ミステリとは何か
今回のお題は『ミステリとは何か』です。
なろうの推理ジャンルのランキング上位に載っているのはあんまりミステリじゃない、という趣旨のことは以前このエッセイでも書いたように思いますが、今回はそれをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
細かいことを言うようですが、『推理』と『ミステリ』でも随分ニュアンスが違います。『推理』という言葉には探偵小説のイメージが強く、どこかで事件が起き、探偵がそれを解決するという古典的な様式美が求められます。『ミステリ』の場合、はっきり事件が起こるわけではないけれど、何かストーリーのエンジンとなる謎があって、最後に種明かしをされた時あっと驚くような仕掛けがあるもの、というイメージを持っています。『推理』よりも『ミステリ』のほうがより包括的であるという解釈です。
だから、なろう運営さんは『推理』ジャンルを『ミステリ』と改名すべきではないかと思うのですが、まあそれは置いといて。
では私が思うミステリとは何か。
先日、ある方との会話の中でこれと似たような質問をされて、私がふっと思いつき答えたのは、
『手品』
でした。言葉を、そして文章を用いた手品が行われているかどうか。謎があって、そこに作中の登場人物、あるいは作者の意図による人為的なトリックが仕掛けられているかどうか。そして、読者としての自分がそれに驚かされるかどうか。
トリックは物理的なものでもミスリーディングでも構いません。仕掛けのある小道具は手品に不可欠ですし、観客の注意をコントロールするためのミスリーディングもまた、手品に欠かせないものです。泡坂妻夫。
しかし、手品と違って、ミステリは最後に種明かしをしなければなりません。現実的には難しいような大がかりなトリックを仕掛けることが可能な反面、そのからくりをなるべく読者が納得できるような形で示さなければならない。
プロの書いたミステリでも実現不可能なものはありますし、多少の無理は許されるでしょうけれど、最低限読者が納得できる範囲にはどうにか辻褄を合わせて、尚且つ驚かせなければなりません。
具体的な作品名を挙げるのは控えますが、最近私が読んだなろうミステリの中に、感想欄では絶賛されていたけれど、私から見ればミステリとは言えないと思うものがありました。
一つは、エンジンとしての魅力的な設定があり、また構成も見事で、サスペンスとしてはかなり面白いと思えるにも関わらず、ミステリとして見た場合、設定の重要な部分に不自然さがなく、かつ精緻な伏線が張られていたかというと首を傾げざるを得ないもの。
もう一つは、平行して起こっている自然現象及び非人為的現象に対して主人公が抱いた錯覚を、科学的知識を用いて解き明かすというもの。確かに謎は提示されているし、その原理も解明されているのですが、これをミステリとするならば、
『四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになるという都市伝説がある』
↓
『私は四つ葉のクローバーを見つけて幸せな気持ちになり、実際に幸せなことがあった』
↓
『四つ葉のクローバーは一定の確率で発生するものだし、君が幸せになったのはプラシーボ効果によって行動が変化したからだよ』
暴論は承知の上ですが、これもミステリになってしまいます。でも、これで納得できますか?
さらに、読者への挑戦として漠然と『さあこれを解いてみろ』と言われたらどうでしょう。四つ葉のクローバーを見つけることと幸せになることの間に何か読者が思いもよらないような意外な関連があるのでしょうか。それとも、主人公が見つけた四つ葉のクローバーには何か特殊な仕掛けがあったのでしょうか。あるいは、主人公が幸せになったことのほうに何か驚天動地のトリックがあるのでしょうか。
いいえ、全ては起こるべくして起こったことであり、その仕組みは科学的に説明可能です。
人によって受け取り方は違うと思いますが、私は『ふーん。で?』で終わりです。これは科学知識の読みやすいテキストではあるかもしれませんが、謎が『仕掛け』られているわけではないからです。
ところで私はミステリを読むのが大好きだし、書きたいと思ってもいますが、謎解きが得意なわけではありません。プロのミステリ作家でも謎解きが不得手な方はいるようです。若干言い訳くさいですが(笑)きっと、騙されるのが好きなのでしょう。そこに何のデメリットもないことが大前提になりますが。
騙されるのが死ぬほど嫌というのでもない限り、ミステリは絶対に深く考え推理しながら読まなければいけないものでもないと思います。手品のタネを絶対見破ってやろうと思いながらマジックを見て楽しめますか?
もちろん余りに簡単すぎて、考えるまでもなくわかってしまうような手品ではつまらないと思いますが、パッと見てわからない時は、そのわからない状態を楽しむ方がずっと賢いと私は思います。例外的に、マギー史郎のハンカチの手品はタネがわかっても面白いですけど……(笑)
あれがネタとして成立するのは、演者にも観客にもあの手品のタネなんて誰が見てもわかるよね、という暗黙の了解があり、その上で見せ方が面白いからであって、なかなかうまいですよね。
少し話が逸れましたが、名作と呼ばれるミステリは、普通に考えてもわからないような現実的に難しそうなトリックがあり、わからないまま解決編に進んで種明かしがされてもなおあっと驚く仕掛けが用意されているというものが多いです。無理っぽいけど不可能ではない、そのギリギリのラインと言いますか。
そして、メイントリックはできるだけ瞬間的に頭でイメージできるものがいい。説明に時間をかければかけるほど、衝撃は薄れていきます。その辺りの感覚は、お笑いにも似ているかもしれません。説明しないと観客に伝わらないようなネタでは笑えませんよね。そんなにお笑い番組を見るわけでも芸人を知っているわけでもないのですが、面白いネタと笑いは意外性によって生まれるものだと思っていますし、一ネタ数分間、継続的に意外性を生み出すためには、高度で瞬間的な意識の誘導が必要になります。
ああまた逸れた。話をミステリに戻します。
綾辻行人『十角館の殺人』、『時計館の殺人』
島田荘司『占星術殺人事件』、『斜め屋敷の犯罪』
我孫子武丸『殺戮に至る病』
森博嗣『すべてがFになる』
上記の条件に基づいて、パッと思いつくのはこのあたりです。海外のミステリにはあまり明るくないですが、エラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』とか、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』あたりが強く印象に残っています。
余談ですが、筆者の『浦登』というHNは綾辻行人の『暗黒館の殺人』からとっています。
なろうミステリにプロと同じものを書けとは言いません。かくいう私だってミステリと呼べるかどうか怪しいものを書いています。ただ、あれはミステリじゃないと言ったからには、自分が思うミステリ像を述べておかなきゃならんと思い、このエッセイを書きました。
じゃあお前が認めるなろうミステリはどれなんだ、と思ったそこのあなた。
今すぐ私のお気に入りユーザーページを開き、『庵字』さんと『奥田光治』さんの作品一覧にレッツゴー!