AI小説の進化によって最初に駆逐されるのは、なろうテンプレだと思う
本当は『文章表現の可能性』とかいうサブタイトルで書こうかと思っていたんですけど、タイトルって煽りが重要じゃないですか。こんなクソ長いサブタイトルになった理由は、まあそんなところです。
私は去年『チーレムものへの拒絶反応は小説の定義のための戦いである』というエッセイを書きました。
で、そのエッセイにこの間久しぶりに感想を頂いたので、はてさてどんな事を書いたっけな、と返信のために読み返してみました。すると、今の見解とは少し違っていて、改めて整理してみてもよいかもしれないと感じ、こうしてキーボードを叩いています。決して今裏で書いてるものが大変だからではないです。ないかも。
小説の定義とは『文章によって表現される創作物』のことであり、『文章でなければできないような表現が用いられているか否か』が、それが小説であるか否かを分かつ境界線なのだろうと思います。これ、あくまで個人の見解ですからね。
現状のなろうに溢れている創作物はこの定義から外れるものが多く、しかもそれが国内最大の『小説』投稿サイトである『小説家』になろうで行われているのだから、批判が起こらないわけがないですね。
また、私は拙作『フューネラル』で、小説が今置かれている立場とその中でのなろうの存在意義、そして未来に向けての展望などを作中の登場人物に語らせたりしてみました。
先のことを見据えれば、無視できないのはAIの台頭でしょう。AIの強みはスピードと文法的な正確さです。今はまだAI単独で長い物語を紡ぐことは不可能だと言われていますが、逆説すれば、人間がストーリーの辻褄を合わせてやれば、既にAIにも小説を書くことができる。
そして、将来的にはきっとAIがストーリーを紡ぐことも可能になっていくでしょう。しかしそれでも、『読者が何を考えるか』というメタ視点を持ちながらプロットを構成しなければならないミステリや、比喩や暗喩といった文章表現が肝となる純文学などは、まだまだ人間にアドバンテージがあるのではないかと思います。
ただし、それが必要とされないジャンルの小説は、我々が考えているよりも早く、それこそ一瞬でAIに駆逐されてしまうかもしれません。なろうテンプレのように、文章を用いた表現があまり必要とされず、ある程度設定やストーリーの型が決まっているものは、AIが模倣するのも容易なのではないでしょうか。
まず主人公が死んで、異世界に転生して、ファンタジー的なガジェットがあって、めちゃくちゃ強い主人公がハーレムを築く。こういう単純なストーリーが毎日更新されればいい。人間には勝ち目がないと思いますね、私は。
テンプレが廃れるのとAIが進化するのとでは、どっちが早いでしょうか。
読者は自分が読みたいものが読めればそれでいいので、書いたのが人間かAIかなんて気にしないでしょう。それでも私はなろうテンプレが書きたい、というのであれば、それでもいいと思います。誰にも読まれなくても書く意味があると自信を持って言えるのならね。
でも、もしそれ以外の何かを求めているのだとしたら。
さて、どうしたらいいんでしょうね。