結晶の代償⑨
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「グランさん、とにかく私たちは彼女をなんとかしましょう」
ハルトたちが濁流のなかに消えると、ディティアがグランを振り返った。
昨日〈爆風のガイルディア〉が倒した紅鎧の生臭さと先程ファルーアが燃やした紅鎧の焼ける匂いが入り混じり、あたりの空気は混沌としたものになっている。
灯りはなかったが、まだディティアが銀色の光を纏っていた。
グランは頷くとゴツゴツした岩肌に横たえられた黒ローブの女を覗き込む。
「おい、しっかりしろ」
顔色は決してよくない。頬を叩くのは躊躇われるがそんなことを言っている場合でもなかった。
グランは彼女の痩せた左頬をペシリと叩く。
「……ハァッ」
瞬間、女の胸が大きく膨らみ、血走った目が見開かれた。
どうやら壁が崩れてすぐに失神していたようだ。
水を飲んだわけではなさそうなので安堵の吐息をこぼすグランとディティアだったが……女は視線を泳がせ、獣のように呻いて自身の頬に爪を立てた。
「ぐぅ……うぅ。あぁあ――ッ!」
「! まさか中毒症状か⁉」
グランが咄嗟にその手首を掴み、地面へと押さえつける。
硬く冷たい岩肌がその細い腕に食い込むが――いまは耐えてもらわなければならない。
「うヴ……あああっ!」
「しっかりしてください! 大丈夫、もうここは安全です!」
ディティアが彼女の頭上から覗き込み目を合わせようとしたけれど、血走った瞳はぐるんぐるんと円を描くだけだ。
「……ぐう、クスリ、くすり、があぁ――!」
「くそ、ここにはねぇし呑ませてもやれねぇ! 紅い粉は駄目だ!」
グランは彼女に馬乗りになり、暴れるその腕を傷付けないよう慎重に押さえ続ける。
「アアアァッ!」
目を剥き、足をばたつかせる女に――ディティアはぎゅっと唇を噛んだ
「これが結晶の代償……酷いですこんなの……!」
グランは悲痛な顔で黒ローブの女を見下ろす。
「くそ。縄も流されちまったし……ハルトの精神安定バフなら――」
すると突然女の目がぴたりと定まり、グランの目を真っ直ぐに見返した。
「……ハア、ハア……ああ、うう。死ぬんだ、私は死ぬんだ……」
「馬鹿言うな、落ち着け……大丈夫だ。お前、自我があんだろうよ。まだ戻れる、心配すんな」
咄嗟に宥めたグランに向けて女は自嘲気味に笑う。
「……違う……ちがう。私の体は、医者に匙を投げられるほどに病んでいる……ずっと、動けなかった、かったんだ。だから、だから紅い粉、コナ、こなが……ここまで、最後、最後に、動けるようにしてくれた」
「――そんな」
眉尻を下げ、悲しそうに瞼を伏せたディティアの声。
グランはゆっくりと瞬きをすると唇を開いた。
「それで? ゾンビになって誰かを狩る――それでいいのか、お前は。帝都を沈めて周りを巻き込むことが望みだってのか?」
「沈めるのは、しずめ、沈める、帝国宮。道連れ、は、皇帝。知ってる? 研究所のせい、爆発が、爆発が起きて、私たち巻き込まれた。あのときの、毒……毒が体に……アアアァッ!」
「ッ、くそ!」
再び暴れ出す女の腕をグランは地面へと押しつけ、続けた。
「――多くが命を落とすことがお前の望みなら、そりゃ叶えてやれねぇ。紅い粉で動けるようになったとしても、その力でてめぇがゾンビ化するような毒を投与する奴の気が知れねぇ!」
「ウウウウウ!」
唸る女の唇の端に泡が溜まる。
グランは瞬きもせずに彼女を見据え、その細い手首をぎゅっと握った。
「こっちを見ろ! お前は獣か? ゾンビか? 違うだろうよッ!」
そのとき、ふっとあたりを闇が包み込む。
ディティアにかけられた浄化のバフが消えたのだと認識したグランは――深い闇のなかにそれを見た。
至近距離で爛々と光る獰猛な紅い瞳。比喩でもなんでもない――血結晶のその光だ。
「――ッ! くそったれ……うおぉッ⁉」
信じられないほどの力が腕を伝わり、グランの上半身が持ち上がる。
同時に女が腰を跳ね上げ、グランを頭上方向へ投げ飛ばした。
「っ!」
グランは派手な音を反響させながら転げたが、ディティアは己の感覚ひとつでそれを避け、シャアンッと双剣を抜き放つ。
「オオォ……アァ」
闇に浮かぶふたつの眼。
まだ流れているのであろう濁流が激しい水飛沫の音を散らす。
「――ちくしょう。ゾンビ化しやがった……ッ」
ガシャ、と音を立ててグランが立ち上がるのを感じ……ディティアは腰を落とした。
「来ます、グランさんっ!」
「ああ、やるぞディティア!」
――せめてもう眠らせてあげなくちゃ――それがこの人にとって迷惑だったとしても……!
ディティアは意を決し、双剣を握り締める。
……そのとき、迷いなく放たれた声が遺跡内を駆け抜けた。
「――浄化ッ!」
本日分です、よろしくお願いします!




