作者のパーソナリティは作品にどこまで影響するか
先日、多少(?)性的な描写がある私の作品を読んでくれたある読者さんから、こういう感想を頂きました。
「みっひちゃんもこういういちゃつきが好きなんか 彼女が料理してるときに耳をかむのか それが性癖なんか」(原文ママ。問題あったら一報ください)
この方はなろう作者でもあり、作品に自己の性癖を強く投影しておられます。なので、作品内に書いてある性的描写を私個人と重ねてしまうそうなのです。この方に会ったことはないんですけどね(笑)
ちなみにこの作品は主人公が女の子で、男の子と性的関係を持つのですが、その中で『裸エプロンで料理している女の子に後ろからちょっかいを出す』シーンがあります。また、いちゃつく中で男の子が女の子の耳を噛むシーンがあります。女の子視点で書いているため厄介なのですが、男である筆者にとって裸エプロンはこの上ないロマンです。ロマン以外の何物でもない。裸エプロンで料理している女の子に後ろからちょっかいを出すとか、もう最高にそそるシチュエーションです。男なら皆そうですよね? ね?
しかし、残念ながら実際にはやったことがありません。彼女の手料理も食べたことがありません。でも裸エプロンはしてもらったことがあります。ちょっとややこしいですが(笑)
じゃあ耳を噛んだことはあるかというと、これもありません。噛んだことはありませんが、舐めたことならあります。私の決して多くはない経験の中でも、耳およびその周辺に刺激を与えることの有効性は実証されています。とりあえず耳という感じです。あの反応が演技でなければ(笑)
つまりこの描写が私の性癖かと問われたら、経験はないけどやってみたい、というのが最も正確な答えになります。何を真面目くさって答えているんでしょうね(笑)
と、ここまでは性癖に焦点を絞って語ってきましたが、それ以外にも作品に作者のパーソナリティはどこまで影響するか。
私の作品を読んで頂けた方なら頷いてもらえるのではないかと思いますが、全体の大きな特徴として、私の作品に登場する男キャラがおしなべてクズであるということが言えます。
では私はクズなのでしょうか。
ええ、確かに私はヒモになりたいですし、真っ向から否定できないのが悲しいところですが(笑)あんまりこれが私の分身だと思われると、ちょっと困ってしまいますね。ただ、基本的に男の主人公は真人間でないほうがいいとは思っています。真面目な男とか書いてもあんまり面白くない。これは私が男だからでしょうか。理想を体現したような何の捻りもない女の子も気持ち悪くて嫌なんですけどね。
男性キャラクターの描き方にもしかしたら関連するかもしれない私のパーソナリティについてもう一つ挙げるとするなら、私には父親がいません。いないと言っても試験管ベイビーではないので生物学的には存在するのですが、物心つく前に両親が離婚したため、父親の顔も知りません。といって別に知りたいとも思いません。最初から居ませんでしたからね。
また、決してまともに過ごしたとは言えない学生時代も話しかけてくれるのは大抵女性(大体年上)でしたし、職場でもそれなりにゆっくり話した相手は女性だったし、ネットでもなんだかいつの間にか女性の話の聞き役になっていることが多く(そういえば過去にネット上で最も親しく話した男性には女装趣味がありました)、こうして思い返してみると確かにまともな男の書き方がわからなくて当然かな、とも思うわけです。その意味では、確かに作品に私のパーソナリティが投影されている可能性があります。
歳の割にそれほど社会経験が豊富でないにも関わらず、今まであまりファンタジー要素のない話ばかり書いているので、毎回結構ヒヤヒヤしています。これもパーソナリティなのでしょうか。いや、ファンタジーも書こうと思っていますよ、いずれ。
他の作者の皆様はどれぐらい作品に人生経験が反映されているのでしょうか。今回はテーマが作者のパーソナリティに関するものだったので、あんまり創作とは関係のない自分語りが多くなってしまいましたね。ええ、とりあえず序盤の性癖の部分でクスッとしてもらえていたらそれで本望です(笑)