狂乱の英断⑨
「回復を――!」
続いて聞こえる柔らかな声は聞き覚えがあるような気がする。
だけど声の主を確認しようとした俺の視界に、突如ぽわりと淡い緑色の光が灯った。
「んん⁉」
光っているのは俺の額だ。慌てて右手で触れるとぬるりとした感触が指先を濡らす。
顔の前に持ってくると――紅く染まっていた。
「うわ、血って俺のことか……」
確かめた箇所に傷はないから――光はヒールみたいだ。
無我夢中だったから怪我してたなんて全然気付かなかった。
〈爆風〉の一撃……容赦なかったもんな。
「――訓練とお伺いしましたが、これはどういうことですの? 模擬戦用の木刀があるはずですわ!」
あれこれ考えを巡らせていた俺の前にヒールを使ってくれた女性が駆け寄ってきたのはそのときだ。
「大丈夫ですか? すぐに血を拭いましょ――――え?」
「あ、いや俺は大丈夫――――あれ?」
目の前の女性に、俺はぽかんと口を開けてしまった。
赤茶色の豊かな髪はゆるく波打っていて、大きな瞳は翠色。
服装こそ深緑のローブじゃなくて深紅のドレスに変わっていたけど――彼女は俺を誘拐し、さらには逃がしてくれたミリィに間違いなかったんだ。
「は、ハルトさん――⁉ どうしてこちらに……」
「なんだ知り合いか〈逆鱗〉?」
ため息混じりに双剣を腰に収めた〈爆風〉が呆れた声を出す。
するとミリィはびくりと肩を跳ねさせて上擦った声を絞り出した。
「や、野蛮な冒険者には聞いておりませんわ! あ……あなたが〈爆風のガイルディア〉であることは存じ上げています……! 兄から聞いておりますわ!」
俺はぎょっとして彼女をまじまじと眺める。
彼女……誰かにこんな酷いことを言う人には見えなかったのに。
それだけ『冒険者』を嫌う風習が帝国にはあるってことなんだろうけど――いたたまれない。
緊張しているのか……ミリィが胸の前で握り絞めた手は白くなるほどで、引き結ばれた唇は小さく震えていた。
そこにボーザックが大剣を背負い直しながら歩み寄ってくる。
人懐っこい笑顔を浮かべているのはさすがと言うべきかと思ったけど……いや、あれは怒ってるなボーザックの奴。
「ハルト、どちら様?」
にこにこして見えるけど本来の笑顔じゃなく、その声もどことなく冷たい。
俺は肩をすくめて双剣を収め、両手を開いてまあまあと彼を制した。
「あー……ミリィ。実はさ、俺も冒険者なんだ……野蛮なんて言葉は傷付くよ」
「えぇっ⁉ そ、そんな。嘘……だって、あなたトレジャーハンターと名乗って……それにここは兵舎ですわ――冒険者が出入りできるなんておかしいのではないかしら……」
「これはこれはミリィ様。許可は私が出しました」
そこで見ていた甲冑……たぶん帝国兵第五隊隊長のアーマンが声をかけてくれた。
「え? 許可ですって……?」
ミリィが困惑を隠しきれずに視線を泳がせるあいだに、ディティアが小走りで俺の傍にやってくる。
「えっと――ハルト君。いま、もしかしてミリィって言わなかったかな……」
彼女がおずおずと声をかけてくるので、俺は苦笑して頷いた。
「言った。事を荒立てたくないし――えぇとミリィ……話がしたいんだけど」
「――酷いですわ。ハルトさん、わたくしを騙していたのですね……⁉」
けれどミリィは深く傷付いたように眉尻を下げ、唇を震わせて呟く。
青ざめて後退ろうとする彼女の赤茶色の髪が揺れ、俺は慌てて首を振った。
「え、いや……そうだけどそうじゃなくて……俺がトレジャーハンターなのも本当なんだ。今回はウィルに呼ばれて――」
「――大丈夫ですよ〈逆鱗〉さん。ミリィ、言ったでしょう。ここで訓練している彼らは〈爆風〉さんと同じ、私とウィルのお客人です」
そこにどことなく柔らかな空気を纏ったストーがグランとファルーアと一緒にやってくる。
「グラン、ファルーア……これどんな状況?」
ボーザックが「はあー」と深いため息を吐き出して肩の力を抜くと、グランは顎髭を擦りながら困ったように唸り声を上げた。
「んん……俺にもわからん。ハルト、話のミリィってのは彼女で間違いないんだな?」
「う、うん……」
とりあえず頷くと、〈爆風〉と〈疾風〉が顔を見合わせる。
ミリィは目をこぼれんばかりに見開き、かぶりを振った。
「――ストー、それでは兄は『冒険者』を客人として招いたというのです⁉」
その言葉に、にわかに帝国兵たちがざわつく。
ストーは面白そうな表情を浮かべ、ぽんとミリィの肩を叩いてから大袈裟な動作で腕を広げた。
「ええ、ええ、そうです! 彼ら『冒険者』をウィルヘイムアルヴィア皇帝が招いたわけですよ! ……さあミリィ、お話は食事の場でしましょう。こちらへ。……皆さんはもうすぐ準備が整いそうなので先に浴場へどうぞ」
「…………」
ミリィは不安そうな顔で一瞬だけ俺を窺った。
俺は苦笑して彼女にひらりと手を振る。
「――ヒールありがとう。またあとで、ミリィ」
「…………」
彼女はなにも言わなかったけど、ドレスの裾を摘まみゆっくりと礼をして、ストーと一緒に歩き去った。
「で、どういうこと?」
俺が腰に手を当ててグランに聞くと、ファルーアがさらりと髪を払いながら代わりに口を開く。
「ハルトの話をしたらストーが彼女を呼んだのよ。模擬戦中の〈爆風〉を迎えにいくのにヒールが必要かもしれないから付いてきて……ってね」
「なるほど。ストーはミリィのこと知ってたんだな……っていうか兄ってウィルのことか?」
俺が呟くと〈爆風〉がじっと俺を見詰めて言った。
「――彼女にとってお前を無傷で逃がしたのは狂乱のなかの英断だったようだな〈逆鱗〉」
「え?」
「もしお前になにかあったあとなら――〔白薔薇〕が彼女を許すわけがない――俺もな」
「……〈爆風〉」
思わずこぼすと、ファルーアが踵を返した。
「――否定はしないわ。まあ、詳しい話はあとで聞きましょう? まずはお風呂。あんたもその血、さっさと流すのよ」
「……あ、うん」
なんだか変な流れで稽古が終わっちゃったな……。
ぱちぱちと瞬きする俺の背中をボーザックがぽんと叩いたのはそのときだ。
「とりあえず行こうハルト。お風呂でなんかこう……いろいろさっぱりして肉でも食べよう! 俺お腹空いちゃったよ!」
……俺たちはアーマンにお礼を告げ、帝国兵からの刺さるような視線を浴びながら兵舎をあとにするのだった。
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