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蝶々と青虫  作者:
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二章、神御寮(1)

 ウグイスはため息をついた。


「またなの? 蝶」


 左右に結った緑褐色の髪に梅の飾りをつけた童女――ウグイスは呆れた風に息をつき、蝶子の額に手のひらをあてた。寝台の中で蝶子はふるっと首をすくめる。


「ウグイス、冷たい」

「あなたが熱いんでしょう、蝶。やっぱりまた熱を出したのね。きのうの外出がこたえたんでしょうよ。だから、夜はやめなさいって言ったのに」


 ウグイスは湯呑に注いだ薬湯を蝶子に突きつける。茶に鉄を溶かしこんだような色合いをするそれに蝶子は頬を引き攣らせ、渋りながらも受け取る。


「一気に飲みなさいよ、蝶。どうせゆっくり飲んでも同じなんだから」

「一度飲んでみてから言ってほしいよ……」


 一口啜って盛大に顔をしかめた蝶子へ、慣れた風にウグイスが匙ですくった特製の水飴を差し出す。ぜんぶ飲み終わったときの「ご褒美」だ。


「まったく、アオはこれだからだめなのよ。ついていって蝶に無理させてるんじゃ、行った意味がないじゃない」

「でもね、ウグイス」

「ねえ、聞いてる? アーオ。あんた、こそこそ盗み聞いてないで、中へ入ってきなさいよ」

「相変わらずかしましいウグイス化生ですね。手がふさがっていただけです」


 結局、足で蹴り開けることにしたらしい。開いた扉をまた足で器用に閉めると、アオは持ってきた盆を寝台のそばにある卓子に置いた。茶粥に大根の煮つけ、玉葱の漬物。ひとり分の膳しかないことに気付いたウグイスが唇を尖らせる。


「ちょっとアオ。ウグイスの分はどこなの?」

「庭に雀用のヒエなら落ちてますよ。どうぞご自由に」

「蝶! 今の聞いた? やっぱり青虫化生には青い血が流れているだけなのだわ」


 梅飾りを揺らして、ウグイスはさめざめと泣いた。


「それに、ウグイスは雀じゃないわ。ちゃあんと、カササギ先生に教わってお薬を煎じるお仕事をしているもの。朝食はいわば、正当な対価というやつよ。そうでしょう、蝶」

「そうだね。カササギ先生にはいつもお世話になってるし、ウグイスはこうして来てくれているし」

「ほーら、お聞きなさい青虫化生! ウグイスは蝶が心配で、いつも東からここまで歩いてきているのよ。東からここまでよ」

「――蝶子。神御寮の遣いの童がさっき、文を持ってきましたよ」


 応酬が面倒になったのだろう。ウグイスの声を遮るようにして、アオが折り文を差し出した。「まあ!」とウグイスは唇を尖らせたが、中を読む蝶子の横顔をうかがい、続けるつもりだった文句のほうは飲み込んでくれた。


「文にはなんて?」

「きのうの件でお呼びがかかったみたい。アオ、常野蝶子は臥せって動けませんと代筆を」

「はい」

「馬鹿、アオ。あんたはそうやってすぐ蝶の言うとおりにする。蝶。薬湯はそろそろ効いてきたはずよ。もう身体もだるくはないでしょう」

「効きすぎて眠くなってきた」

「蝶」

「……わかったよ。ウグイスは真面目なんだもの」


 ウグイスの真似をして唇を尖らせ、蝶子は褥から身を起こした。


 *


 登庁用の狩衣に着替える間に、御者に言いつけて馬車を用意させる。身の丈に合わない大きな風呂敷を抱えたウグイスも、途中まで送ってやることにした。ウグイスが住み込みで働いているカササギ先生の診療所は、御所から東の河原通りに面したところにある。


「カササギ先生、年明けは忘れないでお祝いしてくれた?」

「予想どおり、さっぱりよ。未だに年が明けているのすらご存じないんじゃないかしら。仕方ないから、今年はウグイスがあんこのつまったお餅を買ってきて、雑煮にして食べたわ」

「先生はお忙しいひとだから」

「蝶のことを心配していたわ。暇を見つけて診に行きたいって」

「ありがと」


 年が明けてまもないこともあって、西都の大路はいっそう賑々しい。均された道沿いには今は消えている瓦斯灯が点々と立ち、古い瓦屋根の大店に混じって、西大陸風の広めの窓や鉄を使った建物が並ぶ。

 五十年前、長く門戸を閉ざして眠りについていた島国は海の向こうの外つ国へ扉を開いた。たった五十年の間に、西都の大路には石畳が敷かれ、瓦斯灯が灯り、港と都を結ぶ鉄道が開通した。一方で、やおろずの神が眠りについたことを端緒に、各地の神社は衰退の一途をたどり、神々に捧げられていた芸事も、今では廃された神社の舞殿などで銭と引き換えに、旅の一座がもよおすばかりだ。


「ナンテンの舞った胡蝶はよかったね。指の先までうつくしくて、惚れ惚れした」

「そうですか? 蝶子のほうがずっときれいでしたよ」


 てらいも恥じらいもなく、さながら天候の話をするようにのたもうたアオに、ウグイスはまあ、と口を手で覆い、蝶子は「アオはあやかしだから、美的感覚がちょっとおかしいんだ」と嘆息した。

 人間側の感性で評すると、蝶子はお世辞にも美少女とはいえない、ごく平凡な、どちらかというと華やかさに欠ける顔立ちをしている。肉付きも薄いので、十五になるのに、未だに男装をすると「少年」でもまかり通ってしまう。そういえばナンテンは最初わたしをおのこと間違えていたな、とわらい、蝶子は窓に頬杖をついた。見慣れた大路の景色が過ぎ、御所の車止め用の朱塗りの大門が次第に見えてきた。


「ここまでありがとう、蝶」


 大ぶりの風呂敷を背負って、ウグイスが大路へ降り立つ。午前のうちは蝶子をはじめとした患者のもとを回り、午後からはカササギ先生の診療所を手伝うのがウグイスの一日だった。御者と話しているアオの背中を見やり、蝶子はウグイスの隣に並んだ。


「ウグイス。ひとつ聞いてもいい?」

「なあに?」

「実際、カササギ先生のお見立てではあとどれくらいなんだ?」

「蝶……」

「わたしの身体」


 淡泊に尋ねた蝶子に、ウグイスは柳眉をしかめて、息を吐いた。


「……あなたはそれを知っているはずよ、蝶。早めることはこのウグイスが絶対にしないし、遅くすることも、でもたぶんできないわ」


 悄然とかむりを俯かせたウグイスに、そう、と蝶子は苦くわらう。


「わかった。それなら、いいんだ」

「蝶子」


 話を終えたアオが戻ってきたので、蝶子は立ち上がった。


「じゃあ、わたしも行くよ。アオ、ウグイスを途中まで送ってあげて」


 神御寮のある宮中はもとより登庁を許された蝶子しか入れない。軽くふたりに手を振ると、蝶子は指貫をさばいて朱塗りの大門をくぐった。

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