書き出しに説明を持ってきてはいけない理由についての自分なりの考察
書き出しって悩みますよねえ。
冒頭にイメージ画像を持ってきたりしないかぎり、書き出しはそのまま物語の第一印象となります。
自分で絵を描ける方はここが有利ですよね。読者が物語を読み始める前にイメージを提示できるんですから。たとえばそれが読者にとって好みのタイプのかわいい女の子だったりしたら、じゃあとりあえずこの子が出てくるまでは読んでみるか、と思うかもしれない。
絵心がなく画像を用意できない自分のような純粋な物書きは、タイトル、あらすじ、書き出しでそれを補うしかありません。
で、ようやく書き出しに説明を持ってきてはいけない理由の話に入りますが、それはやはり『イメージできないから』だと思うのです。何をイメージの軸に据えればいいのかがわからない。
風景や情景描写の書き出しなら、まずその風景をイメージし、次に登場人物(大体は主人公)が現れ、それを軸に世界観が固められる。
会話文からの書き出しの場合は、先に会話文しているキャラクターのイメージが作られて、そこから背景の描写につながっていくかもしれない。
物語を読むとき、その作品世界をイメージしない読者はいないのではないかと私は思います。ですから、書き出しにはなるべく読者がイメージしやすいものを持ってきて、イメージの軸を固めてあげなければならない。
そう考えると、設定や世界観の説明から書き始めることの筋の悪さが理解できるのではないでしょうか。つまり、いきなり説明が始まってしまうと、物語を理解する上で核となるイメージが作れないんですね。で、なんだかわかりづらい上に話が進まない、もういいや、となってしまう。
先に主人公を出しておけば、その世界観の中での主人公の立場などからより立体的に捉えることができますし、キャラクター同士の会話などで自然に世界観の説明をさせることもできるでしょう。一人称にせよ三人称にせよ、作品世界の中で視点は読者の依り代の役割を果たすものですから、まずその視点を定めたほうがいいのではないか。
読者が何をイメージするかという配慮は、書き出しのみならずストーリー全体にも必要な視点だと思っていますが、特に説明から入るのが悪手である理由についてふっと思いついたことを書いてみました。