163話 百万と一回目の・前
シーラの命日を迎えた月に、どうやら俺は九十歳の誕生日を迎えたようだった。
手にはよくなじむかたちの杖。健康に気づかった人生だったけれど、杖の安心感は心地よいものだ。
ゆったり、ゆったりと赤い絨毯の上を歩み、ひ孫に補助されながら椅子に導かれる。
ここ数年、誕生日というものを意識しないようにしてきた。
だから祝いもされないようにしてきたはずだが、サラにか、ミリムにか、それともエマにか、九十歳が俺の目標だということを告げていたのだろう。その誕生日会は久々で、それから、経験したことがないぐらいに盛大だった。
まあしかし、ここでコロリと死んでもいいとは思っていない。
もう九十年も前のことなので、全知無能存在の示した『大往生基準』が『九十歳以上』だったか『九十歳より長く』だったのか、忘れてしまったのだ。
ここで油断して死んで『九十歳より長く』だったら目もあてられない。
「あと一年は生きるぞ」
誕生日の抱負を聞かれて、そう答えた。
拍手が響いて、宴が始まった。
それは子供たちにとって、聖女聖誕祭と合わせて二回もごちそうが食べられるすばらしい日だったようだ。仮にも主役である俺をそっちのけで、子供たちがはしゃいでいた。
子供たち――ああ、そうか。どうやら、ブラッド夫妻、エマ夫妻の他にもいくらかの親族や知り合いがいるらしい。
聞いていた気もするのだが、忘れてしまったようだ。
なににせよ、にぎやかなのはいい。
すっかり遠くなったこの耳には、子供ぐらいのけたたましさでないととどいてくれない。
音のさざなみに包まれながら、九十年という人生を噛みしめた。
甘くて酸っぱくて、どこか食べ慣れた味だった。
……そうか、俺のレシピの、ケーキだ。
味覚は衰え、食べる楽しみは少なくなった。
けれどそのみずみずしさと甘さはしっかりと感じられた。
『十四番』だ。
九十歳になった時にとるべきプランのうちに、味覚についての項目があったように思う。
もはや詳しい内容を思い出すことはできない。
けれど過去の俺はどうやら必死に考えたらしい。
考えて考えて、ここまで生きたのだ。
ここまで、生きたのだ。