遊者、女の子を家に上げる
タークはケインという町に住み着いていた。気候は温暖。季節によっては暑すぎるらしいが、今は住みやすい気温だった。川が流れていて水は足りているし、山も近い。資源という意味でも申し分ない場所だ。
仕事にもありつけた。特殊なガラスによる工芸が盛んな町らしく、その原料となる石を山へ仕入れに行くという仕事だ。モンスターの多い山なのだが、タークなら自由に動ける。それによって仕入れる量が多くなり、タークはすぐに歓迎され、あっさりと住居を確保した。さらにはガラス工芸の触りのところまで教わり、基本的な知識を身に付けていた。夜になると淡く輝きを持つというこの地方のガラスは、なかなか美しいものだ。これは、ここに訪れる人間は必ずお土産として買っていく名物だった。
いっそガラス職人にでもなろうかしら。
タークはそう思いながら、今日も山へと石の仕入れに向かおうとしていた。
「あら、タークさん。ごきげんよう。今日もお仕事かしら?」
ご近所のマダムである。小さな町なのに、この辺りは金持ちが多い。人当たりが良い人が多いし、本当に平和な町だ。ここにずっと住んで居たいという気持ちが、タークには存在していた。少し前までは。
「ども」
タークは簡単に挨拶をした。マダムはずっと同じ表情だ。今日どころか、この人は見るたびにずっと同じような笑顔で固まっている。
「タークさんも、そろそろ教祖様に洗礼して頂かないと危ないわよ。ゴケシム、ヒッポタン、アーバオクー。唱えていればみんな幸せ」
本当に、住民がもう少し普通ならば、ここに住んでも良いと思っていたのに。タークは引きつった笑みを浮かべながら「それはいずれ」と軽く流す。ある意味、本当に幸せなのかもしれないけれど、タークには受け入れがたい世界だ。新興宗教。こんな恵まれている地方の町にしては、都市として発展していないということで気づくべきだった。裕福な人が多いのも、それなりの事情があるのだろう。
以前、タークはすぐに移住することを考えていたが、別に急ぐほどではないという結論を出した。
それは、いくら地方の閉鎖的な宗教の町とは言えども、不都合なことがあればすぐに逃げ出せるほどの力を自身が持っているという自覚があるから出来るものだった。いざとなればどうにでもなる。ならば、気候的な住みやすさと収入を考慮して、ある段階まではここに住んでも良いのではないか。もちろん、住民が幸せそうにしているので、マウアーがあまり近づかないだろうということもその判断基準となった。
ゴケシム、ヒッポタン、アーバオクー。小さく唱えていれば、多分僕も幸せ。タークはそう思うことにした。
奇怪な町の中でマイペースに過ごしているうちに、一月ほどたった。平和だ。週一ほどで行われる変な会合に行くことさえクリアすれば、ここは本当に住みやすい町だった。
今ではたまに工房を借りて、食器なんかを自主制作している。ああ、こういう生き方もあるんだ。今まで野蛮な生き方をしていたのだと反省する。何が狩りだ、退治だ。魔王の居ない今、そんな生き方は時代遅れも甚だしい。これからは、手に職をつけなければならない。タークは芸術へと一歩足を踏み入れていた。
家は小さいものだった。タークは狭いところが好きだ。狭いところに一人で居ると、安心する性質なのだ。
家でのんびりしているときのことだった。不意に、強力な魔力を感じる。タークのような高ランクの魔法使いだと、ある程度の距離まで来ると、お互いの魔力を感じ合うことが出来る。いや、出来てしまう。
つまりは、マウアーが近づくと、お互いがその存在をすぐに確認出来てしまうのだ。
タークはすぐに移動出来るようにしながら、神経を研ぎ澄ませた。相手よりも先に、相手のことがわかるように。これは旅をしていた時から必要なスキルであり、近づいている"敵"の実力を予測しているのだ。今必要なのは、その対象がマウアーのみであることから、見知った魔力であるかを確認するだけで足りる。
しかし、それは杞憂だったようだ。魔力はマウアーほど恐ろしいものではない。確かに高等な魔法使いなのは間違いないだろうけれど、マウアーのものではなかった。そして、その魔力に対し、タークは覚えがあり、それもかなり好意的なものだった。
タークは気を少し緩め、外を窺った。そこに居たのは見知った顔で、真っ直ぐにこちらへ向かってきていた。
「やっぱりタークさん!」
魔道士ヨミ。男性の平均くらいの身長であるタークの胸までくらいの背丈と、丸っこく大きな目、肩で切りそろえられた艶のある髪は彼女を歳よりも若く印象付ける。白っぽいケープにベージュのキュロットパンツを履いているのが、またその幼さを助長させている。幼い外見とは裏腹に、五本の指に入るくらいの大魔道士である。真面目な人格者であり、一緒に旅をした仲間でもあった。
嬉しそうな顔をしてタークのほうへ向かってくる姿は、本当に子供のようだった。これにはさすがに、タークも照れてしまう。
「ヨミか。久しぶりだね」
「はい! また会えて嬉しいです! 勇者様もいらっしゃるんですか?」
タークは"勇者"という単語に身を震わせる。居たらこんなにのほほんとしてない。
「いや、マウアーはまだ旅をしてるよ。僕は隠居の身だから」
「ええっ!? ニコイチと言われた勇者様と大賢者タークさんが今は別行動しているんですか!? それは大事件ですね……」
ニコイチなんて言われていたのか。絶対死ぬときは僕が圧倒的に先だと思うのにな。タークは小さくぼやいた。
「もう最終目標は達成してるんだから、こんなもんだよ。上がってく?」
「あ、お邪魔でなければ」
タークはヨミを家へと招いた。そういえば、女の子を家に上げるのは初めてのことだ。意識すると少し緊張する。見た目は幼いけれど、ヨミは歳が二つほどしか違わない。それに何よりも可愛い。意識せざるを得ないほどの美少女だった。
「そこに座って」
タークは冷たい感じにそう言うが、内心は緊張していた。良いお茶は無いだろうか。客を招くという想定をしたことすら無かったから、当然そんなものは無い。せめて見た目だけでも、ということで、もらい物のガラスのコップにお茶を入れて出すことにした。
「ありがとうございます。あ、これはこの地方の名産のケインガラスですよね。凄く綺麗です」
よし、上々の反応である。タークは心の中でガッツポーズをしつつも、クールを装った。
「ヨミは旅を続けているのか?」
ヨミとは魔王討伐の旅の際、何度か別れと再会を繰り返した。そして、最後に魔王を倒した時も、一緒に居た仲間だった。
「そうですね。ちょっとした目的を持ちながらという感じです。タークさんのおかげで、一人でも難なく旅が出来てます」
そう言ってヨミはにっこりと笑う。ヨミに魔法を教えたのが他ならぬタークだった。タークは今よりもさらに小さかったヨミの資質を見抜き、魔法のいろはを教えた。あまりにも上達が早いものだから、タークも面白がってヨミを鍛えまくり、結果として、上から数えて指が足りるくらいの実力をつけたのだった。
「ヨミの素質と、あとは努力の成果だよ」
「いえ! タークさんが居なければ今の私は居ません! 私にとって、世界で一番尊敬する人はタークさんなんですよ」
何て可愛いんだ。タークはヨミがあまりにも眩しくて、目を細めてしまう。こんな子を邪な目で見ることは出来そうにない。そもそも、出会った頃のヨミは、二つしか違わないなどと思いもしないくらいに幼く、その頃の印象がどうしても抜けきらない。出会いと別れを繰り返すうちにヨミが成長するのを見ると、タークは親心として切ない気持ちになったものだ。もはやこの子はタークの娘も同然なのだ。守りたい、この笑顔。
「……えっと、ちょっとした目的ってのは何?」
タークは心の中の葛藤を悟られないように、あえてクールな雰囲気を維持したまま言った。世界で一番尊敬する人物が、自分を女性としてみるか子供として見るかで葛藤しているなんて思いもよらないだろう。
「私はモンスターに関しての知識を色々な人たちに広げていこうと思い、各地を周っています」
「モンスターの知識?」
「はい。生態とか、人間にとって危険かどうか。危険なモンスターでも、縄張りに入らなければ問題ないというモンスターも居ますし、そういう知識を入れておけば、モンスターの被害にあう人も減ると思うんです。それに、魔王の居ない今なら、人間に害の無いモンスターも居ますし、むしろ保護していくべきモンスターも存在していると考えています」
人々は、モンスターを全て危険な存在だと思っている。しかし実際は、全てが危険ではない。動物と大差無いものも居るし、環境にとって必要と思われるものも存在している。だからこそ、ヨミはそれの伝道師になろうと言うのだ。
眩しい。勇者から逃げ回って安全で快適な場所を探している誰かとは大違いだ。そんな自虐をしつつも、タークはヨミのモンスターに対しての思想が自身と近いものであることが嬉しかった。
「なら、僕も何か手伝えるかも知れない。今なら、魔法を使うことよりも、よっぽど自信があるジャンルだから」
「……私がこういうことをしようと思ったのも、タークさんがきっかけです。だから、タークさんに色々と協力してもらえたら、私は凄く嬉しいです」
「僕が?」
「はい。タークさんはよくモンスターを見ていましたよね? 弱点を探す目的のときもありましたけど、いつだったか、エイビスの巣に入って、生態を見る機会がありました。エイビスは魔王の手に下らない高ランクのモンスターで、ただ懸命に巣と中に居る子供を守っていて、こっちが攻撃しないと分かると、巣に入っても警戒することが無い。そんな優しいモンスターでした。覚えていらっしゃいますか?」
タークが自信で満ち溢れていた頃、タークはよくモンスターの巣に入っていった。もちろん大体のモンスターが、そうすると襲ってくる。それをただ結界で防御し、そのまま突っ切って生活の様子を見るのだ。すると、稀に襲ってこないモンスターも居る。それが高ランクと言われているモンスターであり、強さ故に魔王の手に下っていないのだと納得した。
確かに、ヨミを鍛えていた頃に、そんなことをさせたことがあった。魔力は十分に高いのに、いつも必死だったヨミに、モンスターを恐れないようにと色々した内の一つだ。
「覚えてるよ」
「あの時、モンスターに対して"怖い"って気持ちが少なくなりました。そして、私自身が力をつけていくうちに、怖さはもっと少なくなって、魔王が居なくなってからは、もう全く怖くなくなりました。そうなると、あの時のエイビスを思い出すんです。私たちと変わらない。ただ、自分の家族を守っている姿。とても神秘的なのに、とても身近に感じました。あの時、エイビスは私たちのことを、何故すんなりと通してくれたのかをずっと考えているのですが、きっと、敵ではないって思ってくれたんですよね。そういうモンスターも居る。なら、彼らを無闇に攻撃して、敵にするわけにはいかない。だからこそ、これは伝えなければならないと思ったのです」
立派に育ったものだ。いや、元々ヨミは見た目とは裏腹に、かなり成熟した思考を持っていた。ヨミの明確な意思と、その行動力には敬意を表したいところだ。
「私が強くなったのも、こういう考えが芽生えたのも、タークさんあってのことです。だからこそ、タークが力になってくれるのなら、本当に心強いです」
そう言われると、タークはまた照れてしまう。過大評価されるというのは、こそばゆいものだった。
「まあ、現場に出向くことはあまり期待しないでくれ。多分、僕の力はかなり落ちている」
ひょっとすると、もうヨミよりも実力は下かもしれない。それこそ、最近本気で魔力を使ったのは、勇者を山に封印しようとしたときだけだった。
「そんなことないですよ! 今でも昔と変わらないくらいの魔力を感じます。こうやって一緒に居ると、何だか魔王討伐の頃を思い出します。タークさんと居ると安心するんですよね」
この子、ひょっとして僕を口説いてるんじゃないのか。そう思えるくらい、ヨミはタークを信じきっている。いっそ、宗教でも開いてみようか。この町でノウハウを培うのも良いかもしれない。
「勇者様とタークさん。一緒に居ると、絶対負けないって、そう思えました」
そこで勇者の登場か。びくつくタークは、もはや勇者アレルギーと言ってもよかった。
「勇者様とは、もう旅をなさらないんですか?」
「ああ、金輪際、もう全くもって、可能性はゼロだよ」
タークが強く否定すると、ヨミは苦笑いといった表情を浮かべる。
「また、喧嘩でもしたんですか?」
また、って何だ、またって。喧嘩とは同程度の力を持ち合わせている者同士が行うことだ。勇者と喧嘩出来る人間など、この世には居ないのだ。
「いや、僕はもう、勇者と一緒には行かない。今勇者と居ると、僕は死んでしまうからね」
「そんな、タークさんなら大丈夫ですよ。タークさんが適わないほどの高ランクのモンスターに、勇者様が攻撃を仕掛けるとも思えませんし」
問題は、勇者本人なのだ。また愚痴になるから、もうそのことはいいだろう。やめておこう。
「とにかく行かないものは行かない。ヨミは、これからどこへ行くつもりなんだ?」
もう勇者の話はやめたい、とタークは話を変えた。
「コーエンのほうへ」
コーエン。そこは、モンスター討伐の依頼が集まる街だ。各地の依頼を、複数のギルドが管理している。ということは、
「本拠地じゃないか」
ヨミの目的と相反する考えを持った人間が多く住む街だ。強いモンスターが居れば、徒党を組んで討伐に備える。何としてもモンスターを狩ろうという人間が集まる場所だった。
「そうですね。そこで、不要な依頼について意見できれば良いなって思ってます」
聞く必要がある人間ばかりが居る、という意味では確かに適した街だ。しかし。
「あそこは、話が通じないやつばかりかもしれない」
残念ながら、彼らはモンスターから何かを守るためというよりも、自身の強さを確認するためにモンスターを狩っている。害の有無は関係ない。ヨミと会話がかみ合うとは到底思えなかった。
「そうでしょうか? きっと、話せば――」
「無理だね」
ばっさりと、ヨミの言うことを否定する。仕事と娯楽を一緒にしているようなやつらだ。強いことが一番の正義。彼らにとっては、モンスターを狩ること自体が生きがいなのだ。
「あそこに居るようなやつらは、そうしないと生きていけないと思っているやつらだ。だから、モンスター狩りを否定すれば、それが正論であろうとも反発するよ」
「……でも、街を襲うようなモンスターを退治するだけでも、必要な収入というのは得られるのではないでしょうか?」
「必要な収入だけを求めて狩りをするか? いつだってやつらは、一攫千金を求めているよ。強い相手と戦って得られるものために、自らを鍛えてるんだ。そうじゃないと、こんな危険なことを続けるもんか」
恐れられているモンスターを退治し、名誉と金を頂く。生き方としては、分からなくもない。ただ、巻き込まれたほうとしては迷惑な話だ。人であれ、モンスターであれ。
「……じゃあ、私のやろうとしていることは、無意味なのでしょうか?」
ヨミは俯き、だんだんと声が小さくなっていく。いや、ヨミに自信を無くすために言っているんじゃない、とタークは考えた。
「違うよ。ただ、ヨミはきっとやり方を知らないから」
「やり方、ですか?」
ヨミは顔を上げる。
「そう。ヨミはきっと、やつらを説得しようとするだろう。それも相手よりも下から。それじゃあ、ただの平和主義の子供の懇願だよ」
特にヨミが言えばそうなるだろう。それは言わないでおく。
「ヨミがすべきなのは、ヨミ自身がとても力のある人間だって相手に分からせることだ」
「それは、何故ですか?」
「やつらは強いことが正義なんだよ。例えば、やつらを口で説得できる人間が居るとすれば誰だ? それは間違いなく、勇者だろう。あいつが強いと言ったモンスターに挑む馬鹿は居ないし、あいつが触れるなと言ったものに触れる馬鹿も居ない。そういう世界に生きてるんだ。つまり、ヨミがあそこに居る人間の誰よりも強いってことを分からせることが出来るなら、説得も出来るだろうし、忠告も聞くだろう」
タークが言うと、ヨミは冗談に対して呆れるという風に笑った。
「誰よりも強い、なんて思えませんよ」
「実際、ヨミの上をいくのは、勇者くらいのものだろう。もっと自信を持って。その自信だけで、やつらを圧倒できるかも知れない。つまり、人間に対しても、モンスターに対してと同じように考えればいいんだ」
ヨミは驚いたような顔をする。
「結界を張って、相手の巣に入っていく……」
「魔力なり何なりと、自分の強さを見せて、相手の懐に入っていく。そのままだよ。そうすれば、誰もヨミに対して反抗なんてしないよ。それだけの力をヨミが持っているんだ」
ヨミは、また少し笑った。これでも、まだ納得は出来ないようだ。
「人に対しては、そこまで強気になれません」
「ヨミは、モンスターよりも人のほうが怖いんだ?」
ヨミは小さく頷く。分からないでもない。
「いいか、ヨミ。ヨミは優秀な人間だ。魔法だけではなくて、頭も良い。自分でしっかり物を考えられる人間だ。誰よりも、ヨミは正しいんだ。だから、もっと自信を持たなければならない。正しい人間こそが、自信を持つことが必要なんだ」
タークは、ある意味洗脳でもさせるように、ヨミに言い聞かせた。ヨミは少し顔を赤くしながらも、しっかり目を見て聞いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
少し冷静になる。こうやって褒めるというのは、何だか口説いているように見えなくもないかもしれない。オホンと咳払いを一つ入れる。
「どうしても子供っぽく見えるのだけは何とかしなければいけないかもしれないけど」
「……あっ! もう!」
頬を膨らませるその仕草は、尚更その子供っぽさを助長させる。例えるなら天使。こんなに悪の心を持たなさそうな見た目で、実力も兼ねているのなら、大体がヨミの手の内に出来そうなものだ。いっそヨミを教祖にして、自分が裏で操るというのはどうだろう。やめておこう。
「タークさんは、これからどうなさるんですか? ここにずっと住むんですか?」
ヨミはまだ顔を少し赤くしたまま、タークに質問した。
「ずっと住むことはないよ。寒くなるか、勇者が近づいてきたら移動する」
「……あの、本当に勇者様と喧嘩してないんですか?」
それは同じ力をうんぬんかんぬん。ただマウアーから逃げる必要があることをしたのは事実だが、喧嘩はしていない。
「僕とマウアーが一緒に居ないことがそんなにおかしいことか? 討伐が終わった今、一緒に居る必要なんてないんだよ。マウアーはずっと旅をするだろうし、僕は平和で気候の穏やかな場所を探す。それだけのことだよ。それに、さっき言ったように、マウアーと居ると、僕の命が危うい。この世界で唯一、僕が危ないと思う場所が、マウアーのそばなんだ」
タークにとっては、この世界にもう危険は少ない。その数少ない危険な場所が、マウアーのそばである以上、近づきたくないのは当然の話だ。
しかし、ヨミはそれを聞いて、ため息をついた。
「タークさんは、冗談が過ぎるときがあります。それじゃあまるで、勇者様自身が危ない人みたいじゃないですか」
「そういう意味だけど」
「……」
やっぱり、理解していなかったらしい。マウアーが危険な場所に行くから危ないのではなく、マウアー自体が危険な存在だという認識は、タークにしかないものなのだろう。
「絶対にそんなことありません! 勇者様が、タークさんの命を脅かすなんて!」
「マウアーにこんな一生物のキズをつけられたことがあるんだけど?」
タークは古傷を見せる。ヨミは、一瞬ひるんだ。
「……お戯れです。お二人の仲の良さですよ」
無茶苦茶な。この首のキズは、僕を一生暮らせるくらいの賠償金をもらっても良いレベルだぞ。マウアーが責任という言葉をたてについてきそうだから、謹んで遠慮はするけれども。
「仮にマウアーが僕を監禁して、そのまま生涯を終えさせられても? 仮に、僕の体の一部を切り落とし、大事そうに保存していたとしても?」
「か、仮にでしょう? そんな無茶苦茶な仮はありえませんよ!」
ありえそうなんだけどな。今度マウアーに捕まったら、このくらいのことはされそうな気がしているのだ。
「僕の見るマウアーと、みんなが見る勇者は違うんだ。僕は、マウアーが怖いんだ」
「もう……。本当は信じあっているくせに」
ヨミは呆れたような感じに言った。タークは文句を言おうと思ったが、少しその表情が悲しげに見えたのでやめた。いつからこんなに大人っぽい表情を見せるようになったのか。
「……じゃあタークさん。私が、また一緒に旅をしてくださいって言ったら、どうしますか?」
ヨミは、今度は真っ直ぐタークの目を見て言った。その透き通った瞳は、今のタークには痛みを感じるほどの輝きがあった。
ヨミと旅。可愛くて、真面目で、自分を慕ってくれる。乱暴じゃないし、剣を投げないし、紛争地帯に突っ込んでいかない。確かに、旅の相手としては申し分のない相手である。
しかし、冷静に考えなければならないことがある。それは、ヨミが女性、つまり勇者と同性であることだ。
「ヨミとは旅に行かない」
考えていたことを全てばっさりと捨て、一気に結論が出ると、それをすぐに言い放った。
「ヨミと旅をするわけにはいかない。これは、ヨミのためでもあるんだ」
目に見える。勇者が悪魔になるその顔が。マウアーを拒否してヨミと一緒に居るならば、マウアーの怒りはたちまち世界を揺るがすだろう。その矛先は当然タークにいく。間違いなく死ぬ。
そして、ヨミにも危険が及ぼすかもしれない。マウアーはターク以外の人間には善良であるはずだが、もしもということがある。間男ならぬ間女としてヨミを憎んだとしたら、マウアーの矛先はヨミへと行くという可能性が生まれるのだ。
しかし……これから女性関係を考える時に、常にマウアーからの危険を思考しなければならないのか。お先真っ暗である。
「……そうですよね」
ヨミは困ったような笑みを見せる。ヨミの顔を見ていると、少し胸が痛くなるが、これもヨミのためなのだ。
「でも、何かあったら僕を頼ってくれていい。僕がヨミの絶対的な味方なのは確かだから」
「タークさん……はいっ!」
ヨミは嬉しそうな笑顔を見せてくれる。タークは少し格好つけすぎていると自覚があるので、照れ隠しにゴホンと大きく咳払いをした。
「タークさん、これを」
見送りに外に出たタークは、ヨミに何かを手渡された。宝石のようだ。
「これは?」
「位置が分かるものです。これがあれば、お互いどこに居るのかが分かります」
対になっているようで、片方の石がある方向がわかるらしい。こんなものがあるのか、と感心する。ケインガラスの原料の石と同様に、魔力が宿っている石というのは世界各地に存在する。これは"双子の石"と言ったところか。
「持っててくれますか?」
「もちろんだ」
ヨミは、えへへ、と恥ずかしそうに笑う。ペアアイテムをやり取りするカップルのようで恥ずかしい。
「また会いに来ます」
「ああ、そうしてくれ。……そうだ、ヨミ」
大事なことを言わなければならない。ヨミを疑うわけではないが、これだけは念を押さなければ。
「なんでしょう?」
「この石、絶対にマウアーには教えるなよ」
「……またまたー」
いえいえ、冗談でも何でもない。マウアーに教えたら、この石は木っ端微塵に砕いて、海にでも放流する勢いである。
「絶対だ。絶対は絶対だ。これをマウアーに渡したとき、ヨミは僕にとっての悪の軍団の一味に加わったのと同じになるからな! 命に関わることだから!」
必死なタークに、ヨミもさすがに真顔で頷いてくれた。これはどういう感情なのだろう。もはや気にしている余裕はない。
「会ったことも言っちゃ駄目だぞ! 絶対だ!」
ヨミの背中を見送りながら、タークは声をあげた。これは自分だけの問題ではない。ヨミと常に位置が分かる関係にあるなどとマウアーに知られてしまったら、ヨミがどう思われるのかも分からない。
タークは願う。
ヨミとマウアーが会いませんように。




