遊者と不気味な研究者
広がる青空の下、タークとアサは山を下っていた。見晴らしの良いところになると、山の麓に町があるのが見える。向こうには広い草原、そして大きな湖もあり、山も含めて大きな自然に囲まれた町だった。
「あ、ここはサーファスだな。来たことがあるよ」
「……」
タークの言葉に、アサからの返事はなかった。アサはずっと不機嫌そうな顔で隣を歩いている。
「……アサ、めちゃくちゃ可愛いよ、その耳。本当、誰もが飼いたくなるくらいに愛らしい感じ」
「かみつくぞ?」
褒めたつもりだったのに、また神経を逆なでしてしまったようだ。ちなみに、アサは怒りすぎて、午前のうちに疲れ果てている。
「……そういえばさ」
「どうした?」
「本当に、夜には犬になるの?」
アサは怒りと呆れが混ざった表情で聞いた。
「まあ、昨日はなってたような気がするかな。今晩はわからないけど」
「……これから、絶対タークはあたしよりも後に起きるんだぞ。そうじゃないと殺すから」
アサは顔を少し赤くしながら言った。
「なんで?」
「いいからそうして!!」
何に動揺しているのだろうか。タークは昨夜のことを思い出す。確かに、アサは犬になったわけだが、その姿はどこかぼんやりとしている。思えば、アサの犬姿をはっきりと見ていない気がする。かと言って、犬になったのは間違いない。姿をはっきりと見ていないのは、そのほとんどが衣服にくるまれていたからだった。
ん、その衣服は、犬になると当然、しっかりと体に密着しなくなるはずだ。そうなると、朝に元に戻ったとき、衣服はどんな風になっているのだろうか。ひょっとすると……。
「……服、どうなってた?」
「言うな!! あーもう!! 本当に早く戻してほしいぞ!!」
やっぱりかなり脱げていたようだ。タークは顔を赤くする。きっと、上よりも下の方が脱げていることだろう。そう思うと、確かに起きてすぐアサを見てはならないのは間違いなかった。
「わ、わかってるよ……」
何とか、早く戻す方法を見つけなければならない。アサをこのままにしてしまうと、間違いなくアサはマウアーに助けを求めるだろう。それによって、タークはマウアーから罰を受けることになる。イコール死である。
「あ、そうだ! サーファスにはあいつが居るんだよ!」
タークは思い出す。サーファスには、元仲間が住んでいるのだ。そして、そいつはなかなか頼りになる奴だった。
「あいつ? あたしが知ってる人?」
「いや、アサとは重なってないかな。物知りで、マイナーな魔法とかにも詳しいのが居るんだよ。ミリなら、呪術についても知ってるかもしれない」
ミリ。知識の豊富な女性で、それは魔法だけではなく、科学のジャンルにも精通している。陰気で不気味な女性だが、タークは彼女を結構気に入っていた。タークでも知らないことをいっぱい知っており、話すことに飽きない。そんな女性だった。
「あたしのこと戻せそうなのか?」
「ヒントは見つかるかもしれない。雲をつかむような状況からは脱することが出来るよ」
「……あたしを戻すの、そんなに苦労しそうなことなの……」
希望を与えたつもりだったのに、余計に不安にさせてしまったようだ。実際、全く手が無かったのは事実である。
サーファスは自然に囲まれた町なので、当然、モンスターの多い地域であり、町は結界によって守られている。つまり、魔法使いの多い町であった。
ただ、オウカンとは違い、人の行き来が激しい。多くの転移石が集まり、戦士たちがここを拠点にモンスター狩りに乗り出している。この辺りの商売は、訪れる戦士を対象にすることで成り立っており、ある種の観光地のような形をしていた。
そして、その戦士たちを利用する者もいる。魔法や非魔法武器などの研究者も多くここを訪れ、戦士たちに試用してもらっているのだ。そんな目的で住み着いているうちの一人が、ミリだった。
タークとアサは、ミリの家の前までやってきた。
「何か、汚い家だな……」
ミリの家は、アサの言う通りとても汚い。女性が住んでいるとは思えない家だ。家と言っても研究所兼用なので、何かと汚れやすいのかもしれない。外観は不気味の一言だった。
タークはノックをするが、中からの反応は一切なかった。ノックして待ってを三分ほど繰り返すが、それでも返事は来ない。
「留守なんじゃないか?」
「そんなわけないだろう。ミリが家から出ることなんてほとんどないよ」
「どんな奴なんだよ」
仕方ない。お家大好きな奴なのだ。まあ、それならもっとキレイにしろと言いたいところだが。
「鍵はかかってないし、勝手に入ろう」
「女の人の家なのにそんなことしちゃうのか……」
扉を開けると、広めの作業場のようになっている部屋に出迎えられる。汚い。そして、ここにはミリの姿がないようだ。タークは中をずかずかと進んでいく。
「不気味だぞ……下手なダンジョンよりも怖いぞ」
何せ、モンスターのホルマリン漬けなんかが不用意に置かれているところだ。何故か鳥類だけ机に等間隔に並べてあったり、一体ここで何していたんだと問いたいところだが、ミリのことだから特に意味が無いんじゃないかとも思う。ミリは、とにかく思い付きで行動するような奴であり、それが意外な発見につながったりするのである。
作業場の奥に扉がある。この奥も、小さな作業場になっている。きっとここだろうと、タークは扉をノックする。しかし、また返事が無い。
「ええい、開けてしまおう」
「お、怒られないのか?」
この段階で、すでにミリはアサに恐怖を与えている。部屋だけで恐怖を演出できる女。恐ろしいかぎりだ。
扉を開ける。そこは、一瞬地下なのかと思うほど、空気が滞った部屋だった。窓からの光は鎧戸によって完全に遮断されており、時間を全く感じさせない。長く汚い木の机が二つ並んでおり、片方は科学の器具が入っている木箱で占領されている。
もう片方の机には、何かの作業をしている女性が居た。とても小柄で、猫背なのでさらに小さく見える。丸く大きい眼鏡をかけており、いかにも研究者というような風貌をしているが、一応彼女も魔法使いの端くれである。ぼさぼさの髪の毛に汚い白衣。ちゃんとしたらそれなりに可愛い顔なのだが、タークでもほとんど見たことが無い。それほど、夢中になること以外には無頓着な女性だった。
「ミリ、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「……」
返事が無い。聞こえてないわけがない距離なのだが、全く反応を見せなかった。ひょっとすると、何か変な実験をして、耳がおかしくなってしまったのではないだろうか。タークは、今度は声の音量を上げた。
「ミリ! 久しぶりだな!」
「うるさいです。忙しいのでまた後にしてください。少しでも手が狂うと、みんな死にますよ」
「……はい」
どうやら、聞こえていたらしい。そして、かなり威圧的に怖いことを言われたことで、タークは弱気な返事をしてしまった。みんな死にますよ。あまりの衝撃に、タークとアサはお互いの服を掴みあっていた。
「……あれ、タークさんですか? いやぁ、久しぶりですねー」
やっと気づいたのか、ミリは顔を上げる。その行動に、二人はまた震え上がった。
「いや、いいから手元! 集中してくれ!」
「こんなことで死にたくないぞ!!」
いったいこの女は何をしているんだ。わからないことが一番の恐怖である。タークは念のために結界を張っている。それほど、ミリが本当にそれだけのことをしそうだということだ。
「あ、いけね。もうちょっとで終わりますからねー」
ミリは手を動かす。机の上には鳥を模したぬいぐるみが置かれている。おそらく、フクロウだろう。その内部はぬいぐるみにしては複雑な構造をしているようで、中には魔法石やゴム製の管などが入っている。ミリはそこにメスを入れる。いや、メスではない。似たような形だが、あれは細い管になっている。恐らく、魔力を緻密に注入する器具だ。ミリは器用にそれを扱っていく。
中の作業が終わると、内部が見えないように閉じられる。何となくもう安全なのではないかと、タークとアサはお互いの手を離した。
「これで完了です。では――」
そう言って、今度は外から魔力を注入し始める。光がぬいぐるみに注がれると、それはすぐに動きを見せ始めた。ピクリ、またピクリと小さく動くと、今度は急に立ち上がった。そして、なんと背中に付いている翼で空を飛び始めた。
「な――」
「何これ!?」
タークとアサは、驚きながらそれを見ている。ぬいぐるみが、翼を使って飛んでいる。どうやら、ミリが魔法で操っているわけではないようだ。これはいったいどういうことなのだろうかと、二人は呆然とする。
ミリは満足げな表情でそれを眺めている。そして、立ち上がって体を伸ばした。
「これで完了です。いやー、流石わたくしですね。ついに、空を飛ぶ生物を作り出してしまいました。イヒヒ」
不気味な「イヒヒ」という言葉。これはただ、彼女が笑っているだけのことだった。
「これ、生きてるのか?」
「はぁい。これは、ちゃんと命がありますよ。鳥の体内を精密に再現したのですが、羽には苦労しましたぁ。これをタークさんに最初に見てもらえるとは光栄です」
「そ、そりゃどうも」
ミリのような人間に一目置かれているのは悪くない。そして、これが凄いものであることは間違いない。タークはミリのこういう他の人と違うところを買っているのだ。
ただ、これによって何か変なことに巻き込まれたりしないだろうかと心配になるのも事実である。ミリが作り出すものは、毎回、善人よりも悪人に喜ばれやすいものだった。
「どうぞ」
ミリはそう言って、タークとアサの前に緑っぽい液体を置いた。彼女が差し出したコップは透明であるから、色が横からでもよくわかる。メモリのようなものが付いてあり、注ぎ口のようなものまである。変わったコップだった。
「これ、ビーカー……」
「言うな」
アサの言う通り、これは科学に用いる器具である。しかし、そのことをミリに指摘するつもりはない。ミリの家ではこれがコップなのだろう。タークはお茶をちびっと飲んで、少し喉を潤した。
「それで、何か御用ですか? あと、そちらは?」
「ああ、こいつはアサ。勇者一行。言ってみれば後輩だよ」
「どうも……」
アサは怯えながら挨拶をする。ミリがアサのことを上から下へと舐めるように見ると、アサはさらに怯えた。
「どうもどうも、ミリと申します。いやぁ、なかなかバランスの良い戦士様ですねぇ。剣士でも武道家でもなんでもこなせそうですねぇ」
ミリの目はなかなか鋭い。もっとも、そのなんでもこなせそうなところがアサの弱点になっているのだけれど。
「勇者様はご一緒ではないのですね。お会いしたかったのですが」
「ああ。とりあえず、勇者に僕が来たことや、僕がどこに行こうとしているかは絶対に言わないでくれ。僕の命に関わるので」
タークは、ついでとばかりに自分の用事を伝える。ミリを訪ねる予定はなかったのだが、会った以上は言っておきたいことだった。アサからは呆れたため息がこぼれる。
「タークさんの命に関わるのでしたら、出来ませんねぇ。イヒヒ」
ホッと一安心。これで、すべての要件が済んだような気分だ。ところで――。
「用ってのは……なんだっけ?」
「こらっ! これ!」
アサが自分の耳を指さした。良い毛並みをした耳。一瞬、それは当たり前だろうと思ったが、確かにそれが今の悩みだった。
「そうそう、ちょっと呪術のことについて聞きたくてさ」
「呪術ですか。……ほう、それが呪術によるものなんですね。イヒヒ」
物分かりが良いミリは、アサの耳を凝視した。アサは邪魔をしないようにとうつむく。
「呪術を含む魔術の類は、魔力があれば使うことが出来るというものではありませんからね。掛けることが出来る人間が珍しいので、当然、掛かる人間も珍しい。わたくしは呪術を使える者を一人しか知りませんが、こちらはいったい誰に掛けられたのですか?」
「どうやら、僕が掛けたらしい」
タークは正直にそう言った。すると、ミリは眼鏡の奥の目を輝かせる。
「本当ですか!? いやぁー、さすがタークさんです! 誰かから教わったのですか? 誰からですか?」
「いや、気付いたら出来てたというか――」
「自分で編み出したのですか!? いったいどのようにして!? 大賢者タークさんはやっぱり天才なのでは!?」
「そうかな?」
ミリはものすごく食いつきが良い。天才、なんて言われると、タークも少し良い気分になってくる。
しかし、アサには目いっぱいの目力で睨まれてしまった。すみません。
「そ、それで、掛けたは良いけど、解き方が分からなくてさ。ミリは呪術の解き方を知らないか?」
「解き方、ですか。存じ上げませんねぇ」
ミリの言葉に、アサは心底がっかりした顔を見せた。
「そんなぁ!?」
「確かに言えることは、タークさんがどうにかしなければならない、ということぐらいですかねぇ。イヒヒ」
ミリはさも愉快そうに言った。
「僕が?」
「呪術は、基本的には掛けた本人しか解けないのです。昔は解呪師なんかも居たらしいですが、今は聞かないですしねぇ。タークさんが解くか、タークさんが死ぬか、ですねぇ」
僕が解くか、死ぬか。当然、アサは後者に食いついた。
「タークが死んだら解けるの?」
「ええ。呪いとは、掛ける人の強い意志が大きく関わっていますからねぇ」
「へぇー。じゃあターク、死んで」
「こら、軽々しく言うな」
さすがに、いくら責任が重いと言ったって、死んであげるというわけにはいかない。そして、その情報はアサがマウアーを呼び出しそうになるから伝えないでほしかった。
「それにしても……アサさんでしたか、あなたは本当に獣耳と尻尾がお似合いですねぇ。タークさんが犬にしたかったのも理解できます。本当に、元々そうであったかのような感じです」
「ほら、僕の言う通りだっただろう?」
「だっただろう? じゃないわ! 似合えば良いってもんじゃないぞ!」
アサはまた怒っているが、タークにはある疑念が生まれていた。もしかして……元々そうであったものが何らかの形で封印されており、それをタークが解いただけなのではないか!? つまり、アサは元から獣耳だったんだ!!
もちろん、こんな冗談は言えない。今度こそ本当に殺されてしまう。タークは気を取り直して、話を戻す。
「……まあ、僕がどうにかするしかないのか。死ぬわけにもいかないから、何とか戻し方を調べなければならない。ミリ、その呪術が使える人を紹介してくれないか?」
ミリの知っている限りの唯一の人。その人物に頼るよりほかない。
「ええ。もちろんわたくしに出来る限りのことはさせていただきますが、何せ変わり者ですから、気を付けてくださいねぇ」
「変わり者?」
変わり者という言葉が変わり者の口から出るということは、よっぽどそういうことなのだろうか。アサも同じことを思ったのか、微妙に苦い顔をしている。
「はい。ようは、呪いをかける人ですからねぇ。普通の人には出来ない魔術ですから。イヒヒ」
また不気味な笑い方をする。暗にタークも変わり者扱いされてしまった。まあ、事実かもしれないけれど。
「……よろしく頼むよ」
呪術を使える人間を教えてもらえるだけでもありがたい。何とか無事に、アサを戻せると良いのだが。ふとアサを見ると、何かを目で追っていた。それは、さっきから木箱の縁を止まり木代わりにしている、フクロウ型のぬいぐるみだった。
「これって本当に生きてるの?」
「はぁい。体の表面は布で、中に少し綿が詰まっていますが、さらにその中には生命に必要な最低限の機能を持っていますよ。エネルギーなどを食物から摂取することが出来ない分、たびたび魔力の補充は必要ですが、ちゃんと生きてます」
「へぇー」
魔法仕掛けというものではなく、魔法をエネルギーとして命を持っているということか。一見、完全にぬいぐるみに見えるのだが、動いているとこれはなかなか奇抜ながら精巧なもので、辺境地のジャングルなら本当にこんなフクロウが居そうだと思える。
アサは腕を差し出す。すると、フクロウはそこへと足を付けた。
「お!? 見て見てターク!」
「おお」
タークはフクロウを触ってみた。中々良い生地を使っているのか、普通のぬいぐるみよりは頑丈そうであり、表面が滑らかだった。
フクロウは、今度はアサの肩の方へと移動する。アサは少し顔を赤らめた。
「すごい可愛いぞ……」
「アサって女の子みたいな反応をするんだな」
「あたし、普通に女の子なんだけど」
またアサに睨まれてしまう。女の子なのは昨日の夜に十分に思い知らされたけれど、可愛いものにこういう反応を見せるとは思わなかったのだ。
「……なんか、外に行きたがってる気がする」
「わかるのですか?」
ぼそっとつぶやくアサに対し、ミリが質問した。
「うん。何となくだけど」
フクロウはアサの顔に自分の頭をこすりつけている。近いものが感じられたのか、だいぶ懐いているようだ。
「アサさんは、呪術によって動物の感性に近づいているのかもしれませんねぇ。呪術にはそういったことがあるようです。良かったら、その子を外に連れていってやってくれませんか?」
「いいの? 行く行く!」
アサはそう言って立ち上がると、自分が呪術にかかっていることを忘れることが出来たのか、あるいは呪術を知って少しは安心したのか、元気に外に出て行った。
アサを見送ると、タークはミリと二人きりになった。改めて部屋の中を見渡すと、この空間は他と比べてキレイにされているのが分かる。部屋の隅のほうには寝具が置いてあり、ミリはここで寝起きしてるらしい。よくこんなところで寝られるものだと、寝ることが一番大事だと思っているタークは呆れてしまう。
「ところで、ミリよ」
「何でしょう?」
ミリは机に置いていた紙を見ていたが、顔を上げてタークの方へ向いた。
「あんなものを作ってどうする気なんだ?」
「あんなものとは、魂体のことですか」
「こんたい?」
聞きなれない言葉だ。あるいは、ミリによる造語なのだろうか。
「魂宿る体。魂体です。イヒヒ」
魂が宿る。あのぬいぐるみにそれが的確に当てはまっているのだろうか。微妙にずれているような気もする。
「それのことだよ。何であんなものを作ってるんだ? 誰かに頼まれたのか?」
何か目的があってしているのか。タークはそれが知りたかった。仮に、誰かに依頼されているというのなら、依頼人はどのような人物なのか。魔妖系のモンスターを発見した直後だからこそ、そういった"特殊な力"に探求心を持っている人間には注意が必要なのだ。
「いえいえ。わたくしの興味本位でございます」
ミリは相変わらずの軽い口調で言った。
「興味本位ねぇ。まさか、その魂体とやらで悪だくみはしていないだろうな?」
「イヒヒ、してそうに思われますか?」
不気味に笑う。これが初対面であれば、してそうと答えるだろう。ミリの見た目は、マッドサイエンティストそのものなのだ。
それでも、タークは少しもしてそうとは思わない。それが、タークのミリに対する信用度だった。
「思わないよ。ただ、相変わらず危険な研究者だと思っただけだ。あんまり人にばれるなよ。悪用されかねないし、自分の身だって危ないかもしれないんだから」
「イヒヒ。ご心配いりません。研究はわたくしの頭の中に詰め込んであります。いざとなったら、自害するまでです」
なんてことなく、そんなことを言う。ミリは、あまり自身の命を重く見ていないのだろうか。だとすれば、少し虚しい。
「その危険性があるなら、僕は研究ごとそれを止めるよ」
タークは怒った風に言った。ミリは驚いたのか、表情を失っていた。
少しの間、タークは無表情のミリを眺めた。ただジッとタークを見ているミリは、何も言ってくれない。そうなると、タークもさっき自分が言ったことに対し、気恥ずかしいものを感じてしまう。
「その……、ミリには色々頼りたいことがあるからさ。趣味の研究に命を張らないでくれ」
タークは言葉を探しながら、ミリの表情を伺う。変わらない表情だが、それは少し赤くなっているように見えた。
「な、何か言ってくれないか?」
「え? ……いえ、タークさんはわたくしを本当に心配してくださるのですね。ちょっと意外でした。い、イヒヒ」
いつもの不気味笑いにも切れがなく、ミリは頭をかき、嬉しそうな表情を見せた。
「何が意外なんだか」
「すみません。心配され慣れていないもので」
慣れとかあるのだろうか。まあ、ミリが嬉しそうなら良いか。
ミリは立ち上がり、さっきお茶が入っていたビーカーを洗い始めた。微妙に話がうやむやになってしまっているけれど、言いたいことは理解してくれたのだろうとは思う。
「……タークさんが頼りたいこととは何でしょうか? やはり、呪術のことですか?」
軽く洗い物を終えると、ミリは手をふきながら言った。
「呪術はミリの紹介してくれた人に聞くのが一番だろうから大丈夫だよ」
呪術に関しては自己責任なので、後は自分で何とかするしかあるまい。タークは、ずっと気になっていたことを、ミリに頼むことにした。
「魔妖系のことを調べてみてくれないか?」
「魔妖系、ですか」
「最近出たんだ。誰が生み出しているのかとかは別に良いけど、どれほどの魔力を持っている人間なら使うことが出来るのかが知りたい。無理のない範囲で良いからさ」
魔妖系自体がそれほど脅威というわけではないのだが、それを生み出す者が悪の芽なら摘む必要がある。それは、ひょっとすると世界を揺るがすことになりかねないからだ。
「わかりました。タークさんの依頼なら、どんなことでも承りますよ。イヒヒ」
ミリは喜々として言った。笑いの切れも戻っている。
「嬉しそうだな」
「はぁい。目標をいただけるのは嬉しいものですよ。タークさんや勇者様からいただけるのならば、それは特別、やりがいのある使命ですから」
「……そうか」
ひょっとすると、ミリは退屈していたのかもしれない。統一の目的を失った人間たちが、どこか地に足が付いていないのが現在の世界であるけれど、ミリだって例外では無かったのだ。それは、本当にもったいないことだと思う。
「はぁい。何なりと申し付けてくださいね」
「それじゃあ部下みたいじゃないか」
タークはため息をつく。ミリは部下なんかじゃない。ミリは、タークにとって数少ない尊敬できる友なのだ。
一時間くらい、何てこと無い話をしていた。いかにマウアーが危険な存在であるか。いかにマウアーが怖いのか。共感はしてもらえなかったけれど、タークは言ってすっきりした。
呪術師の住居も教えてもらい、地図ももらった。後は、アサが戻ってくるのを待つばかりだ。
「ただいまー」
アサが肩にフクロウを乗せたまま戻ってきた。かなりお互い気に入っている様子である。
「おかえりさなぁい。すっかり懐きましたねぇー」
「うん! 仲良しだぞ!」
アサが元気いっぱいに言った。もうこのまま、同じ獣として生きていく、ということで納得してくれたりしないだろうかとタークは考える。もちろん、それを口に出したりはしなかった。
「そろそろ行こうか」
タークは立ち上がる。すると、アサは少し寂しそうな表情を見せた。
「そうだ、アサさん。この子を連れて行ってやってくれませんか?」
「え? 良いの?」
ミリの言葉に、アサはぱぁっと表情に明るさが戻る。
「はぁい。この子も、わたくしのようにずっと家に居るのでは退屈でしょう。わたくしよりもアサさんに懐いていますし、是非そうしてください」
「ターク……」
アサはタークの方を見る。別に、タークの許可がいるものではないのだが、タークは頷いて返した。
「じゃ、じゃあ名前付けて。ミリさんが」
「お名前ですかー……、じゃあ、フクロウなので、フックと呼んであげてください」
「じゃあフック! よろしくな!」
名前も決まると、フックは羽をばたつかせた。表情は変わらないのだが、何となく嬉しそうに見えた。
「ただ、ぬいぐるみってことはばれないようにしよう。幸い、出来が良いから動いていれば珍しいフクロウにしか見えないからさ」
「ばれちゃダメなの?」
タークは頷く。生命を生み出すという行為自体に問題があるし、それを作ったのがミリだと知られると、ミリが危ないのだ。
「普通にしてればばれませんよ。フクロウは大体奇妙な姿をしていますし、あまり動かないので、本物でもぬいぐるみみたいですからねぇ」
「確かに……」
アサはフックと目を合わせる。多分。
「では、この子は魔法が餌なので――」
ミリは、アサにフックの生態を教え始めた。タークもぼけっと聞いていたのだが、ふと、大事なことを忘れているような気がして、今日のことをさかのぼり始めた。確か、最初にミリと再会したとき……。
「ミリよ」
「何でしょう?」
ミリとアサとフックは同時に振り返る。タークは一瞬フックと目を合わせてから、ミリの方を見た。
「手元が狂うと、みんな死ぬってどういうこと?」
「あ……」
アサも思い出したのだろう。驚きの表情で、フックをチラ見する。
「ああ、この子、少ない魔力でも動くようにと、分裂と融合を繰り返す物質を含むのですが、それに過大に魔力を与えてしまうとその動作に支障をきたし、ある気体を発してしまうのです。それには有毒性があってですねぇ、生物に多大な影響があるのです」
「……」
「……」
タークとアサは、フックをジッと見つめる。フックはわかっていないのか、嬉しそうに羽をバタバタと動かした。
「やっぱり置いていこう」
「……や、やだ。つ、連れていくぞ」
「いや、アサだってビビってるだろう。ここは置いてこうよ。ほら、変な死に方はしたくないだろう」
こんな危険なもの連れていけるか。というか、ミリはやっぱり危険な研究者だと改めて思わされる。
「ああ、普段の餌やりでそんなことは起こりえないので安心してください。言ってみれば、この子が魔法で攻撃されない限りは大丈夫ですから」
そんなことを言われても安心できるはずない。しかし、アサが心を決めるには十分だったらしい。
「ほら、大丈夫だって」
アサはフックを抱きしめながら言った。その行動ですら、タークとしては恐ろしかった。
「いやいや、誤爆することだってあるだろう」
「ダメ! 絶対連れていくぞ!」
「いやいやいや――」
……。
この口論は十分ほど続き、結局、タークは根負けした。もう仕方ない。死ぬ気でフックのことを守るしかない。アサの命が危うかろうが、フックを守ってやる。優先順位がぬいぐるみ以下になるだけだからな! とタークはひそかに悪態ついた。
「では、いってらっしゃいませー」
ミリに見送られる。手を振るアサの隣で、タークは渋い顔をしてみせた。すると、ミリはいつもの笑い方を返す。イヒヒ。まるでこちらに聞こえてくるようだった。
獣娘と爆弾、タークの旅の道連れはとんでもないものだった。まあ、片方は自分のせいだから、あまり強くも言えない。タークはまた大きくため息をついた。