遊者、“母”と出会う(下)
早朝、タークとアサはサラサに見送られ、モンスター退治に出かける。その後もサラサと話していたタークは、少し寝不足だったので、何度もあくびをしてしまう。
「またあくび。やる気あるのか?」
「うるさいな。そりゃあんなに寝れば朝もすっきりだろうさ。こんなに早起きするのは久しぶりなんだ」
と言って、タークはまたあくびをする。アサは不快そうな顔で、タークを睨み付ける。
「てか、遅くまで何してたんだ? 次の日に早起きするってわかってたんだから、早く寝るのが当然だぞ!」
「一理ある。でも、サラサさんと話をしてたら、盛り上がってさ」
「サラサさんも起きてたんだ。……本当に話だけ?」
アサは顔を赤くする。こいつもうぶだ。タークは、同じうぶでもアサになら攻撃的に対応できる。
「何エロいこと想像してるんだよ。恥ずかしい奴だ――っうおっ!!」
アサの回し蹴りが炸裂すると、タークはとっさに結界を張った。その蹴りには魔力が込められており、結界で防がないと最悪死ぬほどのものだった。
「さすがにやりすぎだろう!」
「うるさい! 変なことを言うから悪いんだぞ! どうせ防げるんだから大丈夫だろ!」
危ない奴だ。味方と信じて背中を見せることが可能なのか怪しいものだった。
「そういえば、アサは今魔法使いなのか? 剣士なのか?」
アサの背中からはいつも持ち歩いていた剣は消えている。それは、相手が魔妖系だから当然のことだが、このぶれぶれの女は普段どのようにして戦っているのだろう。タークは疑問に思った。
「あたしは武道家だぞ」
武道家。剣士の場合でもそうだが、女性がその職を持とうとするならば、結局のところは魔法を使用する。剣士の場合は、剣を魔力を使って持つ。女性ほど大きな剣を振り回していたりするのは大体そういうことである。武道家の場合は、さっきのように手や足に魔力を帯びさせて、そのまま攻撃する。
「じゃあ本業じゃないか! 危ないな!」
モンスターを退治する勢いで突っ込みを入れる女。危険である。
「普段、剣を持ち歩いている意味も分からない。調理用か?」
「あれは、売ろうと思ったけど、あまり良い値がつかなかったからそのまま持ってるだけだぞ」
まだ剣士に未練があるとかでもないのか。どっちにしても、中途半端なことだ。
二人並んで歩いていくと、町の端までやってきた。森の間に他の町への道が作られている。今日は、用があるのは森のほうだ。二人はそのまま森のほうへと入っていく。
「寒い……」
森の空気は澄んでいる。風が木々を揺らし、バチバチといった自然の声が響く。のどかだ。それでも何かが足りない。そうだ、鳥の声が無いのだ。きっと、鳥は危険を察知し、この場所から移動している。鳥の鳴き声が無いから、早朝の森にしては少し不気味な雰囲気がするのかもしれない。
「この辺りなのか?」
「うん。あそこに討伐隊の奴らが陣を張ってるぞ。昨日のうちに、今日退治しにいく話はしてある」
見ると、確かに結界が張られている場所がある。そこを拠点にしているのだろう。アサが一直線にそちらに向かうので、タークもそれについていく。
「ちっす」
「おお、アサ。……勇者様はまだ来てないのか?」
いきなり物騒なことを言い出すヒゲ面の男。どうやら、この男がリーダーらしい。
「うん」
アサが言うと、周りの全員の表情が暗くなる。ここには今、十人ほど居る。男性四人、女性六名。女性のほうが多いのは、やはり魔法使いが必要とされているからだろう。男性四人も含め、ここには魔法が使えないものはいないはずだ。
「そうか……そこの男は?」
「どうも」
タークは軽く挨拶をする。きっとアサが紹介してくれるものだと思っていたのだが、どうやらそんなことは無いらしいので、結局自分で名を名乗ることにした。
「タークです」
特にこれ以上言う必要も無いだろう、と思って名前だけ言ったのだが、周りの視線は厳しい。何だこいつ、と言わんばかりだ。
「勇者様は来ないから、あたしとこいつで行くぞ。情報教えて」
「おい、アサはともかく、大丈夫なのかい? 兄ちゃん」
アサよりも下に見られるとは。というか、アサは結構偉そうにしているように見えるのだが、ここでの序列だと上のほうになるのだろうか。偉くなったものだ。タークは鼻で笑う。すると、アサはタークの背中をグーで殴った。さすがに魔法は使っていないが、酷いと思う。
「こいつなら心配は要らない。ってか、こいつに全部やらせるから」
「アサが言うなよ。アサはやらないのかよ」
何が、やらせる、だ。アサは元勇者一行ということによって、高い立場に居るのだろう。ずっと格好つけているような表情をしているので、タークとすればおかしくて仕方が無かった。
「タークがするの。タークは聞きたいこと無いのか?」
「聞きたいことねぇ。……本当に魔妖系なのか?」
タークがヒゲ面の男に尋ねる。男は頷いて答えた。
「間違いない。もうすでに何度も対峙してるが、撃退の糸口さえつかめない」
「効かないのか?」
魔妖系だとわかったところで、魔法使いを揃えているはず。それなのに退治できていないということは、何か特殊な手段で防御している可能性がある。
「いや、一瞬消滅はするんだが、すぐに元通りに再生するんだ」
「……なるほど」
すぐに再生する。それが本当なら、防御しているということではなく、別の理由になる。大体の見当はついた。
「陣は色んな場所に張っているのか? 人が少ないように思うけど」
「町を守る形で、二箇所だな」
「二箇所か。町にはもっと戦士が居たような気がするけどね」
店に行列が出来たのだから、今ここに居る数の倍でも全然足りない。そいつらは一体何をしているんだろう。
「それは、先に出たほうが退治し終わったから、こっちにそのまま流れてきただけだぞ」
「こっちのが魔法しか効かないもんだから、単なる野次馬化したのさ」
なるほど。そんな迷惑な奴らだったのなら、もっと呪い染みた術式を掛けておけばよかった。彼らには少し体を重くするような結界しか使用していない。この町に居るだけで腰が痛くなる、とかそういうのを掛ければよかった。
「使えない奴らだ。まあいいか、アサ、ちょっと」
「何?」
タークはアサだけに耳打ちする。別に内緒事ではない。アサに言わせたほうが話が早そうだったのだ。
「僕とアサは本体を攻撃するわけだけど、魔妖系なら、分裂した小さい個体も居るだろう。ここに居るみんなにはそれを退治するように頼んでみてくれ」
「どうして?」
「それらは本体の魔力そのものだから、少しでも削るんだよ。ってか、何でわからないんだ」
「……う、うるさいな」
一緒に旅をしていたとは思えないくらい、アサの知識は低い。ひょっとすると、すぐに忘れる人なのかもしれない。
タークはアサから離れ、また男に聞いた。
「で、新種に名前とかはあるのか?」
「ウィスプって呼んでるな」
「火の玉、ね。分かった」
最も魔妖系につけそうな名前ナンバーワンの良い名前だ。実際、旅の途中に現れた魔妖系にもそう名づけたことがある。まあ、今それを言うまい。
「じゃあ、あたしとタークはウィスプ本体を撃退するぞ。だから、他のみんなは少しでも相手の魔力を削るために、周囲の分裂体をやっつけてくれ」
ここに居る人間への指示は、アサがするほうが良い。新参のタークが言っても、不満を持つだろうという判断だ。
「じゃあ行くぞ、ターク」
「あいよ」
アサに従う、といった返事をする。偉そうにするアサを見てニヤニヤしながら、タークはアサについていった。
「いやあ、空気が美味しいなぁ」
「ここに来て、その感想はおかしいぞ」
清々しい。久しぶりの早起きの中で、自然の空気に触れる。もう眠気も覚めたので、タークのテンションは少しあがっていたのだ。
「いや、普通だろう」
「緊張感が無いぞ」
アサは呆れたように言った。実際、緊張していないのだから仕方の無いことだ。
「大丈夫だよ。僕としたら、魔妖系のほうが楽だし」
魔妖系は実体のない魔力の塊であり、命とは捉えられない存在である。だからこそ、何も考えずに攻撃が出来るため、タークとしては楽だった。魔妖系で無ければ、今回のモンスター討伐も自分から進んで立ち上がることはなかったかもしれない。
「あたしは魔獣のほうが楽だぞ。それに――」
アサは立ち止まる。そして、不安そうな表情をタークに見せた。
「これって、魔王が復活したってことなのかな?」
魔妖系のモンスターは魔王によって生み出された存在。これは、勇者一行の統一の見解だった。
「いや、それなら他のモンスターも人を襲うはずだよ」
魔王が居た頃の世界は、モンスターは自衛よりも人間を殺すことを優先に動いていた。その脅威がなくなったからこそ、タークは積極的にモンスターを狩らないでいた。今のモンスターは、あくまで弱肉強食という自然の摂理の中で生きている。
「じゃあ、あたしたちの考えが間違ってたってこと?」
「それも微妙かな。だって、実際に魔王を倒した瞬間から今まで存在が確認されなかったわけだから」
マウアーと居た頃は、情報にこと欠かなかった。だから、居なくなったのは確かなことだ。
「タークはどう考えるんだ?」
「……魔王が復活していない前提だと、魔妖系のモンスターを作り出すことが出来る者が、魔王以外にも居るということかもしれない」
「それって……」
「間違いなく、危険な奴だな」
魔王が復活したとは考えない。しかし、将来的に魔王になり得る、潜在的な魔王は存在しているのかもしれない。モンスターを操り、あるいは生み出し、人を殲滅しようという、悪が。
「――!? ターク!」
「わかってる!」
遠くに青く輝く光が見える。そして、それはすぐにこちらを認識し、そのままこちらに光となって向かってきた。特攻して来たわけではなく、モンスターの外見と放たれる光が同じようなものなので、モンスター本体が高速移動してきたように錯覚を与えたのだ。
タークは上へ、アサは右方向へと跳んだ。二人にかわされた光は、後ろにある木に直撃し、木は衝撃によって折れてしまった。
アサは着地後すぐに発射元のほうへと飛び跳ねていく。タークも飛行して向かう。そこには、青い炎のようなモンスター、ウィスプの姿があった。
〔あまり近づくな。一定の距離で避けててくれ。僕が攻撃する〕
接近専門で戦ってきているだろうアサは、あまりこのモンスターへの攻撃が適していない。その辺りも考慮して、アサを囮にしてタークが攻撃しようと考えた。
〔あたしは大丈夫だぞ!〕
しかし、アサは言うことを聞く気はないようだ。アサはウィスプの魔法を避けながら、さらに接近していく。機敏な動きを見せるアサの回避技術は見事なもので、どんどん距離を詰めていく。
タークは万が一に備え、すぐにでもアサへ防御結界を張れるようにしておく。たまにタークのほうへも魔法を放ってくるが、やはりウィスプにとってもアサが気になるのだろう、アサへの攻撃がほとんどだった。
それを見て、タークも少し距離を詰める。結果的に、アサを囮にすることに成功した。タークはあまり使うことのなくなった攻撃魔法の準備をする。
見た目が炎なので、風か水が良いだろうか。いっそ両方か。タークは右手に風の魔法、左手に水の魔法を宿らせる。火、水、風、土の魔法は、あくまでも元素であり、そのものを生み出すというわけではない。しかし、精度が上がるほど、自然に存在するそれに近いものが仕上がる。タークは水の魔法と、風の元素を風そのものに昇華したもので、小さな竜巻を作り上げる。
水竜。水と風の魔法を合成した魔法を、ウィスプへ向けて放った。
魔法は一塊になってウィスプへと到達し、その地点から上空へと大きな竜巻を作り上げた。当然、ウィスプはひとたまりもなく、その姿は消え去ってしまった。
アサはタークが魔法を放った時点で距離を取っていた。呆然とするアサ。その反応を見て、タークは気分が良くなった。
「アサ、おつかれー」
「……良いとこどり」
囮はタークを睨みつける。別に、良い格好をしたかったわけではない。自分がやったほうが効率が良いと思っただけのことなのに、手柄を横取りしたみたいな顔で見られるのは納得がいかない。
「なんだか何にもしてない感じだぞ。もう、早く帰ろう」
「何を言ってるんだ。まだだろう」
「え?」
アサが間の抜けたような顔を見せる。全く、さっきの話をもう忘れたのか。
「すぐに再生するって言ってただろう。まだだよ」
「でも、居ないけど……」
「まだ時間が掛かるんだろう。今のうちに、本体を見つけるんだよ」
「本体? さっきのが本体じゃないの?」
アサは間の抜けた顔で言った。本当に、何も考えてないな、この子は。
「攻撃用の個体を置く、ってのはよくあることなんだ。本体がすぐにやられては終わりだからな。攻撃を全権移行させて、いかにも本体だというような攻撃性を持つけど、実際は周囲に居る分裂体と変わらない存在なんだよ」
「……先に言ってほしいぞ」
せめて、倒しても再生する、ということだけでも思い出してほしいものだ。やっぱりアサは抜けている。
タークは森の奥へと進んでいく。山の麓に広がるこの森は、山に近づくにつれて緑が深くなっていく。時間を感じさせない闇に覆われる。ところどころにこぼれる木漏れ日が神秘的で美しいが、どこかにモンスターが潜んでいるとなると、あまり感傷的になれそうにもない。
「気味が悪いぞ……」
「そんなもんだよ。ほら、足元気を付けて」
道になっていないこの場所は、地面に様々なものが無作為に落ちている。折れた枝や、動物の死骸、何ならまだ生きているモンスターまで潜んでいる。その辺りは、適当にあしらいながら進んでいく。
神経を研ぎ澄ませ、周囲に目を凝らす。早く見つけなければ、またさっきのが復活するだろうし、ひょっとするともっと居るかもしれないということもある。
「ターク、あれ」
アサが示すさきを見る。百メートルほど先だろうか、ほんのりと青く光るものがあった。間違いなく、ウィスプだろう。ただ、本体か分裂体かどうかはわからない。
「ゆっくり近づこう」
二人はジワジワと距離を詰めていく。こちらの射程圏に入ってから、一気に攻撃をするためだ。ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。
「ターク」
「ん?」
「囲まれてるぞ」
アサが言う。タークは目だけで周囲を見回す。すると、確かに見える範囲だけでも数体、青い光の存在がある。討伐隊の人間が減らしてくれているはずなのに、中々の数が、ここに揃っている。
少し面倒なことになったが、これだけ集まっていると、さっき目視したものが本体である可能性が高くなる。タークは動き出すタイミングを見計らった。
「僕から離れるなよ――ってアサ!」
タークが話している途中で、アサは駆け出した。一気に接近し、攻撃を与えようとしているのだろう。
その瞬間、周囲を囲む分裂体が、アサへ向かって光線のような魔法を集中させる。アサはそれを上へ下へと見事に避ける。最初に目標にしていたウィスプだけが、唯一攻撃を放たなかった。それが本体だということだろう。アサも同じ考えのようで、確信を持ったようにそのウィスプへと特攻する。
「とっさのほうが良い判断をするじゃないか!」
タークも急いで後を追った。またすぐに分裂体による集中砲火が始まるはずだ。全てをかわし切るのは困難なことだろう。防御結界を張るためにも、もっとアサに近づく必要があるのだ。
しかし、アサは本当に速い。追いつけない速度で進みながら、手に魔力を蓄積させている。さっきタークを殴ったときとは違い、それは放出の体裁をとっているのが分かる。魔力を持つ武道家は、大体が魔力によって拳を硬くするなど、魔力で人体を変化させている。今、アサがしようとしているのはそれとは違い、ただの近距離魔法、魔法使いの手段だった。
第二破はすぐに放たれた。少し離れた場所に居るアサの全方位をカバーすることは困難なことだ。それでも、タークはアサのほうまで防御結界を広げる。分裂体は思ったよりも数が居るようで、間髪を入れずに魔法が放たれてくる。当然、タークも目標とされており、その魔法が向かってくるが、タークは器用に自分とアサを結界で守っていく。
アサはウィスプ本体を射程内に入れる。そして、さらに接近し、殴るくらいの至近距離で、蓄積させていた魔法を一気に放った。アサもなかなか資質の高い子だ。その瞬発力などの戦闘センスも去ることながら、魔力も申し分ない。至近距離からの一閃は、ウィスプの体を削り切ると、拒否反応というようなバチバチという音を立て、ついには蒸発してしまった。
「ふう。どうだターク!」
「油断するな馬鹿!」
タークは大急ぎでアサのところへ向かう。魔法そのもので出来ているモンスター、魔妖系の次の行動は決まっているはずだ。
「へ?」
ウィスプの分裂体は、蒸発していく本体へと戻っていく作用が働く。もちろん、戻ってくる場所のないそれは再びくっつくことはないが、集まる動作は攻撃性を伴っている。
全方向から来るそれを、離れた場所から防ぐのは厳しいものがある。分裂体そのものが魔法なのだから、それらの全魔力が一斉に集中してくるのは脅威だ。出来る限り、アサに近づく必要があった。
「こっちへ!」
アサはその高い瞬発力によって、タークのもとへと跳ぶ。想定よりも速いそれは、タークがアサを抱きとめるまでになった。後で何か言われそうな状況ではあるが、やりやすくなったのは確かだ。タークはそのまま円状の防御結界を張る。こうなれば、防ぎきることはたやすい。攻撃が止むまで、タークはアサを自分の胸へと納めていた。
「おかえりなさい」
笑顔で出迎えてくれるサラサに、タークは照れてしまう。それこそ、本当に奥さんみたいだったからだ。まあ、横に余計なのが居るけれど。
「――あっ、怪我してるじゃない。タークが怪我を負うなんて、結構厄介なモンスターだったんじゃないの?」
タークは唇辺りから少し出血していた。モンスターがこんな怪我を負わせるわけがない。
「いや、これはモンスターよりも厄介なのにやられた」
「誰がだ!」
あの後、タークはアサに顔をビンタされた。魔力は帯びていなかったけれど、アサの戦闘センスによってクリーンヒットし、タークを出血させるに至ったのだ。
「あ、アサがやったんだ……」
「別に僕は悪いことはしてないのに。一応、守ったつもりだったんだけどねぇ」
「だ、だから、謝ってるだろ……」
確かに、さっきからアサに謝罪されてはいるのだが、タークの怒りはおさまらない。何故守るためにしたことによって、こっちが痛い目にあわなければならないのか。全く納得できない。
「まあ、中で休んで」
「あたしは帰るぞ。ちょっと用事があるから」
アサはそう言って、中に入らずに帰ろうとする。まだ店も開いていない早朝。これから、まだまだ一日は長いのだ。
「あら、そうなの? ターク、送ってってあげたら?」
「僕が?」
タークは心底嫌そうな顔を見せる。こんな目にあわされて、女の子のような扱いをしろというのが無理な話である。
「いいよ。家を知られたくないし」
それにこの言われよう。絶対送っていかないと心に決める。
「じゃあサラサさん、また来るぞ。……ターク」
「何だよ?」
「ごめん」
アサはそう言ってから、走って去っていった。照れ隠しなのだろうか。
「あれで結構気にしてるのよ。何があったか知らないけど、悪気があってしたわけではないだろうから、許してあげてよ」
そんな風に言われてしまうと、怒っている自分がとっても子供っぽくなってしまう。やっぱりサラサは姉っぽい。タークは改めてそう思った。
「さて、とりあえず何か食べようかな」
「私が作るわ」
一仕事を終えた後、こうして労ってくれる人がそばに居るのは心地が良い。本当に、ここに長く居座ってしまいそうだ。ララの成長も見たいし、本当にしばらく居てしまおうか。
しかし、そんな考えが一蹴されるほどの存在が、この場所へと接近していた。それは確かに、彼女の魔力だ。馬鹿でかく、他の追随を全く許そうとしないそれは、この世界最強のものである。人は彼女を、勇者と呼ぶ。
「……来た」
「どうしたの? そんなに青ざめちゃって」
タークは今、この世の終わりが来たような顔をしているだろう。ここまで近くに来たのはいつ以来のことだろうか。久しぶりに感じるこの魔力に対し、ある種のアレルギー反応のようなものが起きているのか、自身の体の様子がおかしくなっている。
きっと、タークが気づいた時点で、マウアーもタークがここに居ることに気付いているはずだ。終わった、何もかも。純粋な追いかけっこになってしまったら、タークには逃げきれそうにない。今居る場所を知られるということイコール終わりなのだ。
「マウアーが来る。終わった、何もかも……」
「……そっか、勇者、来ちゃったか」
サラサは、少し寂しそうに言った。
「ターク、もう行きなよ。勇者は私が足止めしてあげるから」
「いや、ダメだ。ララが居るのに、サラサさんをそんな危険な目にあわせるわけにはいかない……」
「何言ってるのよ。勇者が私を危険な目にあわせるわけがないじゃない」
確かにそうだ。タークは混乱していた。
「いい? 勇者が来る方向とは真逆の方に行くのよ。勇者がこの辺りを通るようにね」
「……わかった」
「いってらっしゃい。思い出したら、また寄ってね」
「ああ」
寂し気なサラサに対し、タークも辛い気持ちになる。しかし、それでもタークはマウアーには会えない。タークがマウアーを恐れているということもあるが、サラサとこんな生活をしているところをマウアーが見たら、どんな印象を持つかが怖いのだ。マウアーがサラサを悪く思うかもしれないということも怖いし、それによってマウアーとサラサの関係が崩れてしまう可能性があるということも怖い。
結局は、もう出ていくしかないのだ。
「また、来るから」
「うん」
サラサはまた、笑顔で送り出してくれる。タークはなるべく振り返らずに、家から離れていく。サラサが幸せであるように。タークは願った。
駆け出したタークは、一気に町を離れ、森へと入っていく。すると、そこに待ち構えている人間が居た。アサだ。
「待てターク! 勇者様が来てるの知ってるだろ!」
アサはタークに立ちふさがる。こんなことで時間をつぶしている余裕はない。タークは振り切ろうとするが、スピードではアサにかなわない。結局、アサと対峙することになる。
「……アサが呼んだのか?」
「そうだぞ」
タークはアサを完全に敵として睨みつける。それはアサもショックらしく、少し怯んだような表情を見せる。
「あ、あの……、モンスター退治のために呼んだんだぞ」
そして、そう弁解する。確かに、タークを貶めるために呼んだにしては、来るのが早すぎる。タークがモンスターをやっつけようとする前に呼んでいたのだろう。そして、モンスター退治のために呼んだから仕方無い
、と言ってタークと会わせようとしていたのだろう。サラサのためとはいえ、アサがマウアーの標的をやすやすと逃すわけがないということだ。
ただ、タークがモンスター退治に行くと言ったのが、アサとしては誤算だった。結局、タークを貶めるために呼んだ形になってしまったのだ。まあ、どっちでも良い。恐怖が間近にやってきていて、その原因が今目の前に居る女だということが一つの事実なのである。
「どうやら、僕のことを本気で怒らせてしまったみたいだね……」
タークは、抑えてある魔力を引き出す。マウアーが近くに居る今、抑えておく必要が無い。サラサから急いで離れなければならなくなったことの怒り、マウアーに自分の居場所を認識されてしまったことの怒り、そして頬の痛みの怒りがタークの魔力を上昇させる。
「あ、う……」
アサは後ずさりしていき、躓いて尻もちをついてしまった。引きつった表情のままタークを見る。タークは、そんなアサをまた強く睨みつけた。
すると、今度は泣きそうな表情になってきた。恐怖に怯える女の子。その対象であるタークは、とても凶悪な人間であるということになってしまうのだろうか。
「……」
タークは、ちょっと仕返ししてやろうというぐらいの軽い気持ちだったのだが、何となく後に引けない感じになっていることに気付いた。ここからどうすれば良いのだろう。迷っているうちに、マウアーがやってくるかもしれない。サラサが足止めしてくれるとは言っていたが、それが絶対に成功するとは限らない。
そのまま通り過ぎるくらいが理想だろうが、それではまたアサがマウアーに告げ口をし、よりタークの立場が危うくなるに違いない。そもそも、アサがマウアーにすぐ連絡できる存在であることが問題なのだ。言ってみれば、アサはマウアーの忠実な手下。そんな彼女を、このまま野放しにしておいて良いものか。
そういえば、今回は住居探しではなく、理由はともあれれっきとした旅である。旅は道連れ。そばに誰かが居ると、何かと便利かもしれない。アサだと気を遣わないし、それに、マウアーと疎遠にさせるチャンスだ。
タークはゆっくりとした足取りで、アサに近づいていく。アサは動かずに、じっとタークを見上げている。タークはアサに手をかける。首の辺りに、ちょっとした術式で結界を張る。
「な、なに?」
相手が動かないので、かなり楽な作業だった。タークはそのまま、アサを放っておいて歩いていく。一歩、二歩、三歩。四、五十歩ほど歩いたところだろうか。急に後ろから声が聞こえる。
「痛い痛い!! な、何これ!?」
「早く来ないと置いていくぞー」
「はぁ!?」
タークはまた歩き始めると、再びアサから声が上がる。そろそろ、アサにも理解することが出来るだろう。アサは急いでタークに追いついた。
「何したんだ! タークが遠くに行くたびにあたしの首が痛くなるぞ!」
「ああ。あれだよ、ペットに付けるやつ」
「……リード?」
「そうそう」
タークがアサに仕掛けた結界は、タークからある一定の距離以上離れることが出来ないというものだった。これで、しばらくアサを監視し、マウアーとのネットワークを切る。旅の付き添いも出来て、一石二鳥なのだ。
「早く取って!」
「ダメ。これは罰だからね。ちょっとアサには付き合ってもらうよ」
タークは、今度は魔力を足に帯びさせることによって、高速で移動を始める。そろそろ、本格的に逃げるという行動をとりたいのだ。
「待て!」
タークは、そのままアサと共に走り去っていく。次の目的地は決まっていないが、とりあえず今は、ここから離れることが先決だった。まだマウアーは追ってこない。タークたちは大急ぎでこの地域から脱した。
☆ ☆ ☆
赤い髪が美しく、抜群のプロポーション。体のパーツだけではなく、顔のパーツも美しいのだから、これはもう「ずるい」としか言いようがない。そんな女性が、今サラサの目の前に居た。
「サラサさん、私、今急いでて――」
勇者。良く彼女を知る人は、みんな彼女を尊敬し、彼女を見たことがない人も、どこかでその名前を知っている。彼女こそが、世界を救った勇者その人だった。
「そうなの? ……せっかく、私の子供を見てほしいって思ったんだけどなぁ」
「子供!? あ、生まれたんだ!」
彼女はパァっと明るい表情になる。この表情が、彼女の本質のような気がする。好奇心旺盛で、絶対的な善を感じる表情だった。
「うん! さあさあ、入って」
「え、えっと……。会いたいのはやまやまなんだけど、ちょっと先にしておきたい用事があって……」
勇者の用事となれば、それを尊重するのが筋だろう。しかし、その用事がどんなものかを知っている以上、ここは引き下がる気もない。ましてや、サラサ自身がその用事を妨げたいと思っているからなおさらなことだ。
それは、嫉妬心という理由の下で。
「……そっか。じゃあ仕方ないかな。ちょっと一人で心細いから、勇者に来てもらったら嬉しいなって思ったんだけど……」
サラサは、いかにも悲しそうに言った。これは卑怯な行為だ。こうすると、彼女は断ることが出来ないだろう。
「……ちょっとなら」
そう言って、勇者はサラサに連れられていった。
この後、まさか一週間も居ることになるとは、誰も思わなかったのだった。




