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遊者、欲望と戦う

 一つ山を越える。すると、そこには大きな町があった。ここなら転移石がいくつかあることだろう。そうなると、逃走ルートを欺くことが出来る。タークは意気揚々と町へと乗り込んだ。

「どこ行くんだよ?」

 強制的に同行することになったアサは、苛立ちながら言った。タークはそれを無視する。

 まだ追っ手は来ていない。それでも、急いでこの周辺から脱しようと、タークは焦っていた。

「大きい町へ」

 タークは転移石を管理する人間にそう言うと、すぐにそれを使って移動する。当然、アサはそれに付き合わされる。

「ほ、本当にどこ行くんだ!?」

 タークは、着いた先でまた転移石を求める。一番大きい町へ。馬鹿の一つ覚えのように、それを管理者に訴える。大きい町なら、同じ空間に別の場所へ移動できる転移石があるので、とんとん拍子でまた移動することが出来る。

「だから! 本当にどこ行くの!?」

 それを五度ほど繰り返すと、今度は台詞を変える。一番辺境の町へ。そう訴えると、管理者たちは首をかしげながらも、その転移石のある場所へ案内してくれる。オウカンのような、辺境の中の辺境、というような場所で無い限り、町には二つくらいの転移石はあるものだ。

「もう……転移石には入りたくないぞ……」

 さらに五度、そんなやり取りを繰り返した後、タークたちは砂漠の町に居た。日差しの強い、厳しい暑さが二人を襲う。

「ここはどこだ?」

「知るか!!」

 やっとアサと口を利くも、怒鳴られてしまった。ここまで無視してきたのだから、当然のことだろう。暑いことも影響しているのかもしれない。

「ここは暑いな。さあ、移動しよう」

「ああもう!! もう転移石は嫌だ! あの変な空間を移動してばっかりで、頭がおかしくなりそうだぞ!!」

 どうやら、転移石での移動に疲れたらしい。再生式とは違って、固定式のものは結構楽だと思うのだが、亜空間をを苦手とする人が結構居るらしく、アサもそういうタイプのようだ。

「もう着いたんじゃないの!? 暑くても良いからちょっと休ませてほしいぞ!」

「……まあ、そろそろお腹も空いてきたし、ランチといこうか」

 さすがに気の毒になってきたので、タークはアサを連れて、食事ができる場所を探すことにした。

「ここは何て町だ?」

「さぁ……確か、転移石に入る前に、ランバル行き、とか言ってた気がするけど」

 タークはあまりにも必死で、そんなことを聞きもせずに転移石に入っていた。まさか、こんな砂漠地帯に来るとは。寒いのが苦手であるタークだが、暑いのだって嫌だ。出来る限り、早くここを出たいものだ。

 地面と同じ色をした建物が並ぶ街並み。二人は発見した飲食店へと入っていく。

「……魚があるとは」

「そりゃあるだろ。転移前の町、海沿いだったぞ」

 なるほど。当然、無我夢中だったタークはそんなこと存じていなかった。

 食事が来ると、やっと一息つくことが出来た。

「で、どこに行くつもりなんだ?」

「……まだ決めてないよ」

「何でだよ! 今までのは何だったんだよ!」

 アサは魚をフォークで突き刺しながら声を荒げる。そんなことを言われても。タークは、ただただマウアーから逃げるために必死だったのだ。

「ああやって移動すると、足取りを掴めなくなるだろう? 逃げるための知恵だよ」

「そんな知恵をつけたくなかったぞ!」

 滞在時間を短くし、タークが居たという情報が流れる前に移動する。そんなやり方で、転移石の管理者ぐらいしかタークたちのことを見ていないという状態にしておいた。管理者もわざわざ全員の顔を覚えないだろうから、タークの行き先を知る者など居ない、というわけだ。これは、最初にマウアーから逃げる時にも使用した手段だった。

「食事中は静かにしようね。あ、これおいし」

「何であたしが一人で騒いでるみたいな態度を取られなきゃなんないんだよ!」

 アサはうるさい。まあ連れてきたのは自分だから、とタークは我慢の構えだ。

 アサも渋々といった感じに食事を進める。食べるのが早いようで、先に食べ始めたタークよりも先に食べ終えてしまった。

「……で、本当に、ほんっっとうにこれからどこ行くの? あたし、いつまでこれ付けられてるの?」

 食事はよく噛まなければならない。タークは執拗に噛みながら、アサの返事を保留した。

「……殴っていい?」

「待て。ちゃんと考えてるから」

 食事を飲み込んだタークは、これからのことを思考する。タークが会いに行こうと思っていた元仲間は残り三人。明確な居住地があり、タークにも友好的で、さらに他の仲間とも何らかのつながりがあるだろうという人たちだった。

「とりあえずここから移動して、近い人に会いに行く。そんな感じ」

「そんな感じ……。あたしは、いつ解放されるの?」

「さあ。アサの罪は重いからね。しばらくは一緒に居てもらうことになるかな」

「……」

 流れ着いたところから、マウアーと距離を取りつつ、とりあえず近い人へと会いに行く。そんなふわっとした旅だ。罪人であるアサ以外をこんなことに付き合わせるわけにはいかないだろう。

 アサは拳を握りしめて震えている。殴られそう。タークは咳払いをして、少し真面目な顔をした。

「オホン! まあなんだ、かなり優しいと思うよ。ただ旅に付き添うだけで殺人未遂の罪が償えるなんて、どの国にも無い。アサは幸運だよ」

「……何が幸運だー!!」

 タークは耳をふさぐ。店の中だって言うのに、大迷惑である。周りの視線も集まっているし、せめて声の音量を抑えてはくれないだろうか。

「元はと言えば、タークが勇者様から逃げてるのが問題なんだろ! どこに勇者様から逃げる賢者が居るんだ! 何が殺人未遂だ! 勇者様を何だと思ってるんだ!!」

 タークはそろっと立ち上がる。ここは店のためにも、出なければならない。代金を払うと、タークは出口の方へと向かっていく。アサはギャーギャーと騒ぎながら、その後をついてきた。


「叩いたことは悪かったと思ってるぞ。勇者様にタークの行き先を教えたりしないから、解放して」

 長い口論の末、結局、そこが妥協点になった。タークは頷いて返す。こんな大音量と共に旅をしようと思ったのが馬鹿だった、と思い始めたのだ。

「うん。じゃあ、これ早く取って」

「……待て」

「何?」

 タークは思考する。当たり前だが、アサがすぐにマウアーに連絡を取らないとは限らない。ここは、万全を期さねばならない。

「ある程度、自分たちの居場所を把握したうえで、リンバルと距離が開いていることを確認してから、アサを解放する」

「……信用してないわけか」

 アサはジトッとした目で睨む。そりゃそうだ。勇者信者のアサは、マウアーに言われたらタークとの約束などコロッと忘れるに違いないのだ。

「アサは僕の目的を知っているわけだから、それをマウアーに伝えたりしたら、かなりのヒントになってしまうからね。しばらくは会えないくらいに遠くが良い」

「約束はちゃんと守るのに……」

 アサは口を尖らせる。まあ、アサは基本的に正直な人間だ。マウアーに会いさえしなければ、多分、約束を守ってくれるのだろう。リンバルから距離を取る、ということだけで勘弁してやろう。

「とりあえず、この町からは出よう。もちろん、転移石で」

「えー……」

 転移石、という言葉に、アサは拒否反応を示す。しかし、砂漠を越えるのも嫌だろう。そう説得すると、アサは渋々といった感じに頷いた。


「総移動距離はどのくらいだろう」

「考えたくないぞ……」

 来た時とは違う転移石で移動した後、二人は辺りを見回して呆然としている。どんなところかは考えず、ただリンバルから遠いということで選んだこの場所は、大自然の中だった。

「これはまた転移石かな」

「……もうやだぞ!」

 ここは、辺境も辺境。驚いたことに、町になっていなかった。何でも、山の途中に町に移動できるようにと、中間地点として転移石の設置しているらしい。管理者の話では、山を攻略する際に便利であり、こういった設置を事業として行っている者も存在するのだとか。しかし、今の時代に山を攻略する必要があるのだろうか。タークは甚だ疑問だった。

「山なら越えられるぞ! 転移石を進むぐらいなら、山を越えるぞ!」

「そっか。頑張れよ」

「ってタークは行かないの!?」

 そりゃそうだろう。何で転移石で移動することが出来るのに、わざわざ山を歩いて越えなければならないのか。

「解放されたいんじゃなかったのか?」

「いや、そうだけど……。さっきの人が、この山にはブルックが居るって言ってたぞ」

 ブルックとは、高ランクのモンスターである。だが例によって、それほど脅威ではない。

「こっちから攻撃しなきゃ何もしてこないよ」

「そんなことわからないだろ!」

 わかっているつもりなのだけれど。まあ、その気持ちもわからないでもない。これに関しては、タークが異常なのだ。

「アサもいっぱしの武道家なら大丈夫だろう。修行だと思ってさ」

「う……」

 アサは弱々しい目でタークを見つめる。少し、タークの心が動きそうになる。

「じゃ、じゃあいい! 一人で行くぞ!」

 そう言って、アサは山へと入っていった。まだ空は明るい。しかし、この山を越えるのは少し苦労するのではないだろうか。ひょっとすると、夜を明かすことになるかもしれない。アサは何の準備もない状態だ。これには、さすがにタークも責任を感じる。

 仕方ない。タークはアサと一緒に行くことにした。そういえば、まだ首の結界も解いていないし、このまま一人で進んでいくとアサが痛い目にあってしまう。タークは急いで後を追った。


 タークとアサは無言で歩いていく。山脈の隙間に位置していたあの場所からでは、山を越えななければ町へ出られない。空を飛びたいところだが、上空はモンスターの領域を侵したと判断されかねないので、戦闘中以外は飛ばないことが望ましい。当然、モンスターを無暗に狩りたくないタークとすれば、飛ぶことは適わなかった。

 ただ歩く。ひたすら歩く。タークは常に魔力を使って歩くようにしているくらい魔法依存症なのだが、魔力を使っていなければもう足は限界が来ていることだろう。今日一日、どれほど歩いたことか。

 その疲労は、アサに確実に蓄積していた。早朝にウィスプを退治し、昼にかけて山を越え、転移石でいろんなところを移動し、今の状況にある。長い一日で、ずっと活動し続けている。苦手な転移石での移動に関してはタークのせいなので、さすがに少し悪い気がした。

「休むか?」

「……うん」

 思えば、ウィスプの件で魔力の消費も多いだろう。タークは魔力に余裕はあるが、アサはもう限界だったようだ。

「あんなに大声で叫ぶから」

「ち、違うだろ……」

 アサは呆れたような目を寄こす。実際、さっきまで元気そうだったのにこの有様。疲れが一気に来すぎだと思う。使い切らないと自身の疲労を認識できないというのは、武道家にしても魔法使いにしても、全戦士にとっては致命傷になりかねない。

 辺りはもう暗くなってきていた。もう、これ以上進むのは諦めるべきだろう。

「仕方ない。ここで一泊するか」

 どうやら、山中で一泊するしかないようだ。ここまで連れまわした責任もあるし、転移石のことも責められない。タークは寝床を準備し始めた。

「……一緒に泊まるの?」

「嫌なら、アサは外で寝ることになる。テントは僕のものだからね」

「うー」

 まあ、本当に嫌ならタークが外で寝ることを選ぶつもりだが、一緒に旅をしていた時にはそんなことが普通だったのだから、特に問題無いだろう。アサも、そこまで抵抗しなかった。

 タークが所有しているのは、三、四人くらいは密着せずに寝られる大きめのテントだった。それを広げると、二人で中に入る。タークは持っていた発光石に魔力を込め、テント内を明るくした。

 タークはアサの足に治癒魔法をかける。アサの足はとても筋肉質で、無駄な脂肪など一切無さそうだった。身体能力の高さは元仲間の中でもかなり上位に入る。機敏な動き、高い魔力。魔法使い、剣士、武道家と変わっていくのは、アサの優れた能力を生かすのが難しく、器用貧乏になってしまっているからだろう。

 しばらく魔法をかけてやると、足の方はもう問題が無さそうだった。

「ごめん、ターク」

「何だ、気持ち悪いな」

 タークがそう返すと、一瞬見せたしおらしい顔は、すぐにムスッとしたものに変わる。お互い、気を遣うような空気は嫌だろう。タークは、言葉では優しくする気はなかった。

「……気持ち悪いのはタークだぞ」

「もう寝るといいよ」

 タークが言うと、本当にすぐに眠り始めた。よっぽど疲れていたのだろう。

 タークはそんなアサをジッと見つめる。今朝、ウィスプを退治したときにアサが見せた動きは大したものだった。魔力ではヨミやアイラに敵わないかもしれないが、戦闘センスを加味すれば、二人に劣らないだろう。討伐の旅をしていた頃には気付かなかったけれど、アサもすごい素質がある。しかし、それを生かせていない。生かす方法をわかっていない。生かしてくれる人が居なかったのだ。

 マウアーと共に行動することはあっただろうが、マウアーは人の能力を開花させる、というようなことが出来る人間ではない。マウアーは基本的に、人の考えを尊重――ターク以外だけれど――するほうだ。そのためか、アサがどういった戦い方をするのかが定まらないでいた。

 俊敏な動き。それ生かすために、魔法使いを辞め、剣士や武道家を志したのだろう。それには一定の理解は出来る。魔法使いだと後方支援をする機会が多い。アサにはそれが物足りなかったのだ。

 ただ、剣士や武道家だと、アサの魔力がもったいないような気もする。四肢に魔力を帯びさせて戦う方法だと、帯びる体に容量があるので、魔力を持て余すことになってしまう。それに、その戦い方は魔力の量よりも技術が命だ。アサのような不器用には向いていない。

 そう思うと、今朝のような戦い方は、ひょっとすると彼女にとって理想的かもしれない。近接魔法。俊敏に動き回り、近距離で魔法を放つ。一撃の威力を確保出来れば、役に立つアタッカーになれることは間違いないだろう。

 欠点があるとすれば、体に帯びさせて戦う方法よりも、人体に隙が生じやすいところだ。とっさに防御しなければならなくなったとき、身を守る方法が弱い。結界を瞬時に張る技術があればそこまで問題ではないのだが、アサにそれは無理だろう。あまり防御に目が行き過ぎると、一撃の威力を確保することも難しくなる。

 アサの良いところを最大限に生かす。それは、少し難しいことかもしれない。

 それにしても、本当に良い脚をしている。アサは、ただ真っすぐ走るのが速いだけじゃない。とっさに方向転換も出来るし、その時にスピードを落とすことがない。それは、よほど体のバランスが良くないと出来ないことだ。

 良い脚。美しいと言って良いだろう。ショートパンツから伸びる脚は、セクシーな大人のそれであった。タークは視線を体の方へと上げていく。そして、思わず目をそらした。

「うあっ!」

 ショートパンツの隙間から、下着が見えている。

 全く! 隙だらけだな! と思ったが、見えて当たり前な状況である。むしろ、これはタークが覗いていると捉えられても仕方のないことだ。何せ、寝ている女性の足元から視線を舐め上げてしまったのだから。

 タークは息をのむ。見てはならない。アサに欲情するなんてどうかしてる。ばれたら何と言われることか。マウアーに告げ口されでもしたら……今度こそ、本当に死が待っている!

 タークは、アサの足元の方から移動する。この位置だからこそ、見えてしまう。隣に居れば何も問題はないのだ。

 アサから少し距離を取ったところで横になると、タークはまたアサの方を見る。

 ……胸、大きいな。

 タークは顔を真っ赤にしながら、その胸を観察する。子供っぽい性格のくせに、胸はしっかりとある。というか、アサは出るところがしっかりと出ている。それでいて締まった体付きをしているため、体幹という意味だけでなく、女性の体としてもバランスが良いのだ。

 思えば、女性と同じ空間で寝るのは、最後にマウアーと泊まった山小屋以来だ。あの時は、マウアーに襲われかけて、恐怖に震えていた。

 今回は違う。寝ているのはアサの方で、そのアサはとても女性らしい体つきをしていて、無防備である。

 タークの中に、眠っていた欲情が渦巻く。討伐の旅の時は、マウアーが怖くて女性に欲情など出来なかった。今は、そのマウアーも居ない。二人だけの空間の中で、アサは爆睡しているのだ。

 ……冷静になれ、アサだぞ。せっかく敵の攻撃から守ったのに、思いっきりビンタをしてくるような奴だ。おまけに勇者信者であり、タークに生命の危機をもたらしたのもこの人である。

 確かに胸が大きい。確かに尻も大きい。確かに脚が美しい。顔も良い。胸が大きい。胸が大きい。

 タークはもっと思考する。深く、深く。そうだ、アサは罪人である。タークにとって、アサは憎まざるを得ない人間。何でこんな大急ぎで移動しなければならなくなったのか。それは全て、アサのせいではないか。さっきは押しに負けてしまったけれど、ギャーギャー騒いで許される罪などない。明日にはアサとはお別れなのだから、アサが罪を償えるのは今この瞬間だけかもしれない。

 タークはもう一度アサに近づいていく。本当に、胸が大きいな。触るくらいなら、許されるのではないだろうか。というか、ばれないだろう。

 ごくり。タークは汗をかき、頬を赤くしながら、唾を飲み込んだ。触るぞ、触ってやるぞ。タークは強い意志で手を近づけていく。

 もう少し、もう少し。そこで、タークの手は止まった。

 タークはアサの顔を見てしまったのだ。子供みたいな寝顔。こんな純粋そうな子の睡眠中に性的な悪戯。極悪人である。

 駄目だ。さすがに、夜這いをするほど落ちぶれたくはない。

 じゃあ起こすか。いや、それもおかしい。

 タークは深呼吸する。アサに欲情するなんて、想定外のことだった。ただ、アサの今後を考えていただけだったはずなのに、アサに対して性的な魅力を感じてしまった。性欲をかなり制限されながら生きてきたタークには、今、アサが無防備に寝ているということが落ち着かないのだ。

 早く寝よう。寝れば、この気持ちも静まるはずだ。タークは明かりを消して、アサの居ないほうを向いて寝転がった。

 ……。

 おかしい。今朝は早起きだったし、あまり寝ていない。それなのに、タークは眠れそうになかった。これは多分、未練である。無防備な女性、決して起きることがないくらいの爆睡、大きな胸、恨み。これだけの条件が整っているのに、何もしないというのはやはりおかしいのではないだろうか。

 悶々とした後、タークはまた明かりをつけた。

 タークはアサに近づいていく。今度こそ、触ってやるぞ。

 そしてまた手が止まる。また、アサの顔を見てしまったのだ。

「こんなんじゃ無限ループじゃないか!!」

 タークは頭を抱えながら叫ぶ。しかし、アサは起きる気配がない。もう、一体どうしたら良いんだ。タークは罪悪感というものと戦っていた。殴られた恨みのある相手に、何故一歩踏み出せないのか。

 女性が絡むと妙に臆病になっている気がする。それもこれも、マウアーのせいだ。

 タークはアサのすぐ横に座る。アサの顔を見ると手が止まるのだ。アサの顔をじっと見ていれば、何か解決策が得られるのかもしれない。

 それにしても、アサも黙っていれば中々の美人である。魔力が高い女性ほど顔が良い、という迷信があるのだが、タークの経験上、迷信と呼ばれることに違和感を覚えるほどに、その言葉は当てはまっている。マウアーやヨミ、アイラやミーシャだってそうだ。魔法で顔をいじっている、なんて当てつけのように言われることもあるらしいくらいに、魔力と顔のバランスは比例しているのだ。

 アサの寝顔は無邪気な感じがする。子供っぽいところが寝顔にも出ているのだろう。いや、子供よりも当てはまるものがあるような気がする。

 そうだ、動物だ。アサはどこか動物のように思えるところがある。犬とか、猫とか。アサはどっちだろう。マウアーに懐く姿は、どこか尻尾を振っているという感じがするので、犬の方だろうか。

 いっそ、犬だったら、こんな葛藤しないのに。……そうだ、犬にならないだろうか。

 タークは色々と術式を試してみた。獣娘、という言葉が当てはまるアサのことだから、ちょっとしたことで犬になるのではないだろうか。タークは一時間くらい、それを繰り返した。どうせ眠れないのだ。とことん試してみよう。

 そして、ついに成功した。アサは犬の姿になった。やってみてから思ったのだが、これは呪術という分野に属する魔法だ。タークも見たことがないくらいマイナーな魔法。それを、自力で生み出してしまうのだから、やはり大賢者と呼ばれるだけのことがある。そう自分を褒めたたえてみた。

 さあ、これで眠ることが出来る。何だか大事なことを無視しているような気がするけど、今は眠らせてもらいたい。少し冷えてきた、暖かくして寝よう。タークはようやく眠りにつくことが出来た。


「ちょっと! ターク!!」

 朝になる。アサに叩き起こされると、タークは不機嫌な顔を返した。

「何だよ、寝足りないんだからまだ寝させてくれ……」

「これおかしいぞ!? どうなってるの!?」

 タークは重い瞼を開けていく。ジワリと光が広がっていき、焦点が定まっていくと、その姿を確認する。そこには、アサの姿がある。

 その姿を見てから、タークは昨夜のことを思い出す。一気に目が覚めると、アサのことをもう一度じっくり見る。そして、ホッと一息ついた。

「な、何その反応!?」

「いや、こっちの話」

 ちゃんと、アサは人の姿に戻っていた。てっきり、犬に変えたまま眠ってしまったのかと思ったのだが、アサはちゃんと人間の姿をしている。

「で、何を焦ってるんだ?」

「これだよこれ!」

 アサは、タークにお尻を向ける。ショートパンツの上部から突き抜ける物体。それは、尻尾だった。

「他にもほら!」

 耳が尖っていて、フサフサとした毛に覆われている。どうやら、残っているようだ。タークは目をそらした。

「何なの!? ターク、何かしたの!?」

「あれ? 前から普通に付いてなかったっけ?」

「付いてないわ!」

 ごまかしきれそうにない。これは、正直に白状すべきだろうか。この状況で、ターク以外に犯人が居るわけがない。

「……その、なんだ。ちょっとした事情があって、アサには犬になってもらったんだ」

「ちょっとした事情!?」

 それについては、タークは話すつもりはないし、話せることではなかった。

「何それ!? どんな事情があれば、犬にさせられることになるの!?」

「まあ、落ち着け。似合ってるよ。本当に、元々そうだったんじゃないかってくらいに似合ってる」

「うるさい! 早く元に戻して!」

 アサはかなり憤慨している。そりゃあ、朝起きたときに犬成分が含まれていれば、誰だって怒るのかもしれない。しかしだ。

「冷静になってくれ。仮に、豚や狸だったらどうだ。嫌だっただろう? 犬で良かった。そう考えることは出来ないかな?」

「出来るか!!」

 どうやら、火に油を注いでいるらしい。これはどうしたものだろう。これからタークが話そうとしていることを言えば、絶対に殴られるような気がする。タークは悩む。

「いいから早く戻して!」

 アサは顔を赤くして怒っている。少し目に涙も浮かべている。これは、正直に現状の説明をしなければならないようだ。

「それなんだけどさ、戻せないんだ」

「……は!?」

「いや、呪術の一種なんだろうけど、どうやってかけたのかも覚えてないし、当然、解き方なんてわからないんだよ」

 昨日無視した大事なこと。それは、解き方がわからないということだった。あの時、必死になって思い出していれば、少なくとも呪術をかけた手順はわかったかもしれない。しかし、タークは限界だった。呪術の解きかたは闇の中。ブラックボックスなのだ。

「……」

 ああ、これは殴られる。タークは強力な結界を張り、そこに閉じこもることにした。

「たあああああくうう!! 開けろ! タークの罪は重いぞ!!」

 アサは結界を殴り続ける。タークは身を守りながら考える。ひょっとすると、夜になったらまた完全な犬になるのではないだろうか。またその時も、アサは怒り狂うだろう。今その話をしたら、今の怒りと一纏めにしてくれたりはしないだろうか。

 そしてこれによって、アサと共に旅をする目的が出来てしまった。アサの呪いを(かけた本人と共に)解く旅。先が思いやられることだ。

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