遊者、“母”と出会う(中)
「うわー、猿みたい。かわいいぞー」
アサが赤ん坊を覗き込みながらはしゃいでいる。ベッドの上で体を起こしているサラサは、それを幸せそうに見ていた。
長い時間、サラサは戦っていた。アサと助産婦、さらにサラサの友人が二人ほど手伝いに来てくれて、何とか無事に出産が終了すると、タークも赤ん坊と顔を合わせることが出来た。
生まれたのは女の子。名前はララと名づけられた。
それからサラサが睡眠を取っている間に、助産婦と友人は帰り、タークはアサと共にサラサが起きるまで、ララの様子を見ながら待った。二時間ほど寝てから、サラサは目を覚ました。
「アサが来てくれて助かったわ。ありがとね」
「いやー、凄いタイミングだったな! あたし大活躍!」
まあ、呼びに行ってくれたことは認めるけれど、大活躍というものでもないだろう。タークは鼻で笑った。
「あたし一番初めに抱っこした!」
「そうだね、ふふふ」
「いや、何でアサが一番先に抱っこしちゃうんだよ」
中で手伝っていたアサは、出産の一部始終に携わった。その中で、アサは出てきたララを一番初めに抱っこしたようだ。
「タークもすぐに抱っこしたじゃない」
「別に僕が一番に抱っこしたかったって意味じゃないよ。何でアサだったんだって話。それより、サラサさんはララに僕を父親だと教えるのはやめてくれ」
それによって、タークはアサに蹴られた。変な誤解されるようなことは言わないでもらいたい。何よりも、ララが勘違いするのが一番問題である。
「僕はお父さんじゃないからなー」
「そうだぞ。こんなのお父さんじゃないんだぞー」
タークとアサは赤ちゃんに話しかける。当然、ララは言葉など分からない。サラサは二人を見て笑った。
「で、アサは何しに来たんだよ」
「いや、それはこっちの台詞だぞ」
タークとアサはにらみ合う。昨日キャンセルされたにらみ合いが、ここで仕切りなおしとなったのだ。
「こらこら、ララの前で喧嘩はやめてよね。というか、アサはちょくちょく来てるよ」
「そうだ。あたしとしたら、何でタークがここに居るんだって話なんだぞ」
サラサの思わぬ加勢に、タークはたじろぐ。
「ここに来て僕の悪口をサラサさんに吹き込んで、一体何がしたいのかってことだよ」
「ふん。悪口を言われるような人格をしてるほうが問題だぞ」
「それは僕のどの部分を言ってるんだよ? どうせアサはただマウアーの愚痴に頷いて同調した気になってただけだろう」
「何おう!」
「ララー。二人はとっても仲良しだから、喧嘩してるんじゃないのよー」
サラサはとても高い声で言った。絶対怖い表情をしているだろうからサラサのほうを見ることが出来ず、タークとアサはまたララの顔を覗き込む。心なしか、悲しそうな顔をしているように見える。
「そ、そうだぞー」
「う、うん。仲良しだからなー」
そう言ってやると、ララは安心した。ように見えた。
「……全く。てかタークはあまりララに顔を近づけないでよ。ララがびっくりしちゃうぞ」
「アサは存在自体が悪影響だから、アサこそ近づかないほうが良いんじゃないか?」
「何おう!?」
「ララー……」
また二人してびくつく。二人は振り返らない。
「ララは本当に可愛いなー」
「うん。ララは絶対将来美人になるぞー」
そう言って誤魔化す。平和な午後だった。
「毎度ー」
タークはさらに数日経っても滞在していた。というか、ここに来て店が忙しくなってきて、去るという選択肢を失っていたのだ。ランチタイムになるとこのカウンターだけのこの店はすぐに満席となり、さらに外にも列を作るようになっていた。
「タークさんは本当に頼りになるわねぇ」
サラサが働けないという現状の中で、タークはサラサの友人たちと店番をしていた。サラサの友人Aは結構年上のふっくらとしたおば様であり、子供が三人も居るらしい。友人Bはサラサよりも少し年上くらいのやせ型の人だ。
「本当ね。あれ、うちの子にもやって欲しいわ。『大人しくなるツボ』」
「いやあ、あれはちょっと企業秘密なもんで」
やってくる客がモンスター退治に訪れる戦士であり、柄の悪いのも含まれてしまう。そんな中で、タークの存在は役に立った。タークは円滑に店を運営することに努めたのだ。
「おつかれさまでーす」
二人を送り出すと、タークはふうとため息をつく。悪い人たちではないが、やっぱりああいった、話をすることが生きがい、というような方々との会話は、何か特訓でもしているような辛さがあった。
「お疲れ様、ターク」
閉店時刻を見て二階から降りてきていたサラサに声を掛けられる。出産という大仕事を終えたサラサは部屋で休み、産後の疲れも少しずつ回復していっているようだ。
「体は大丈夫?」
「おかげさまで。私的にはもう働きたいんだけどね。まあ、今の混雑の中では足手まといになりそうだわ」
こんなに人が来るのは、開店以来始めてのことらしい。サラサは微妙な表情で言った。
「それにしても、何で今更こんなに人が流れて来るんだ?」
「さあねえ」
二人で首を捻る。サンドストンにモンスターが現れてもう一週間以上経っている。しかし、戦士が居なくなるどころか、モンスターの出現場所からは離れているリンバルに人が増えるのはどういうことだろうか。
「店の繁盛は良いことかもしれないけど、ああいう輩みたいなのが大勢来ると嫌だね」
「まあ、私一人で店をやってたらって考えるとぞっとするわね。あ、そういえば『大人しくなるツボ』って何したの?」
さっきの話を聞いていたのだろう、サラサはそんな質問をタークに投げかけた。大人しくなるツボ。妙な言い回しは、友人たちには説明しても仕方ないと思ったからのごまかしだった。
「ちょいと早く店を出たくなるような術式をね。ちょっとした結界だよ。魔法に精通しない人間なら、ただの不快感によって早く出ようとする。ある程度出来る人間なら、こんな術式を使う奴のそばに居たくないってことで早く出ようとする。そんな感じのやつを」
「い、一応お客さんなんだけどな……」
カウンターだけの店でこんなに混んでいるのに、酒まで注文しようとした人間なら追い出したって構わないだろう。厄介そうな人間には、とことん先手を打っておいたのだ。これにより、店の回転も上がり、売り上げにも貢献したのだから許してもらいたい。
「あら、ララ泣いちゃってるわね」
二階から、ララの泣き声が聞こえると、サラサは急ぎ足で二階へと向かった。自分も片づけが済んだら行こう。タークとしても、ララの存在は癒しなのだ。
不意に、店のドアが開かれた。ちょっとしたデジャブである。
「ちょいっす」
「もう店じまいですよ……何だアサか」
「何だとは何だ!」
アサはいちいち怒る。疲れないのだろうか。
「ていうか、アサは近くに住んでるのか?」
「……自分の家のことなんてタークに言いたくないぞ」
「まあ、そういうってことは近いってことなんだろうね」
「ああもう! 絶対家は教えないからな!」
別に知りたくも無いし、知ったからって行かないのに。失礼な奴だ。
「ああ、アサ。また来てくれたのね」
「うん! 営業時間にも来たけど、混んでたから今来た。ララー、アサ姉ちゃんだぞー」
サラサはララを抱っこしながら降りてきた。キュートな天使は、相変わらず猿みたいな顔をしているが、この世のものとは思えないくらいに可愛いものだった。
「ララも連れてきたんだ」
「うん。二人で上に居てもつまんないしね。ララー、パパとアサ姉ちゃんだよー」
「だからパパじゃないって……」
しかしタークは、ララが自分の子供だったら幸せだろうか、と考えたりもする。それほどに、サラサは幸せそうだった。
サラサはアサにララを抱かせる。アサはうれしそうにララを受け取ると、頬ずりしながら甘い声を出した。一緒に旅をしていた時には知らなかったが、アサもこんな表情するのか。それほどに赤ん坊が可愛いのか、あるいは本能的なものなのか。
「ララー」
「食うなよ」
「食うかっ……」
ララを抱っこしながらだからか控えめなつっこみが返ってくる。それでもララは泣き出してしまった。
「ああもう、タークが変なこと言うから……」
アサは心底困ったような顔をしながら、ララをサラサに返した。少し悪いことをしたかもしれない。
「おお、よしよし。あ、ひょっとすると」
そう言って、サラサはびっくりするような行動を取る。急に胸を出したのだ。
「のわっ!」
そして、そのままサラサはララにそれを咥えさせる。なんてこと無い、授乳のシーンだった。
「お前! 見るな!」
アサはそう言ってタークの頭を叩く。タークは急いで後を向いた。こっちだって見たくて見たわけではない。その証拠に、タークの顔は真っ赤になっていた。
「ご、ごめん!」
「あら、ごめんね、ちょっとデリカシーが無かったわ。私は別に見られても問題ないわよ」
「僕はあるので! 出来れば先に言ってもらえると……」
「ごめんごめん。タークって意外とうぶなところもあるのね」
そう言ってサラサは笑う。いきなり知り合いの胸を見てしまったのだから、そりゃこんな反応をしてしまう。タークは今までまともに見たことは無いのだ。
「タークがサラサさんのおっぱいに欲情してたって勇者様に報告しとくから」
「それはぜっっっったいにやめろ!」
ただでさえ危ないマウアーがをさらに狂暴化するようなことだけは防がなければならない。アサは本当に言いそうだから、タークも焦ってしまう。
「てか、本当にマウアーを呼ぶなよ。これでも僕は今サラサさんに必要とされてるんだから」
「本当なの?」
「そうよ。店もそうだし、モンスターのこともあるからね」
サラサが味方をしてくれると、タークはホッと息を吐いた。授乳中のサラサの声は優しい。タークは後を向いたまま、うんうんと頷いた。
「でも、勇者様を呼ばないとまずいんだけどなぁ……」
アサが困ったように呟く。思ってもみなかった言葉に、タークは驚いてしまう。
「な、何だよ。そんなに僕を追い出したいのか?」
「そうじゃなくって。てかタークのことなんてどうでもいい」
「さいですか」
アサは相変わらずタークに冷たい。嫌いよりもどうでもいいは傷つくのだ。
「辺りに現れたモンスターが結構強力なんだ。だから、勇者様を呼ぼうって話になってるんだぞ」
「はぁ? 僕がここに着いたときにも情報はもらったけど、大したモンスターじゃなかっただろう。退治にいつまでかかってるんだよ」
サンドストンに現れたモンスターは、上級ではあるものの、マウアーの力を借りるまではいかないはずだ。それこそ、こぞって集まる戦士だけで十分に事足りる。そう判断したからこそ、タークは気にも留めていなかった。
「あれは違う。もうあっちは退治されたぞ。また出たの。今度はこの近くに」
「この近くに?」
だから戦士がこっちの町に移ってきているのか。サラサは不安そうな顔を見せる。
「そんなに強力なモンスターなのか? 何て名だ?」
「新種みたい。久しぶりに魔妖系のモンスターが出たとか」
「魔妖系? まさか……」
魔妖系。魔王の消滅と共に姿を消したそれらは、もう現れることは無いだろうと思っていた。実体が恐らく魔力で出来ている奴らは、魔王の力そのものだと考えられていた。当然、タークもそう思っていた。魔獣系とは違い、魔妖系は物理攻撃は受け付けない。退治する戦士達も魔法使いに限られてしまうことから、苦戦しているのだろうか。
「それで、勇者様を呼ぼうってことになった。別に、タークに意地悪しようとしてるわけじゃないぞ」
アサは子供っぽく口を突き出す。こう見えても、アサも勇者と旅をした戦士。町を守ることに対しては真剣なのだ。
「わかった、悪かったよ。でも、呼ばなくていい」
「何で?」
「僕が行くよ」
このまま放っておくわけにはいくまい。サラサとララのためにも、脅威はすぐにでも取り除いておきたいのだ。
「ターク?」
「それならマウアーを呼ぶ必要も無い。それに、お忙しい勇者様の手を煩わせるわけにもいかないだろう。僕が行ってちゃっちゃと倒してくるよ」
タークが言うと、サラサは小さく笑った。安心してくれたのだろうか。それだけでも、タークは自分の役割を果たせたと言える。
「……タークで大丈夫なのか? 不安だぞ」
「アサは僕を過小評価し過ぎているところがあるようだね……」
仮にも勇者と共に魔王を倒した大賢者なのだから、もう少し敬意を持ってくれても良いと思うのだけれど。タークはアサを細い目で見つめる。
「タークって勇者様に頼ってばっかだったぞ」
「そうだったの?」
「あれは、ちょっと省エネ主義が芽を出していただけだよ」
旅の終盤、確かにタークはマウアーに任せる場面が多かった。どうも戦闘に効率を考えてしまい、マウアーだけで足りるのならばタークは何も手出ししなかった。当時の仲間にも経験を、というのも大義名分とし、タークはサボっていたのだ。それでも、いざというときはちゃんと頑張っていた。アサにはその辺りのことを思い出してもらいたいものだ。
「何が省エネ主義だ。怠け者ターク。って、勇者様が怒ってた」
「陰口は良くないと思うな」
「なんか、あんた達の会話って微妙に和むわね」
サラサはそう言って呆れたように笑う。それでサラサの不安が取り除いた気がする。それが狙いだった、ということにしておこう。
「別にタークが行かなくても良いぞ。勇者様が来てくれたほうがあたしは嬉しいし」
「僕は困るんだよ! 僕がちゃっちゃとやっつけるから、マウアーだけは絶対に呼ぶな!」
いったい何のためにサラサに会いに来たと思ってるんだ。しかし、それを考えると、いかに自分が情けない理由でここに来たのかと少し落ち込んでしまう。
「……今すぐに行くの?」
「アホか。魔妖系のモンスターは朝方に倒すのが鉄則だよ。勉強不足だな」
魔妖系のモンスターは夜ほど力を発揮する。当然、それは戦士としては知っていなければならないことだ。
「あの頃は別に朝とか関係無しに倒してたぞ!」
「魔王討伐の旅とただのモンスター狩りを一緒にするな。道中だと仕方ないし、力が足りてると分かりきった上で倒してただろう。今回みたいに新種なら、ちゃんと警戒するんだよ。アサはもっと勉強しないとね」
「うるさいうるさい!」
アサはすぐに怒るのだ面白い。すでに手のひらの上というような返しをしてくれる。タークは久しぶりに会ったアサを、旅をしていた頃よりも身近に感じていた。
「またあんた達は……、まあ、そういうことならとりあえず、送り出す身としたら美味しいものを用意するしかないわね」
サラサは立ち上がって、エプロンを着ける。どうやら、夕食はサラサが作ってくれるようだ。
「もう大丈夫なのか?」
「大丈夫よ大丈夫。それに、これは私の母親としての最初の大仕事な気がするわ」
サラサは笑う。ララを守るために、タークに頑張ってもらう、ということがサラサの仕事。そう考えたのだろうか。なら、タークもそれを受け取りたいと思った。
「アサも食べていくでしょ? 元勇者一行はみんな大食いだからね。私も腕によりをかけて美味しいものを作るからね」
「やったー!」
その後、タークとアサはサラサの家の食べ物を食べつくし、ついには店の分まで手を付けた。明日は早い店じまいになるかもしれない。タークは申し訳なく思った。
アサもサラサの家に泊まることとなった。アサは嬉しそうに、ずっとララと戯れていた。ララのことを可愛がっているアサが、一番彼女にとって自然体のように見える。あるいは、全ての女性がそうなのだろうか。アサがララの前で見せる優しさこそが母性なのかもしれない。
夜が更けていく。タークは店のドアのガラスから外を眺める。一週間以上住み着いているが、この町の雰囲気は悪くない。いや、町の問題ではないのかもしれない。帰ってくる場所に、迎えてくれる人が居る、ということが心地良い。そういえば、こんな感覚は久しぶりのことだ。それこそ、魔王討伐の旅に出る前以来だった。
「ララもアサも寝ちゃったよ」
サラサがゆっくりとした足取りで階段を下りてきていた。別に忍び足というわけではなく、自らの体を気遣ってのことだろう。タークがほとんど無意識に近づくと、サラサはその肩を持った。
「ありがと」
別に、肩を貸さなければ歩けないということは無い。それでも、タークは動いてしまうし、サラサは頼ってくれる。短い期間の中でも、それは習慣になっていたのだ。
客の席にサラサを座らせて、タークはキッチンのほうへ移動する。
「コーヒー飲む?」
「うん。カフェオレでお願い」
「あいよ」
タークはちょっとした趣味になりつつあるコーヒーを準備する。豆を手早く中挽きし、フィルターのついたドリッパーに一度湯通ししてから入れる。そこからはゆっくりゆっくりと沸騰よりも低い温度のお湯を入れていく。良い香りが店全体に広がると、ここは一生付き合いたくなるほど心地の良い場所になる。
コーヒーが出来上がると、自分用には砂糖は入れずに少しのミルクだけを入れる。サラサ用のはコーヒーと同量のホットミルクを入れて、砂糖も多めに入れた。
それをテーブルに置くと、タークも隣に腰を下ろした。
「タークって結構女ったらしだったりする?」
「な、何でさ」
予想外なことを言われると、タークも納得がいかない。そんなこと言われたことが無いのだ。
「こんなに優しかったっけ。もっと無愛想だった気がする」
「それは、マウアーが変な顔をするから、あまり女の人に近づけなかっただけだよ。後々問い詰められるんだ」
あの人が好きなの? とか。やらしい目で見てた、とか。もう面倒くさくなって、女性に対して積極的に関わらなくなったのだ。
「なるほどね。やっぱり、あんた達は一度距離を置いて正解だったのかもね」
サラサは懐かしそうに言った。サラサはアサと違い、マウアーの良いところだけではなく悪いところもしっかりと理解してくれている。マウアーにとって必要なことを、しっかりと伝えることが出来る数少ない人かもしれない。
「そういえばさ、一つ謝らなきゃならないことがあるんだ」
「え?」
「旦那が死んじゃったって、あれ嘘なの」
サラサは気まずそうに笑う。死んでいない、ということはつまり、どこかに居るということだ。
「……旦那は今何をしてるんだ?」
「さあ。逃げてきたからね」
「何でそんな嘘を?」
「うーん。人に騙されないようにってあんた達に偉そうなことを言っていたくせに、みっともない男と結婚してたことを知られるのが嫌だったってのはあるかも。結局、私も人を見る目が無かったんだわ。そんな女って思われるよりは、旦那を失ったかわいそうな女ってほうが良いかなって。見栄っ張りよね」
大して違わないように思うのだけれど、サラサとすれば、それは重要なことだったのかもしれない。サラサはずっと、タークとマウアーにとって頼りになる姉のような存在で居てくれて、今もそれを続けてくれていたのだ。
「でも、タークがあまりにも私に優しくしてくれるもんだから、罪悪感を持っちゃった。かわいそうな女じゃなくて、ただ見る目が無い女だって正体をばらしたくなった」
「別にどっちでも良いだろう。サラサさんはサラサさんだ」
タークは、旦那を失ったサラサがかわいそうでここに滞在したわけではない。ただ、サラサが一人で出産を待っているという状況が嫌だっただけだった。タークは照れ隠しにコーヒーを飲んだ。
「やっぱり優しくなったね、タークは」
サラサはそう言って頭を撫でてくる。予想外の動きに、タークは顔を赤くし、手が不安定になってコーヒーをこぼしそうになる。
「あら、顔真っ赤。本当にうぶなのね」
「……やかましい」
うぶ、と言われるのは本当に嫌だ。大賢者と言われた男が、こんなことに動揺しているなんて知られたくない。サラサ以外には。
「ターク」
サラサは撫でていた手を離した。サラサの顔も少し赤い。
「モンスターを退治し終わったらさ、もう行っていいよ。目的があるんでしょ?」
「いや、目的自体は大したことは無いよ」
勇者に自分の居場所を教えないでください、の旅だ。タークにとっては大事なことだが、それを大した目的と言っては恥だと思われる。
「このままタークが居たら、タークが居ることが当たり前になっちゃいそう。私はどのみち一人であの子を育てるんだから、慣れないとね」
そう言うサラサは少し寂しそうな表情を浮かべる。それに対して、タークは大したことを言ってあげることが出来そうにない。
「一人じゃないさ。常に誰かを頼るべきだよ。僕も含めて」
「じゃあ、タークが私と結婚してくれる?」
「な!?」
またタークは顔を赤くする。言えなかった大したことは、サラサの口から軽々しく発せられたのだ。言ったサラサは、クスクスと笑い出した。
「冗談よ冗談。そんな可愛い顔しないでよ」
そんなことを言われても。ここに来て、ララが生まれて、もう何度も考えたのだ。サラサとここでずっと暮らすような未来は幸せではないかと。ある種の妄想のようなものを、結婚という形で描いたのだ。
しかし、それはすぐにマウアーに邪魔される。全く、恐ろしい存在である。
「……まあ、いつかは出て行くと思う。でも、また来るよ」
「そうね。また来てくれたら、それだけで嬉しいわ」
タークに、新しい戻ってくる場所が出来た。しかも、そこには待っている人まで居る。サラサに会うのは嬉しいが、ララに会いに来るのは少し考えものかもしれない。だって、下手をすると本当に『パパ』にされてしまいそうだから。




