閑話・研究棟の魔術師
アルフレッドは足早に研究棟を目指した。
急な影の報告に何事かと思えば、リディアーネがそこへ向かったと言うのだ。
行く先はあいつの所しかない、アルフレッドは鉄の扉を勢い良く開け放った。
「ここにリディアーネが……来たみたいだね、お前の顔を見ればすぐわかる」
嘲るような笑みを浮かべ、机の上に座る男は喜色に輝く瞳をこちらに向けている。
だらりと垂れ下がった足を組み、フラフラと揺らす様は、王族に向けるような物とは到底思えない。
「意外と遅かったね殿下、とうの昔に帰ったよ」
目の前の男を睨みつける目が止まらない。
「何もしなかったろうね?」
アルフレッドの視線にたじろぐでもなく、寧ろ楽しそうに笑みを深める。
「影が付いてるとわかってて、何かするもないでしょう?それとも何かして欲しかったの?」
小首を傾げながら、アルフレッドの瞳を覗き込んでくる
片手で口元を覆い堪えきれない笑いを抑えているようだ。
アルフレッドは、何度この男を殺したいと思った事か。
しかし、今の王国に彼を屈服させるほどの力があるのは、恐らく魔術師団長か騎士団長くらいだ。
それほどまでの魔力を有する上、この男は自身が傷つく事も厭わない。
下手に手を出せば、良くて相打ち悪くすればこちらが即死だ。
躊躇いが無いゆえに恐ろしい。
リディアーネの友人面しているこの男は、簡単に言ってしまえば愉快犯だ。
他人の困惑が楽しい、慌てふためくのが面白い。
たとえば、自分の容姿に自身のある令嬢が、目の前に硫酸を落とされたら……
慌てるなんてものではない、実際その令嬢は恐怖のあまり自宅から出れなくなったそうだ。
実害を与えるまではしていないが、十分過ぎる被害はある。
できる事ならリディアーネと関わらせたくない。
これは普段いがみ合っているアルフレッドとルイス双方合意の意見だった。
しかし、何故かユーレイリは無害を装いリディアーネの友人の座に収まっている。
リディアーネの前では猫を被っているから、彼に近づくな危険だと言っても信用されない。
大方それを見て、慌てるアルフレッドやルイスが面白いのだろうが、実際は彼が何を考えているのかは解らない。
あまりにアルフレッドが叱責した為か、暫くはリディアーネも言う事を聞いておとなしくしていたのに、どうして急にまた研究棟へ来たのか……
するとやっと笑いを収めたユーレイリが、興味深そうな視線をアルフレッドに向けて来た。
「所で、こんな薄暗い所で遊んでて良いの?お気に入りの子が泣いちゃうよ?」
何を言われたのか解らないアルフレッドは、目を丸くして硬直した。
「あれ?リディじゃないお気に入りが出来たんでしょう?」
ユーレイリは更に愉快そうに目を細め、アルフレッドを見ている。
目は微笑んでいるのに、口元が不気味に歪んでいる。
無表情のルイスと違い、彼の顔には表情があるのに全く感情が読めない。
アルフレッドは背筋が寒くなるのを感じた。
「……そんな者、居ない……」
視線は決してユーレイリから逸らさず、アルフレッドはやっと返事を返した。
「……ふぅん、そう」
笑っていた瞳が、一瞬で興味を失ったように色を無くす。
ユーレイリは机に戻ると、先ほどの紙を机に出して、何やら書き込み始めた。
「用事が無いならさっさと帰ってくださいよ、僕も忙しいんですから」
片手をひらひらと振ると、アルフレッドには目も向けずに言葉だけで退出を促される。
本当に不敬な態度で腹も立つが、リディアーネが居ない以上用事が無いのも事実だ。
イライラしながら鉄の扉に手を掛ける。
「あっ!そうだ殿下!」
急に声を掛けられて、振り向くと満面の笑みを浮かべるユーレイリと目が合った。
「リディの好みの男性のタイプって、趣味を熱く話しあえる人らしいですよ」
間違いなくお前じゃないと言うかのように、そう言い切った後の馬鹿にしたような笑みを見て。
とうとう我慢の限界を感じたアルフレッドは、鉄の扉を力いっぱい閉じると、走るように研究棟を後にした。
「おお、怖い」
後には笑いを堪える事もやめ、大声で笑い続ける男が居るだけだった。