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遊者、修羅場を潜り抜ける

 タークは基本的に凝り性だった。ケインの町ではガラス工芸に凝っていたし、面白いものにはどっぷりとつかるほうだ。

 思えば、ヨミに魔法を教えていたのもそういう要素が大きかった。見る見るうちに上達していく姿に、タークも熱心になっていった。すぐに結果が出るという物事には、終始熱中してしまう。自分自身の魔法もそうだったかも知れない。必要であるからこそ、行き過ぎるところまで行き、大賢者と呼ばれるほどの域に達したのだ


 オウカンの町に滞在していたタークに、また熱中するものが出来た。それは、アイラの魔法訓練だ。

「結界を二重にも三重にも張る。防御の役割だけじゃなく、敵の動きを捕らえることにも結界を使うんだ」

「はい!」

 アイラは教えたことをどんどん飲み込んでいっている。さすがは魔法使いの町の町長の娘。持っている魔力の高さも言うこと無しで、これなら、将来大魔道士と呼ばれる存在になっても何らおかしくは無い。

 タークは、ヨミに魔法を教えていたときのことを思い出していた。ヨミも、こんな感じに魔法をどんどん覚えていくので、面白がって魔法を教え続けた。その結果が今なのだ。

 これは、自身の教え方の上手さにも注目せざるを得ない。二人の大魔道士を作り上げた名トレーナー。良い感じではないだろうか。

「……結界は奥が深いですね。攻撃魔法が全てだと思っていましたけど、自身を守りつつも相手を完封するというような結界の有用さは、それを勝っていると言えるかもしれません」

「うん。僕もそう思う。あの勇者でさえ、結界で数日封じ込むことが出来た。場所も選ばないし、結界さえ習熟すれば、どんな相手とでも戦うことが出来るよ」

「勇者様と!? タークさんは勇者様と戦ったのですか?」

 勇者と旅をしていたということと、勇者と戦ったということはノットイコールだ。しかし、タークはそれをしていた。もっとも、戦ったという言葉は正確ではない。正確には、逃げた、のだ。

「ま、まあね。もちろん、退治しようとしたわけではないけど」

「さすがタークさんです。あの名高い勇者様相手に戦いを挑むなんて……」

 挑んでないけどね。ある意味では挑まれたということになるので。

「それにしても、アイラは飲み込みが早いね。素質の塊だよ」

 あまり勇者方面に話題がいかれても困るので、ここは話を変えることにした。アイラは少し顔を赤くする。

「いえ、そんな……。タークさんの教え方が上手だからです」

「アイラの飲み込みが早いから、教えるこっちもノリノリになるんだよ」

「タークさんは凄いです。実は、魔法ってどうもつかみどころが無くて……。魔法をこんなにも理解しているのは、タークさんだけではないでしょうか」

 そうかな? アイラは褒めるのが上手い。あまり嘘をつけそうに見えないだけに、心から褒められているような気がするのがポイントだろう。

 それにしても、本当に上手ならば、いっそ学校でも開いてみようかしら。オウカンでは大した仕事をしていない。町に結界を張るという作業でお金を貰えるが、この町にはそれを出来る人が山ほど居るものだから、どうしてもそれ専業というのは難しい。暇を持て余したあげくにアイラへのコーチを始めたのだが、食事さえいただけたら、何て軽い契約だったので、仕事と言えそうに無い。

 ここは魔法使いの町。それなら、魔法学校的なものでも作ることが出来れば、かなりの収入になるのではないだろうか。あの魔王を倒した(旅に参加した)大賢者タークに学ぶ魔法学。謳い文句としても申し分ない。

 しかしだ。

 アイラのような飲み込みの早い人間なら大丈夫だが、みんながそうではない。どれだけ覚えが悪かろうが、どれだけ魔力が少なかろうが、金を取っている以上、教師には平等に教えるという義務が課せられる。タークは気分屋だ。覚えの悪い子には、はーいあっちでしてようねー、などと投げ出してしまうかもしれない。それが例え個人差においての得策だとしても、それを悪く取る者も居るだろう。当然、そうなると子は親に告げ口し、その恨みは親からタークへと告げられる。

 モンスターペアレント。

 モンスターよりも恐ろしいらしい彼女らに、タークが勝てる見込みはあるのだろうか。


 うちの子に適当なんじゃない、お金払ってんのよ。あの子らよりも、うちの子が劣ってるって言うの?

 いえ、決してそんなことは。ただその子のペースがありますから。

 あんた大賢者でしょう? 大賢者って言うんなら、どの子も同じように上達させることだって出来るでしょうが。

 いえいえ、個人差がありますので。

 差別よ。可愛い子ばかりに熱心に教えるなんて。

 いえいえいえ、進行度によって教え方を変えている、単なる区別でございます。

 それが差別って言うのよ!!

 ふええん。


 ああ、やっぱり駄目だ。勝てそうに無い。古代から存在するモンスター、モンスターペアレント。モンスターがこの世に存在する以前からモンスターと呼ばれている、元祖モンスターと言える彼女達に、何を言っても通用するまい。

 ミーシャにコーチ代を要求するわけにもいかないし、やっぱりこれを職業とするのは厳しいだろう。タークはため息をついた。

「どうしました?」

「いや、何でもないよ」

 まあ、趣味でも良い。アイラに教えるのが楽しいのは確かだった。


 修行は、オウカンから転移石を使ってアルハイムという町へと移動し、その周辺の山で行っていた。それはもちろん、オウカンの結界の外に出たくないからだ。

「そういえば、アイラって何歳なんだ?」

 修行終わり、転移石のある店へと向かっている最中にそんなことを切り出してみた。タークは、女の子に年齢を聞くと死ぬことになる、とマウアーに教え込まれていたので、あまり積極的に女性に年齢を聞くことが出来なかったのだ。大人っぽく見えるアイラは、恐らく十八くらいでは無かろうか。表情が幼い感じがするので、かなり若く推測してみた。

「十二になりました」

「十二か……ふうん、十二……十二!?」

 十二歳。大体の地域で義務教育の期間になっている年齢だ。アイラがまだ義務教育を受けている年齢だなんて、誰が思うだろうか。タークよりも少し低いくらいの身長、ヨミよりもしっかりと胸がある。ちゃんと敬語で話してくるし、タークがしっかりと女性だと認識するぐらいの年齢ではあるのだと思っていた。

「お、大人っぽく見えるね」

 十二歳でこの胸。反則である。女性として意識していただけに、年齢を聞くと妙な罪悪感が生まれていた。

「あ、ありがとうございます……」

 アイラは身を少し屈める。ひょっとすると、胸に目がいっていたことに気づかれたのかもしれない。より罪悪感。

「おほんっ。それにしても、その歳でこの腕前なら、将来は大魔道士かも知れないね」

「そ、そんなことは……。私なんてまだまだです」

 謙遜する十二歳。見た目も中身も大人、こんなもの分かるはずがない。いっそ、年齢のことは置いておいて、ちゃんと大人の女性としてみたほうが正しいくらいだろう。

 アイラを見ていると、どうしてもヨミのことが思い出される。こうやって魔法を教えることがヨミ以来だし、年齢と見た目がヨミと逆だし、比較するのも仕方が無いものだ。どちらが、将来的に優秀な魔法使いであると言えるだろうか。まあ、現時点で大魔道士と呼べるヨミが今のところは抜けているけれど。

 不意に、そのヨミの魔力を感じたような気がした。いや、気がするというものではない。これは、ヨミの魔力だ。

「どうしましたか?」

「いや、友人がだな……」

 ヨミとお揃いでお互いの場所を把握出来る"双子の石"は家に置いてきている。しかし、ここまで近づけば魔力によってここにたどり着くことが出来るだろう。ヨミは、ゆっくりとこちらへと近づいてきており、間もなく、合流する。

「タークさん!」

 現れたのは、アイラよりもかなり若く見える女の子だ。その正体は大魔道士、ヨミその人だった。

「ヨミか。どうしてここに?」

「タークさんに会いたくて、探してたんです。せっかく双子の石があるのに、どうやって行くのか分からなくて困り果ててましたよ。でも、この町なら転移手段があると聞いて訪れたのですが、上手く会うことが出来ました」

 ヨミはにっこりと笑う。探させたというなら、悪いことをしたものだ。

「僕に何か用かい?」

「はい。……ええっと、そちらの方は?」

 アイラは、少し離れた位置からボケッとタークとヨミのことを眺めていた。基本的に人見知りなのだろう、こちらに話しかけようとはしてこなかった。

「アイラ、こっちへおいで」

 タークが呼びかけると、そろっとこちらへ近づき、ヨミへと頭を下げた。

「アイラは……何というか、ヨミの妹弟子ってところかな」

 ヨミとアイラは、同じような顔をしてタークのことを見つめる。何か変なことを言っただろうか。

「弟子!? タークさん、お弟子さんを取り始めたのですか!?」

 ヨミは心底驚いたように言う。

「そんなに驚くことか? ヨミだって言ってみればそうだろう?」

「弟子……タークさんの弟子……」

 一方、アイラは少し顔を赤くしながら言った。そんな反応をされると、こっちが照れてしまう。タークは咳払いを一つ入れる。

「まあ、こんなところじゃなんだし、とりあえずオウカンの我が家まで行こうか」

 そう提案すると、二人は小さく返事をした。


 道中、二人の会話は無かった。どっちかと話すのも何なので、初対面の二人で話してはどうだろうかとタークは一人先頭を歩いたのだが、二人の会話が始まる気配が無い。ヨミが何かと話しかけるだろうと踏んでいたのだが、どうもそうはいかないようだ。

 結局、そのままタークの家に着いた。さっそくとばかりに、アイラはお茶を入れに台所へと向かう。

「へぇ……慣れてるんですね」

 あれ? なんだか怖いぞ。ヨミから勇者臭が漂っている。

「アイラはこの町の町長の娘さんで、色々世話になってるんだ」

「へえ」

 重い空気の中、ヨミを対面の椅子へと座らせる。そこへ、アイラはお茶を二人分出してくれた。

「では、私は席を外します。ごゆっくり」

 そう言って、アイラは部屋を出て行った。その対応は、まるでタークと同居しているかのように見えなくも無い。

 アイラが出て行くまでの間、ヨミは黙ったままだった。そして、部屋を出てドアを閉めるのを確認すると、堰を切ったように話しかけてきた。 

「タークさん! どういうことですか!? あの人とはどういうご関係ですか!?」

「ど、どうしたんだヨミ!? 落ち着いて落ち着いて……」

 うー、と唸りながらも、何とかヨミは気を静めていく。怒り方自体は、ヨミの外見もあってか可愛いものだったので、タークにもまだ余裕がある。

「どういうご関係も何も、本当に色々と世話になってるだけなんだ。ほら、魔法を教えてるわけだからさ、そのお礼ってことで家事の手伝いをしてくれるんだよ」

「……それは、お弟子さんとしてってことですか?」

「そうそう」

 別にそういうことではなかったのだが、この際そういうことにしておく。アイラの善意とか言うと、また変な誤解をされそうだったからだ。

「それよりも、僕を探してたんだろう? どうしたんだ?」

 タークは無理やり本題へと話を振っていく。ヨミは大きなため息の後、スッと息を吸い込んでから言った。

「……では、単刀直入に用件を言います。タークさん、勇者様と会ってくださいませんか?」

 ガタンと音をたて、タークは立ち上がった。そして、事前にすぐに移動できるようにと大事な物だけまとめてある袋を持ち、ドアのほうへと向かっていく。

「ま、待ってください! 無言で出て行こうとしないでください!」

 ヨミは大急ぎでタークに近寄り、服を掴んだ。

「ヨミはマウアーと会って、それで僕を連れてきてって言われた。違う?」

「ち、違わないですけど……。とりあえず話を聞いてください!」

 タークはもうすでに「さあ転居だ」という気分になっていた。双子の石を捨て、また知らない場所に一人で行くという覚悟を一瞬で決めかけていた。

「もう駄目だ……。ヨミにまで裏切られるなんて……もう誰も信じられない……」

「う、裏切るだなんて! そ、そんなこと……」

 そう言うヨミの表情があまりにも悲しそうだったので、タークは我に返る。タークの保護者的視点により、ヨミのこういった表情を見るのはなかなか辛いものがあったのだ。

「言ってないです。タークさんの居場所を私が知っていること。ですので、その……」

「わ、わかったよ。とりあえず、話を聞こう」

 そうして、また二人は席に着いた。だんまりの中、タークはヨミが話し始めるのを待つ。

「勇者様、タークさんのことを必死に探しておられました。たまたま居た町に通信が来たので、その場でお話したのですが、タークさんのことばかり。それで、近くにおられたということもあって、久しぶりに勇者様とお会いしました」

 例の最高の捜査機関。ヨミはその一味として組み込まれていたということだ。タークは話に水を差すまいと、今そこにどうこう言うことはやめておいた。

「勇者様は元気が無く、少し痩せたように見えました。タークさんが居なくなったことに心を痛めていました。嫌われちゃった、何ヶ月も話してない、もう会えないかも知れない、と。色々事情はあるのかも知れませんが、何事も、とりあえず一度話してみてはどうでしょうか?」

 マウアーが弱っている、というのなら、タークとしても心苦しいところがある。一応、勇者であるマウアーのためにとタークがここまで強くなったのも事実だ。そこにタークの恋心が含んでいたのも事実。あの頃は純粋だったと懐かしくなる。

 それでも、もうあの頃の気持ちは取り戻せそうに無い。もはやあの頃恋していたのも、恐怖によるつり橋効果だったのではないかと思えるくらいだから。

「あのさ、僕はこれでもマウアーとちょくちょく話してはいるんだよ」

「え? でも、勇者様は話していないと言っていましたけど」

「それが、マウアーの怖いところなんだ。いいかい、ヨミ。マウアーは勇敢で最強の勇者であるが、かなり天然の女性でもある。あ、そういえば通信して話してたわ、という天然ボケな発言を平気でする。会ってないのは事実だけど、ちゃんと距離を取っている理由とかそういうことは伝えてある。すれ違っているなんてことは全く無い。こっちはちゃんとマウアーのことを理解して、避けているんだ」

 殺されかける恐怖と、ずっと奴隷として働き続ける恐怖。タークはあくまでも、それから逃げているだけなのだ。

「だ、だとしても。会って話してみるだけでも違うと思いますよ」

「会ったら終わりだ。もう逃げることは出来ない。その時点で、僕はもう死んだも同然になる。」

 前回は、一緒に寝る、という隙を見せてきたから逃げることが出来た。しかし、今度はマウアーだって油断しないだろう。何が何でもタークを逃がさない、という執念を最強の勇者が実行する。もう絶対に逃げることなど出来ない。

「タークさんは勇者様のことを何だと思っているんですか!?」

 もはや魔王。さすがにそれは言わないでおいた。

「とにかく、会うことは出来ない。会話ならたまにしている。これ以上のことはしないよ。ヨミも、適当にはぐらかせばいいよ」

「それは出来ません!」

 ヨミは真っ直ぐにタークを見る。が、少し顔を赤くすると、視線を下げてしまった。

「駄目ですよ。勇者様だって女の子です。将来を決めたはずの相手と離れたら辛いですよ。それにタークさんだって年頃の男性。他の女性との浮気を疑うのも、女性としては当然のことじゃないですか。現に、アイラさんのような綺麗な女性と親しいようですし……」

 勇者に、というよりも女心に共感を抱いているらしいヨミは、どうやら色々な誤解をしている。どうしたものか。

「ヨミ、まず誤解があるらしいが、僕とマウアーは別に将来を決めている関係ではない。ただの仲間。良くて幼なじみ。それ以上ではない」

「タークさん、それは酷いですよ。勇者様はずっとおっしゃってましたよ。タークさんとは婚約しているって」

「それ、嘘だから。妄想だから」

 怖い。タークは震える。

「そんなことしてない。マウアーの妄言だよ。恐ろしい」

「でも! 旅の途中からおっしゃってたんですよ? 幼い頃に言われたとか」

「幼い頃って……」

 幼いとは、旅に出るよりもずっと以前のことだろうか。だとすれば、言っている可能性は無くもない。

 そういえば、親に言われたことがある。

 タークはマウアーちゃんのことが本当に好きなのね。マウアーちゃん言ってたわよ、魔王を一緒に倒した後結婚しようって言われたって。マウアーちゃんも満更じゃなさそうだったわよ。

 ……まさか。いやいや、幼い頃も幼い頃だ。恐らく片手で数えることが出来るくらいの年の頃だろう。しかもそんな死亡フラグ的な文句。これを婚約だと取るなんてありえないことだ。

「マウアーは何歳の頃とか言ってた?」

「いえ。……親の了解も得ているなんて言っておられたので、きっとお二人が旅に出る前なのでしょうけれど、そのくらいとしか」

「ヨミさんや」

「何ですか?」

「ヨミは五歳くらいの頃に、同い年くらいの子に結婚しようって言われていたとしたら、将来絶対にその子と結婚する?」

「うーん、絶対とは言い切れませんね。今現在で決めるほうが誠実かと」

「だよね。じゃあ、やっぱり無効で大丈夫だ」

 ヨミの審判も下り、タークは婚約の危機からは免れることが出来そうだった。ヨミはハッとしたような顔をする。

「あ、違います! えっと……相手が勇者様なら、話が別です」

「いやいや、その相手が一般人の僕なんだから、そこは一般ルール適用で良いだろう」

「勇者様がした約束は絶対なんです! それに、タークさんは一般人ではありません。勇者に仕えた伝説の大賢者。語り継がれるような存在ですよ」

 その割りに勇者と差があるのは何故だろう。タークの性格の問題なのか。それとも、あくまで勇者よりは下だからこその扱いなのか。じゃあ一般人として扱ってくれても良さそうなものなのに、そうもいかない。理不尽なものである。

「それに……そうだ、あれは僕が勝手に言ったこと。マウアーからの返事も無かった。その後返事が来る前に僕がキャンセルしてるから、この契約は無効だ。間違いない」

「契約の問題じゃないんですよ! 勇者様がタークさんを必要としているから言っているわけで……」

 どうも話が平行線のようだ。ここは、タークもマウアーと同様に情に訴える方向で行こうと考えた。

「じゃあさ、僕は絶対に勇者と結婚するしか生きることが許されないの? 仮に、他に好きな人とか出来たとしても、それは許されないことになるのか?」

 タークはいたって真面目な顔をして言った。それには、ヨミの表情も少し陰ってしまう。

「……タークさんには、そういう方がおられるのですか?」

「仮に、だよ。僕がこれからマウアーと一緒にしか生きられないというのは、僕にとって辛いことなんだ」

 タークがいかにも辛そうな顔で言うと、ヨミは俯いてしまった。ヨミは良い子だから、きっとこちらの気持ちにも共感してくれるはず。マウアーにだって、その手を使われたからこそタークを探しに来たのだろうから。

「タークさんは、勇者様のことをお好きではないのですか? 勇者様が他の男性と結婚されても嫌ではないのですか?」

「マウアーのことは好きだよ。でも、他の男と結婚するのは普通のことだ」

 タークは間髪を入れずに答えた。言ってて思う。タークは、マウアーを妹のように思っているということを。

「好きの種類が違うんだな。僕はマウアーのことが好きだよ。だからこそ、マウアーに僕が居なくてもしっかりと生きてもらいたいんだ」

「タークさんが居なくても……」

 やっともっともらしい意見を返せたような気がする。ヨミも、これには納得しているように思う。

「そう。だから、マウアーのお願いを聞くのは、マウアーのためにならないんだ。ヨミは分かってくれたかな?」

「何となく……。大賢者であるタークさんが居なくても、尊厳を保ち続けることが出来るというのが真の勇者、という考えことですよね」

「そう。その通り」

 今ヨミに言われてそう思った。そう、それこそが真の勇者であり、そのために獅子の子落としをしている。そういうことにしておこう。

「すみません……。タークさんのお気持ちを全然考えていませんでした」

「気にしなくていいよ。マウアーだって辛いんだろう。同じ女の子なら、マウアーの味方をするのもわかるさ」

「……それでも、私はタークさんの味方をするべきです。私はタークさんの一番弟子なんですから」

「ヨミは僕の居場所を言わないでおいてくれたんだろう? 十分味方になってくれてるじゃないか」

 ヨミは辛そうな表情をして小さく微笑んだ。

「勇者様に悪いと思ったのですが、タークさんとの約束を破ることも許されなかったんです」

「板ばさみにして悪かったね。マウアーのことはそっとしておいてあげてくれ」

「はい……」

 タークはホッと息を吐いた。ヨミまで敵に回したら、間違いなく逃げ切れなくなってしまう。ヨミは味方。それだけでも大きいのだ。

「……そういえば、もうケインには帰っていらっしゃらないんですね」

「うん。オウカンのほうが隠れ家としてはもってこいだったからね」

 サイに騙されたことは伏せておこう。なさけないので。

「そうですか。あの辺りにタークさんが住んでいる噂があったようで、つい先日勇者様が訪れたようですよ。それで、いつの間にか引っ越してたんだなぁって思って」

「へ、へえ……」

 サイに騙されて良かったらしい。この包囲網の中では、南のほうの町だと簡単に絞れてしまうのかもしれない。危ないところだった。

「実は、オウカンというか、北の辺境に住んでいるという噂もあるにはあるんですよ」

「う、うわさ?」

 な、何だと……。タークは耳を疑う。

「はい。凄い魔力を持った人が北の町に居たって噂があって、それがタークさんじゃないかと。でも、タークさんが寒いところに行くわけ無いんじゃないかって勇者様はその噂を後回しにしていました」

 さらっと言ったことに、とんでもなく恐ろしい情報が盛り込まれていた。ちゃんと抑えているはずなのに、タークの魔力は誰かに気づかれていて、それをマウアーに回されていた。恐らくは元勇者一行の誰かだろう。マウアーのボーンヘッドで後回しにはされたようだが、後回しということは結局回ってくるということである。つまり、いつかはここに来るということ。

「……ひょっとして、元勇者一行にいちいち僕の情報を回すなって言って回らないと駄目なのかな?」

「そうですね……。善意でしている方ばかりでしょうから、タークさんの理由を言えば控えてくれる人は居るかもしれませんね。ただ、勇者様を信仰している方もいらっしゃるので」

「下手に会いに行くと、その時点で危ないということか」

 絶望。何かと大事になっていることも含め、改めて勇者に追われる身ということに恐ろしさを感じる。

「わ、私は出来る限りタークさんの事情を他の方に伝えますので、そんな何の希望も無いような顔をしないでください!」

「……いや、いいよ。ヨミが僕の味方だと知られると、ヨミの命が危ないかもしれない。僕のためにヨミが危険な目にあわせるわけにはいかない」

「タークさんは別に勇者様と敵対してるわけじゃないですって!」

 確かに敵対はしていないのだろう。しかし、出会ったら殺されるような気もしているので、敵というのもあながち間違ってもいない。

「オウカン、出ようかな……」

「それは……そのほうが良いかも知れませんね」

 オウカンもまた持ち家の一つとし、別のところを探すか。隠れ家としてはもってこいな場所だし、警戒されている期間を除けばここは安全なはずだ。しばらく離れてから、また戻ってくるということも考えておこう。

「ま、待ってください!」

 その時、急にドアが開いた。声をあげたアイラは、ドアの向こうで聞いていたらしい。

「アイラ、聞いていたのか?」

「盗み聞きして申し訳ありません。タークさん、オウカンを出られるのですか?」

 アイラの目は真剣だった。少し、潤んできているように見える。

「えっと、そうだね。まあ、また戻ってくるさ」

「すぐに戻ってきてくださいますか?」

「すぐかはわからないけど、ほとぼりが冷めるころには戻ってくるよ」

「え? タークさんはここにずっと暮らすつもりなんですか?」

 今度はヨミが声をあげる。何となく、嫌な予感がした。

「まあ隠れ家にはもってこいだから――」

「タークさんにはオウカンに定住してもらいたいと考えています」

 アイラが被せるように答える。すると、ヨミも少しムッと表情を引き締める。まあ、それも子供っぽい顔なのだが。

「あの、アイラさんはタークさんとどのようなご関係なのでしょうか?」

 ヨミは一度タークにした質問を、今度はアイラにした。タークの答えじゃ満足していなかったのか、アイラからの答えが必要だったのか。どちらにせよ、まずいかもしれない。

「さっきも言ったようにアイラは――」

「嫁にもらっていただきたいと思っています」

 またアイラはタークの言うことに被せる。タークはここではしゃべらせてもらえないらしい。というか、今なんて言ったのか。タークは思考停止する。

「よ、嫁!?」

 嫁にもらう。つまり、結婚ということだ。毎朝味噌スープを作ってくれるというあれである。確かに、最近洗濯とかしてくれたりと夫婦感のあることをしていたが、さすがにアイラがそんなことを考えていたのは思ってもみなかった。

「た、タークさん! どういうことですか!? 勇者様というものがありながら!」

 だから、マウアーとはそういう関係じゃないって。そう言いたいところだが、それよりもアイラの爆弾発言によってタークの頭はいっぱいになっていた。

「タークさんにはオウカンに永住してもらいたいので、ずっとお母さんと話していました。将来的に、私をもらっていただけないかと。不躾なことを言っているのは承知ですが、これは私の希望です。タークさんにずっと居てもらいたいので、そのためにはどうすれば良いかって……考えて……。その、タークさんを追いかけているという勇者様も、誰かと結婚すれば、もう諦めてくださるかもしれませんし、タークさんとしても悪くないと思うのですが……」

 アイラは話していくうちにどんどん紅潮していく。こんな美人による愛の告白のようなものに、不慣れなタークが対応出来るはずも無く、言葉が出てこない。タークまで顔を赤くする始末だ。

 しかし、冷静にならねばなるまい。相手は十二歳。大人っぽく見えても十二歳なのだ。

 それに、マウアーが諦めるようにも思えない。絶対に執着してくる。

「駄目です! タークさんには勇者様という人がいます!」

「タークさんは嫌がってます! それなのに強引なやり方……あなたもお弟子さんなら嫌じゃないのですか?」

「嫌も何も、勇者様だから私は納得したのに!」

 いつの間にか修羅場のようになっている中で、タークはうろたえる。どうも最初からピリピリしていたのが、ここに来てとうとうぶつかってしまっていた。その原因は、タークとマウアーのことという、なんとも申し訳ない状況だった。

「よ、ヨミはさっきマウアーと会わない理由に納得してたじゃないか。それは――」

「そういう問題じゃないんです! 将来的には勇者様と結婚して、ちゃんと子孫を残すのがタークさんの義務なんです!」

「あ、アイラもさ、その結婚は気が早いというか、そういう仲じゃないというか――」

「……すぐにとは思っていません。私も、タークさんに相応しい女性になるように努力します。だから、せめてまだオウカンに居てほしいのです」

 駄目だ、収拾がつかない。タークはいっそ逃げるということまで選択肢に入れる。二人ともバラバラで話すと良い子なのに、どうしてこうも喧嘩腰になってしまうのだろうか。

 ……いや、自分のせいか。タークは美少女が自分の取り合いをしているという事態に、ちょっとした優越感を持っていた。

「「タークさん!」」

「はい!?」

 いけない、ちょっとニヤニヤしてしまったところに、二人の厳しいつっこみが入る。二人の表情は真剣である。

「タークさんのお気持ちを聞かせてください。アイラさんのことをどう思っているのかを」

 ヨミが言った。アイラもその答えが聞きたいのか、黙ってタークをジッと見つめる。これは、真面目に答えなければならない。

 アイラをどう思っているのか。その答えは、それほど悩むものではない。

「……可愛い教え子だよ。恋愛対象とは思ってなかった。将来的なことはともかく、今はまだ無理だよ」

「それは……勇者様がいらっしゃるからですか?」

 アイラが言った。タークは首を横に振る。

「アイラがまだ子供だからだよ。アイラの気持ちだって変わるかもしれないだろう。まだ、何もかも早いんだ。ちょっと、今自分が言っていることを振り返って、冷静になってみよう」

 アイラは顔を赤くする。いや、元々赤かったのだが、タークが言ったことによってさらに赤くなってしまった。興奮していたことを恥じたのだろう。

 今度はヨミのほうを静めなければならない。これは簡単、多分一言で終わる。

「あと、ヨミ」

「はい」

「……アイラは十二歳だ」

「……は?」

 何馬鹿なことを言っているんだろう、という目をする。タークはヨミへ目でアイラのほうを見るように促すと、ヨミはその通りにアイラのほうを見た。

「はい。まだ結婚なんて遠い年齢だってわかってます。でも、タークさんが居るということは、私にとっても、オウカンにとっても嬉しいことなんです」

 ヨミはアイラの言っていることで、タークが嘘を言っていないということがわかったのだろう。ヨミにしては珍しいくらい渋い表情を見せ、叫んだ。

「えー!!?? 十二歳!?」

 まあ、仕方が無い。このリアクション一つとっても、ヨミのほうが若く見えるのだから。


 結局、タークは明日オウカンを離れるということになった。一時的な避難であり、少しすればオウカンに戻るとアイラに約束をした。その後、ヨミを送るために、転移石のある酒屋まで向かっていた。

「アイラさん、泣いてましたね」

 アイラは目を赤くして、小さく泣いた。泣き方まで大人っぽいというのはどういうことか。もっと、子供らしい表情を見せてくれないと不安になるというものだ。

「アイラはマウアーに対してヘイトを溜めているだろうね」

「それはタークさんのせいですよ。アイラさん、勇者様がタークさんのストーカーみたいに思ってましたよ。全く」

 だって、こんな追いかけ方をしているならそう思われても仕方が無いだろう。それは、マウアーの問題である。

「それにしても、今日のヨミはアイラに敵視しまくりだったね。妹弟子なんだから大切にしてやってよ」

「わ、わかってますよ。私はてっきり、タークさんのことを狙って弟子入りしたのかと思っていたので、ちょっと警戒していただけです。あんな純粋な子、邪険になんてしませんよ」

 だから最初から険悪だったらしい。その辺りも、年齢を聞けば納得したようだけれど。

「まあ、ヨミよりも何もかも年上っぽいから仕方ないのだろうけどね」

「ああっ! 言っちゃいけないことをいいましたね!」

 ヨミはポカポカとタークを叩く。これも子供っぽい。ヨミがすれば何でも子供っぽい動きに見える。

「タークさん、これからどうなさるんですか?」

「うーん。とりあえず、可能な範囲で元仲間と会うべきなのかな」

 このままでは、ずっと忙しく移動し続けなければならない。マウアーに協力している元勇者一行。彼ら、もしくは彼女らに会って、事情を説明して回ることで、その状況から解放されることが望ましい。マウアーは忙しい人間だから、その情報網さえ切ればタークは落ち着くことが出来るはずなのだ。

 あくまでもマウアーにべったりな人間は避ける方向で。これさえ誤らなければ、きっとタークの居場所をマウアーに伝える人間は減るはずだった。

「私も、不都合の無いラインには出来る限り伝えるようにします。今勇者様と交流がある方以外なら大丈夫だと思いますので」

「頼む。本当に切実だから」

 これが大賢者と呼ばれた男の末路ならば悲しすぎる。何とか、平和を取り戻したいところだった。


 酒屋の前に着くと、もう辺りは暗くなっていた。こんな夜道に一人で居させるべきではない見た目をしているが、ヨミは大魔道士だから大丈夫。アルハイムまで何の不安も無く送り出すことが出来る。

「タークさん」

 ヨミは改まったようにタークの名を呼んだ。

「何?」

「もし、本当に勇者様と結婚するつもりが無いとして、もし、アイラさんに異性としての魅力を感じたとしても――絶対にすぐに行動に出ないでくださいね」

 行動、というのはどの範囲なのだろうか。恋の段階か、あるいは結婚というもっと進んだ段階か。

「もし知らない間にそんなことになっていたとしたら……私は勇者様と共にタークさんの元に向かいますから」

 ヨミはにっこりと笑う。タークは戦慄する。

「お、脅すのか?」

「脅す気はありません。ただ、タークさんにはしっかりと理性的な大人の男性としてアイラさんと接してくださいという常識の問題を警告しているだけです」

 長々と言うので、何が言いたいのだかよくわからない部分はあるが、要するに脅迫だ。

「……よ、ヨミさん?」

「ではまたお会いしましょう」

 ヨミは酒屋へ向いて歩き出す。すると、すぐにまたタークのほうへと振り向いた。

「私だって……」

「どうした?」

「何でもないです!」

 そう言うと、ヨミは今度は走り出した。近づいてはいけない方向に勇者へ近づいているヨミに対し、タークは先行き不安になった。

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