前篇
「右の者に勲一等及び近衛の統する任を命じる」
たくさんの臣下のいる謁見の間にて、王がそう告げる。
このたびの戦乱の功労者に、その偉業を称えての褒賞だった。
そして、その功労者こそ…
この僕の兄だった。
兄が近衛騎士団の団長に就任したのがちょうど八年前。
当時、16歳の時の事で、史上最年少での就任だった。
そして、そのときの僕は10歳になるかならないかのころだった。
兄は昔から優秀だった。
一度父親に剣を習えば、一年でマスターし、数年でこの国、いや大陸一の剣の使い手となった。
そして、魔法を習えば、基礎などすっ飛ばし、たった三年で、現存する魔法を覚えてしまった。
今では新しく魔法を生み出すくらいだ。
そんな兄のことを回りははじめは化け物と呼び、次に神の堕とし子と呼ばれるようになった。
畏敬の念をこめて。
そして、僕はそんな兄を、誇りに思いつつ、疎んでいた。
兄は優秀すぎた。
そして、僕は凡庸すぎた。
光り輝きすぎる才能は僕という個を打ち消した。
どんなにがんばっても認められることはなかった。
学校で優秀な成績を出しても。
剣の大会で優勝しても。
新しい魔法を覚えても。
認められなかった。
それが当然だから。
天才の弟である僕はそれができて当然なのだ。
そして、できなければ、文句を言われる。
なぜ、兄のようにできないのか、と。
僕は僕で、兄は兄。
そのはずなのに、誰もそのことをわかってくれない。
けれど、それももうあきらめていた。
期待してもどうにもならない。
求めてみたところでどうにもならない。
絶望しか目の前にはない。
「また、貴方の兄が、手柄立てたんですって?」
不意に場面が変わる。
目の前に、少女が現れる。
少女の名前は、ルナ=ワルキューレ=オルガルドズム。
いや、そんなことはいい、彼女は、最初からいたんだ。
ただ、僕が・・・・
私が、考え込んでいたから、存在を忘れていただけ。
だが、これでは、だめだ。
また、父に説教をもらう羽目になる。
護衛中に考え事をして、周りのことをおろそかにするようでは、護衛の意味がない。
そう、私は、目の前にいる少女の護衛を任されている。
金色の腰まで届くウェーブのかかった髪に、サファイアのようなブルーを埋め込んだ瞳をした少女。
彼女が私の護衛相手で、主君。
そして、それと同時に・・・
この国の唯一の王位継承者。
つまり、彼女がこの国の王となる。
まぁ、実際は、結婚相手がそうなるだろう。
「そうですね。確か、今回は、北の境界線防衛戦のはずです」
それは、さておき、返答をしておく。
こたえなければ、機嫌を損ねられて、暴れられることがある。
彼女の護衛をまかされて、早二年。
彼女の性格はおおよそ熟知しているつもりだ。
「さすが、と言った所かしらね。被害を少なく、その上で決定的な勝利をつかむ。まさしく、天才ね」
そんな彼女も、やはり例に漏れることなく、私の兄を思う女性の一人だった。
当然だ。
若くして近衛騎士団の団長になり、国王からの信頼も厚く、おまけにそれに奢る事無く真摯な態度で振舞う青年貴族。
誰もがその人の事を思うだろう。
けれど、実際は、誰も兄には近づかない。
いや、近づけないというほうが正しいか。
何せ、兄には婚約者がいる。
しっかりとした、手続きのほうはとられていないが、すでに宮廷でもうわさになっている。
そう、兄が次の国王に、つまり、私の主君である彼女と結婚することが。
「そうですね」
そして、彼女はそれを拒む気などないだろう。
兄を語る言葉の熱さでよくわかる。
そして、兄もまた、拒まない。
それが、臣下としての勤めだから。
そして、また、私と兄との差が広がる。
永遠に縮まることのない差が。
「それは良いとして、そろそろ針の時間です」
けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
主君である彼女のことを考えるのが一番だ。
それが私に課せられた責務ならば、最低限果たさなくてはならない。
そして、日が暮れ、世が明け、日が巡る。
僕にとって、惰性でしかない時間が過ぎていく。
けれど、それもやがて終わる。
戦がそろそろ本格化してきた。
兄の出陣の回数が増えてきた。
そして、僕の回数もまた。
今の僕の任は、この国の王位継承者である彼女の護衛。
そして、近衛騎士団一軍二番大隊の大隊長。
16の時に就任を命じられた。
同い年で団長に命じられた兄とは大違いだ。
けれど、立場は同じ。
戦場で戦わなくてはいけない。
そして、今日もまた戦であった。
「皆の者聞け!!今日は第一王位継承者である。ルナ姫も一緒にご出陣なさる。くれぐれも、非礼がないように!!」
ただ、違うのは、彼女がいることのみ。
これから、王となる者として、戦場を見ておく。
そのためである。
実際、現王であり彼女の父でもあるウッドガルド王も、戦場を見たことがある。
もちろん、安全には十分気をつけられている。
実際、ここは比較的、小規模なところであるため、すぐに制圧できた。
事実、二番大隊だけで十分制圧できた。
けれど、それでも、現実の戦いはダメージの大きいことであったため、ショックを受けていた。
まぁ、僕も初陣のときはそうだったのでその気持ちは痛いほどわかるが。
だからといって、泣き言を言えるわけでもなかった。
結局、僕は貴族であり、騎士なのだ。
この国の盾でしかない。
だから、戦わなくてはならない。
それが宿命なのだ。
そして、彼女もまた同じ。
王族である限り、この国を守るため戦への指示を出さなくてはいけない。
場合によっては、自分自身も戦場へと向かわなければならない。
軍は、勝ち鬨を上げ、戦場から立ち去る。
国境の防衛は終わった。
もうここには用がない。
だから、帰る。
そう思っていた。
けれど、その瞬間すべてが狂い始めた。
そう、この瞬間、僕は更なる絶望の中へと落とされることになった。
「ユリウスの大軍です!!こちらへと進軍してきます!!」
斥候からの一言からすべてが始まった。
ユリウスとは、僕たちの国の同盟国である。
同盟協定もしっかりと結んでいた。
そのはずだ。
けれど、その国がその協定を無視して、大軍を押しかけてくる。
それは、つまり・・・・
ユリウスの裏切り。
しかも、おそらく、狙いは・・・
王位継承者である彼女。
彼女の身柄を拘束し、無理やり婚姻すると同時にこの国をのっとる。
そういうことなんだろう。
おそらく、戦乱が激しくなったこの時期を狙っていたのだろう。
国境を守るため主要な戦力は防衛のためにさかれることになる。
そうなれば、守備は手薄となり、王宮は格好の的となる。
さらに、この国の風習を考えれば、次世代の王である彼女も戦場に出ることになる可能性が高い。
そこを狙って。
そういう事なんだろう。
けれど、うかつだった。
さすがに、ウッドガルド王もそして、兄でさえも予測していなかっただろう。
どちらにしろ、僕たちに残されたては一つしかない。
逃げること。
安心できる要素の一つして、向こうは大軍。
しかも、10万をこえる超大軍だ。
進軍にかなりの時間をとられることになるはずだ。
ならば、逃げ切れるはずである。
向こうの何百分の一でしかない僕たちの大隊ならば足が違う。
「皆の者、よく聞け。われわれは、今から撤退する。速やかに必要不可欠なものだけ持って、この場から離れろ。その際、各小隊長の命令は厳守するように」
そして、僕たちは・・・
私たちは撤退し始める。
兄と比べれば、なんとも無様だった。
兄ならば、この場でも戦えるだろう。
あの大軍に無差別魔法を一撃食らわし、混乱したところを切りかかり、自分はまた、魔法を放つ。
その間に伝令を飛ばし、あとは後続が来るまで耐えるのを待つだけ。
もちろん、場を見極めて、引くこともするだろう。
けれど、私のように逃げ出すことなどないだろう。
決して・・・・
「だめです、大隊長、逃げ切れません!!足が速すぎます!!」
けれど、運命の女神はどこまでも残酷だった。
ありえない事をさらにありえない事を重ねたのだ。
通常大軍が私たちのような小規模軍へ追いつくことは不可能だ。
ありえない事だ。
けれど、現実にはある。
それはつまり、常識の範疇外での業と言うことだろう。
ならば、何があるだろう。
けれど、考えてみても、出てくる答えは一つ。
魔法。
それしかない。
僕にはそんな魔法があるかは知らないけれど、実際こうして追い詰められているのだからそうなのだろう。
まぁ、兄なら知ってるかもしれないけど。
けれど、わかったからといって、解決したとはいえない。
いや、わかったからこそ、事態はさらに紛糾したと考えても良いだろう。
逃げられない。
つまり、応戦しなければならなくなるからだ。
しかも、彼女を守りながらだ。
けれど、私には、それができる自信はない。
兄ぐらいの力があれば、可能かもしれないけれど、私には無理だ。
あの膨大な魔力があれば・・・
そこまで考えて、思い至る。
唯一の、逃げ道を。
生贄。
そう、生贄を出すのだ。
兄の魔力はあれは生贄だ。
時間稼ぎのために使うおとりなのだ。
ならば、その囮を作ればいい。
そして、その囮というのが生贄。
逃げるための囮として置いて行くのだ。
そして、後は、どこかに隠れて、後続を待てばいい。
そうすれば、彼女を守りきれる。
けれど、その代わりに・・・・
私は仲間を見捨てた大将。
そして、彼女は、我が身恋しさで、臣下を切り捨てた王女。
二人して、その烙印を押されるのだ。
別に僕はいい。
どうせ、僕には、光り輝く未来はない。
兄がいる限り、僕は栄光を手にとることができない。
兄の手にすべてが集まる。
けれど、彼女は違う。
これから、王となり、民から尊ばれなくてはならない。
だから、ここで泥などついてはいけないのだ。
だからといって、ここで彼女を死なせるわけにはいかない。
「大隊長様、時間がありません。ご決断ください」
彼も私の考えてることがわかるんだろう。
彼との付き合いは私が就任してからずっとだ。
それなりに長い。
だから、私がどんなことを考えているのわかるのだろう。
そして、何に逡巡してるのか。
「なんなら、その任を私が受けてもかまいません」
その目がすべてを語っている。
そして、彼が言うこと。
それは私の部隊全員が承諾していることになる。
だけど・・・
「隊員を全員、集めろ」
私は、それに答えることはせず、全員を呼び集める。
そして、
「いまから、お前たち全員に逃げてもらう」
作戦を打ち明けた。
それは、私が考えたどれでもなく、彼が考えていたものでもなかった。
周りが騒然とする。
当然だ。
このままでは到底逃げ切れないからだ。
私だってわかっている。
けれど、誰かを犠牲にしてまで
それこそ、私を信じてくれている仲間を犠牲にしたくなかった。
そう、なるなら・・・
「そして、私だけここに残る。私が足止めしておこう。その間に、お前たちは、王都に行き、救援を頼め」
私だけで十分だった。
それに勝算だってある。
ただ、それをやれば、私は二度と戻ってこれないだろう。
けれど、それでいい。
どうせ、私には何もない。
ならば、すべてを無に返そう。
それが良いんだ。
けれど、それを周りは許さない。
私はそれを嬉しく思い。
そして、申し訳ないと思った。
けれど・・・
「これは、大隊長命令だ。逆らうものは、切り捨てる」
やめるわけにはいかなかった。
「ギエン。ルナ姫のことをよろしく頼む」
「大隊長、おやめください。自重を、ぜひ自重を・・・」
なんとしてでも、とめたいのだろう、私の言ってることには耳を貸さず、まるですがりつくかのように訴える。
けれど、
「それが、将たる者の勤めだ。行け」
それを無視して、背中を押す。
そして、ルナ姫のほうへと向き直る。
その顔がどこか険しいのは、気のせいじゃないだろう。
「最後まで、あなたの警護をすることができない無礼をお許しください。ただ、我が家の誇りを傷つけぬためには、どうしても、こうするしかないのです。後のことは、ギエンに任せております。至らぬ点があるかもしれませんが、どうか、重ね重ねお許しください」
これが、主君への最後の言葉。
彼女をおいて、行くのだ。
黙っていくとなれば、それはある種の職務放棄に該当する。
だから、言わなくてはならない。
「それでは失礼します」
けれど、言うことを言えばそれはおしまい。
単なる形骸的なものでしかないのだから。
「ちょっとまちなさい」
けれど、彼女のほうが違ったらしく呼び止める。
その表情は先ほど以上に、険しかった。
「あの大軍を一人でとめるつもりなの?」
「はい」
信じられない。
そういう意味での問いなのであろう。
確かに、私がそうするといわれれば信じられないだろう。
兄とは違うから。
兄とは違って、私は弱い。
所詮単なる人でしかない。
今のままの私では。
「あなたは、彼ではないのよ。天才でもなければ、化け物でもなんでもないのよ?そんなあなたにそれができると思ってるの?」
人が聞けばそれは辛らつな言葉に感じられるだろう。
けれど、私にとってはありがたかった。
彼女は、私を見てくれている。
それだけでいい。
私は呪文を唱える。
転送用の魔法だ。
周りが騒然とする。
私がしようとしていることは一目瞭然だからだ。
けれど、誰も止めない。
いや、とめられないのだろう。
兄よりは弱いが、それでも、ここにいる人間のなかでは、私は最強だから。
そして、詠唱が終わり、あとは放つだけになった。
彼女のほうへと向く。
非難がましく見える。
私は彼女にとって、失いたくない人間になれたのだろうか。
私は彼女のことが好きだった。
ただ、一人の人間として接してくれる彼女が。
けれど、分不相応な恋でしかない。
それに、彼女には、兄がいる。
完璧な兄が。
だから、私には出る幕はなかった。
まぁ、ほしいわけでもなかったが。
彼女が幸せならそれでいい。
綺麗事かもしれない。
たんなる臆病者の言い訳なのかもしれない。
けれど、私は本当にそう思っている。
だからこそ・・・
「止めてみせます。それが、兄ではなく、私、ミハエル=ジェル=クロフォードにできる、唯一のことですから」
守りたいんだ。
「ゲート」
私は、ここにいる全員を移動させた。
さすがに、王都までは無理だろう。
けれど、それでも、追いつかれることはないだろう。
そして、それと同時に、私が使う魔法の余波を受けることもないだろう。




