狂乱の英断③
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……深い深い意識の底から浮き上がる。
指先に、腕に、足に――硬く冷たい床とざらざらした砂や埃の感触。
冷静でいられたのはまだどこか気怠かったからだ。
完全にやらかしてしまったことに嫌な汗が滲む。
「……、……!」
誰かが離れた場所でなにか言い合っていて――俺は瞼を閉じたまま自分の状況を確かめた。
うん……縛られてるな。
でもキツくはなく、しかも腕を後ろに回して胴体ごとぐるりと巻いているだけ。
これなら抜けられそうだ。
それと……被された袋は外してもらえていた。
あれに入っていたのはなにかの薬だったんだろう――まだ頭の奥がズキズキと痛む。
俺は極力静かに息を吸い、ゆっくり慎重に吐き出した。
落ち着け、とにかく逃げないと。……いまどのくらいの時間なんだろう。心配してるよな、皆。
(……五感アップ)
あれこれと考えながらバフを広げると、離れた位置の気配が濃く縁取られる。
痛みも強くなったけどそれどころじゃない。
近くには誰もいないようなので、俺は薄く右の瞼を持ち上げてあたりを確認した。
――小部屋か……ここは遺跡の中かもしれないな。
赤茶色のレンガ造りはどこか見覚えがある。
通路は一本で、その先は左右に分かれているようだ。
俺は縄から腕を抜くためにゆっくりとずらしながら耳を澄ませた。
「……でも一般人よ、巻き込む必要はなかったのではないかしら」
「姉さん、落ち着いて。あいつは俺たちを付けてた、間違いない」
「あなたは気配とかいうのを感じたのでしょうけど、わたくしにはわからないもの。とにかくこのままになんてしておけないわ、彼は解放します」
「……わかった、わかったから。……じゃあ僕が戻るまで待っていて、これを届けないと」
「……わかりました」
――完全に俺のことだな。
あれだけ距離を置いていて気配を感じるとか……何者なのかわからないけど嫌な予感しかしない。
うまくいけば解放してもらえそうだけど、あんまり楽観視もしていられないだろう。
――よし、縄はなんとかできそうだ。あとは腕を抜けばすぐ動ける。
そのとき、ひとりの気配が遠のき……もうひとりがこちらに向かってくるのがわかった。
俺は寝たふりを選んで様子を窺う。
「……はぁ」
ため息とともに部屋に入ってきたのは女性のほうだった。
俺を覗き込むように身を屈めたらしい彼女から、花と果物が混ざったような甘い香りがする。
……お茶の香り、かな。
いままでのとは違って少し香辛料も足されているように思う。
「……生きて……いますわよね」
彼女がそっとこぼすので……俺は少し考えたあとでゆっくり応えた。
「大丈夫……ちょっと頭が痛いけど」
「……っ」
彼女は驚いて飛び退こうとしてそのまま尻餅を突いた……というか、派手にひっくり返った。
「うわ、ごめん! 大丈夫か?」
思わず声をかけて身を捩ると、彼女は慌てたようにがばりと上半身を起こす。
「わ、わ、わたくしたちを付けていましてっ?」
上擦った声は緊張で固く、俺は一瞬自分の状況を忘れて苦笑してしまった。
緩やかに波打つ赤茶色の髪は艶があって……その瞳はディティアを彷彿とさせる大きな翠色だ。
どこかの貴族で大切に育てられてきたんだろうなと予想できる。
「あー……その、俺……迷子で」
「ま、迷子?」
「そう。帝国宮のあたりで仲間と待ち合わせてるんだけど……場所がわからなくなって。それでその、君たちの服が貴族みたいだったから……」
うーん、ちょっと苦しいか?
言いながら、俺はそっと縄から手を抜く準備をする。
「迷子でしたの……あ、ああ! 大変、少しお待ちくださいね、すぐに縄を……」
「あ、いや……」
俺はそこで芋虫のように体を引き寄せてから膝を突き、上半身を起こして首を振った。
どうやら彼女はかなり世間知らず……もとい、お人好しのようだ。
騙すようなことになったのは、なんだか胸が痛む気もする。
「これくらい自分で抜けられちゃうよ。……その、トレジャーハンターだからさ。……ごめん」
なんとなく謝ると、彼女はへたり込んだままこちらに伸ばしていた手を下ろしてオロオロと視線を泳がせた。
「い、いえ……わたくしこそ申し訳ないですわ……縛るような真似を……」
「えっと……それは仕方ないというか当然というか……。とにかくここから出て仲間のところに行きたいんだけど……」
ぱらりと縄から抜け出た俺は立ち上がって彼女に手を差し出す。
「……大丈夫か?」
「あ……」
彼女はそーっと手を伸ばし、俺の手を取ると立ち上がった。
いろいろと聞きたいことはあるんだけど……ここで弟らしき男性を待つのは危険だろうな。
「……俺、ここ出ていってもいいかな?」
「えっ」
「ごめん。仲間に心配かけてると思うから行くよ」
「あっ」
オロオロする彼女に頭を下げて、俺はさっさと歩き出す。
……うーん、心が痛む気はするんだけど背に腹はかえられない。
すると後ろから思わぬ言葉が聞こえた。
「通路を左、その次の角を右です! ……あの、わたくしはミリィと申します。気を付けて」
彼女たちが運んでいたものがなにかはわからないままだ。
不安は拭えないし、疑う気持ちも大きい。
だけど……俺は思わず振り返ってひらひらと手を振った。
「――俺はハルト。ミリィ、俺が悪い人だったら大変なことになるぞ。弟の言うことは少し聞いたほうがいいかも。……でも、ありがとう」
「……え」
俺は彼女の顔を見ずに、そのままバフを練り上げて駆け出した。
「五感アップ、五感アップ、脚力アップ!」
弟がいつ帰ってくるとも限らない。
気配を感じられるのであればこっちも警戒しておくべきだからな。
本日分です!
引き続きよろしくお願いしますー!




