大きな旗ほど早めに折りたい
「おはよう、リディ」
翌日学園に登校するとすぐに出来れば聞きたくない声が聞こえてきた。
振り返るまでも無く感じるキラキラオーラ。
爽やかな声とは対照的に、後ろから重苦しく感じる威圧感。
間違いなくあの方だ……
「……おはようございます、殿下」
淑女として微笑を浮かべようにも、どうしても引きつる笑顔で、私は振り返った。
そこには思っていたとおり、国の王太子たるアルフレッド殿下が、笑っているのに笑っていない顔で立っていた。
今日も変わらず、プラチナブロンドの髪はサラサラと優雅に靡き、美しく輝く碧い瞳は冬の寒空を思い出させる。
「昨日今日と、どうして自宅に居ないのかな?君は」
学園が始まったのだから自宅に居ないのは当たり前だ、殿下が何を言っているのかさっぱりわからず私は首をかしげる。
「……またあいつか」
それを見ていた殿下は何かに気づいたのだろう、片手で顔を覆うと小さくため息をつきながら何か呟いていた。
何を言っていたのか気になる所だが、今の私にはそれよりも気になる事がある。
「殿下、少々お尋ねしたいことがあるのですが……」
「アル、そう呼ぶように前から言ってるよね?」
引きつる私と対照的に、キラキラした笑顔が無言の圧力を掛け続けてくる。
さすがの私もさっきまでの威圧感に輪を掛けての圧力にしぶしぶ屈した。
「アル様ご相談したい事があるのですが、よろしいですか?」
若干疲れた顔を俯かせながら、ため息混じりに呟く。
「どうしたの?珍しいね」
アルフレッド殿下は機嫌を良くしたのか、無言の圧力を緩め優しげな微笑を浮かべながら頷く。
圧力が無くなった事にほっとした私は、今日父に相談する予定の案件を先に殿下に相談する事にした。
「殿下の婚約者候補今なら円満に辞退出来ますか?」
言わなきゃ良かった……
一瞬でそう思った。
あれは間違いなく……地雷だったと。
アルフレッド殿下はいっそう笑みを深め、それはもう神々しすぎて目も潰れそうなぐらい煌きだした。
そして目に見えないブリザードが吹き荒れているような錯覚が私を襲った。
寒い、ものすごく寒くて背筋が凍る。
実際に廊下の端が凍っているような気すらする。
「急にどうしてそんな事言い出したのかな?理由を聞いても?」
私は顔を青ざめさせて、振るえる事しか出来なかった。
正直に言わなければこの場は逃げられないだろうが、しかしまさかここがゲームか小説の世界みたいで、悪役になりたくないからなんて言える訳が無い。
何か真実味があって、もっともな言い訳は無いものか。
私が無い頭をフル回転させていると、その声は後ろから降ってきた。
「勿論義姉に王太子妃など、荷が重いからに決まってるではありませんか」
その声の主は義理の弟のルイスだった。
ルイスは静かに歩み寄ると、私の横に当たり前のように並んだ。
「前々からそう申し上げているはずですよ殿下、義姉もやっと理解してくれたというだけの事しょう」
エメラルドのように美しい髪を持つ我が義弟は、同じ色の瞳を煌かせ、感情の伺えない顔で淡々と言葉を続ける。
昔は私に懐いてくれていたルイスだが、最近は思春期なのか、嫌われてしまったのか、あまり会話をする事も減っていた。
特に私の婚約の話になると、それは厳しく無理だ諦めろ辞退すべきだと散々嫌味を言われ、冷たい目を向けてくる。
その上ルイスは父と共謀して、私に王太子妃は無理だと直接王家に訴えてもいた。
がさつでじゃじゃ馬、面倒事が嫌いと、確かに私も自分に王太子妃は向いてないと思う。
しかし、家に迷惑を掛けられたくないのは解るが、あそこまで剥きになって言われると少々複雑な気分になる。
今日もいつもの嫌味かと思ったのだが、何故か言葉にそれほど冷たさを感じる事は無かった。
むしろ、普段の会話よりも少しだが優しくすら感じるような。
不思議に思いルイスを見上げると目が合い、気まずさから苦笑いのような笑みを浮かべてしまった。
ルイスはそれに構わず、アルフレッド殿下の方を向き直ると頭を下げ。
「お話は以上です。それでは殿下、失礼します」
と一言つげるとそっと私の腰に手を回し、共に歩くよう促した。
これ以上ここに居て殿下に追求されても困るので、私は天の助けとばかりにそのエスコートに従った。
「リディ」
すると今度は後ろから自分を呼ぶ声が聞こえる。
振り向くと殿下が不適な笑みを浮かべこちらを見ていた。
「候補の辞退は出来ないよ。いや……私がさせないよ」
再度背筋に寒いものが走る。
その瞬間、ルイスはもう一度強めに腰を抱き寄せると、固まる私を前に向かせた。
「出来ますよ。……俺がさせて見せます」
少しだけ振り向いたルイスが、投げ捨てるように呟く。
前を向かされていた私は、ルイスの顔を伺い見る事は出来ないまま、早足にその場を後にする事になったのだった。