り上げられた触手がディティアに襲い掛かる。
彼女は右に跳んで躱し、触手が石臼を弾き飛ばすと同時に双剣を閃かせた。
「駄目、軟らかいけど――大きすぎる!」
「じゃあ俺の出番だね――たあぁっ!」
駆け出すボーザックが左下から右上へと振るった白い大剣が触手を捉える。
ズシャ――ぶしゅうっ!
「っ、うわ……!」
ところが。
深々と剣を穿たれた傷口から生々しい音とともに体液が噴き出し、あろうことか体液が降り注いだ地面からはジュワリと嫌な音を立てて煙が上がった。
「速度アップ、速度アップ! ――おおぉっ!」
俺は二重の肉体強化バフを書き換えて踏み切り、左足を軸にして触手を思いっ切り蹴り抜く。
弾かれた触手がうねって下がり、体液はボーザックと反対方向へと散らされた。
「助かる、ハルト!」
飛び退いたボーザックはびゅんと大剣を振って唇の端を吊り上げると再び腰を落とす。
「酸、かな。嫌な感じだね。とりあえず俺の大剣は無事みたいだけど」
「――深く斬るとあの液体が飛び散るのかも。私の双剣は分が悪いかな……」
そこにスタリと軽い音を立ててディティアが戻ってくる。
俺は様子を見ているらしい魔物から目は逸らさずに言った。
「さすが飛龍タイラントの角、ってとこか。……ファルーア!」
「わかっているわ。消し炭にすればいいんでしょう?」
俺が振り返ると、妖艶な笑みを浮かべた彼女がきっぱりと言い切った。
まったくもってうちのメイジは頼もしい。
その隣、グランが大盾を構えて鼻を鳴らす。
「援護する。……あれがなんだか知らねぇがもう水中は嫌だからな、お前ら少し下がれ」
「わかった」
「はい」
「了解ー」
俺、ディティア、ボーザックはそれぞれ応えて魔物から距離を取った。
それを追うように触手が伸ばされたところに炎が爆ぜて牽制し、ファルーアがくるりと杖を回して前方に翳す。
「キィス。ここは『崩れても問題ない』かしら?」
「……あ、は、はい! ただ僕たちが避難するのに少し手間が……」
「ならいますぐ逃げなさい。中枢で合流よ」
「えっ?」
通路まで下がらせていたキィスが上擦った声で応えるけど……問答無用。
ファルーアが立て続けに炎の球を繰り出して魔物の視界を眩ませる。
「ボーザック、悪ぃがケルヒャを頼む。ディティア、念のため護衛に付いていけるな? ハルト!」
「おう」
グランがすぐさま指示を飛ばし、俺は手の上にバフを練り上げる。
「肉体強化、肉体強化、速度アップ、五感アップ!」
肉体強化と速度アップはグラン、ボーザック、ディティアのをかけ直し、ディティアにだけ五感アップを追加。
「威力アップ、威力アップ、持久力アップ!」
こっちはファルーアだ。
「本当は俺も戦いたいんだけど――気を付けてね。ティア、行こう」
「……うん」
ボーザックの言葉に、一瞬だけ……エメラルドグリーンの瞳が不安そうに俺を映す。
俺は左手を持ち上げ、手首の腕輪を見せるようにして笑った。
「今度は濡れないようにしないとな」
彼女はそれを見て唇の端を引き上げると、こつんと自分の左手をぶつける。
揺れるエメラルドがちかりと瞬くのを見詰めて俺はしっかりと頷いた。
「大丈夫。任せろ」
「うん。気を付けて……ハルト君」
細められた双眸に胸の奥が締め付けられる。
――不安になんてさせたくない。期待に応えたいんだ、俺。
駆け出すディティアとボーザックを見送って、俺は魔物に向き直る。
やる気は十分だ。
「さてと、作戦は?」
「持久力アップをもうひとつお願い。――ふたりとも、悪いけれど少しのあいだ私を守ってもらうわよ?」
そこでファルーアがカツンとヒールを鳴らした。
「おうよ、全力で守ってやる」
「持久力アップ! ……それじゃ、討伐開始といきますか!」
応えた俺たちに、我らが〔白薔薇〕の高火力メイジは妖艶な笑みをこぼした。
本日分です。
よろしくお願いします!




