私はこんな女の子を書きたい
今回は私がどんな女の子を書きたいと考えてキャラクターを作っているかについてです。
プロアマ問わず、作者にとって異性のキャラクターは作者の理想像を反映しがちな傾向があると思います。まあ自分の理想像を具現化することは創作のモチベーションの一つだと思う(私自身もそうです)し、作品内の比重がキャラクターに偏りがちなラノベ、なろう小説ではよりその傾向が強くなるでしょう。それ自体に不満があるわけではありません。
ただ、プロアマ問わず、私がこれまで読んできた男性作家の描く女性像はなにかステレオタイプ的というか、美人かブス、清楚かヤリマン、お淑やかか喧しい、いい人か悪女、それぐらいの極めて少ない項目の二値状態による組み合わせで構成されているような気がしてなりません。語弊を恐れずに言えば、デジタルなんです。これは私がミステリばかり読んでいるからかもしれませんが、それにしても、と。
太宰治の『女生徒』なんかは面白いですけどね。
ラノベでは上記のものに何か突飛な性格が付加されるパターンが多いかと思われます。ツンデレとか。しかし、まあなんというか、少々オブラートに包んで表現しますけれど、女性のドロドロした側面を知る機会が多かった私としては、何か物足りなく感じてしまうんですな。
西野カナの『トリセツ』とかネットでは散々な叩かれようでしたけど、ああやって希望を素直に伝える子のほうが最終的には楽やで。今だから言うけど。
お前が知ってるサンプルが偏ってるだけやという批判は甘んじて受けよう。
で、私は一般的な男性作家が描く女性像より、もう少し複雑で立体的な女の子を書きたいと思うのです。何故なら私の萌えポイントがそこにあるから。
普段ちんちんちんちん言うくせに生々しい下ネタは苦手、とか、ちょっと変わった嗜好を持っていることを必要以上に気にしているとかね。あっ、これは本題から少々逸れました。
私のS(習作)シリーズは特にそれを意識したキャラクター作りをしているつもりです。例えばヒロインの真紀はめちゃくちゃ美人だけど心に闇を抱えていて、寂しがり屋すぎてペットロスで違う人格を作ったりしてしまう。しかも、語り手となるヒロインは、後から作られたほうの人格である。
これ、前から結構疑問だったんですけど、多重人格のキャラクターは割とよくいるのに、何故メインとして描かれる人格は決まって元の人格なんでしょうね。
また、真紀の場合は人格を切り替える手段として化粧を用います。男であり女装趣味もない私にはこの設定が一番ややこしくて、苦労する点でもあるのですが(笑)
ちなみに真紀は毎回髪型と髪色が変わります。髪色はまだしも髪型までずっと変わらないのはおかしいやろと、これも一つのこだわりポイントです。実験作だからこそできるヒロイン像(笑)
もう一人のヒロインはもう少し普通のキャラクター設定で、美人ってほどじゃないけどブスでもない、その絶妙なラインを狙って描写しています。二股かけられたり、作品内でオ○ニーさせられたり、色々不憫な子です(笑)
このシリーズにはもう一人実験的なヒロインをぶちこむつもりです。さてどうなることやら。
次が最終回の「おっぱいを育てよう!」の果雨ちゃんはやや非現実的なヒロインとしてここまで来たかもしれませんが、最後に……おっと。
『フューネラル』の作中作(いずれちゃんと続きを書きます!)のヒロインにも、自分なりにこだわりのあるキャラクターはいます。
例えば、『スペルバインド』は若干ハーレム要素のあるストーリーなので、主役に近い女の子ほど、なるべく女性から見ても気持ち悪くならないような、地に足のついたキャラクターにしておきたかった。茉莉花が演劇部時代男役でイケメンだったという設定は、そういった意図から生まれたものです。
今回は以上です。
追伸。
当エッセイのタイトル『チョコチップメロンパン』について、ある方が活動報告で考察を述べておられました。反論の余地はないのですが、このタイトルに込めたもう一つのニュアンスは、『意味はないけど好きなんだ』です。