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十二ヶ月の姫君様  作者: 桜二冬寿
第七章 あの日にあったもの
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Chapter 3-(5) ここにあったもの

 いつもより軽く感じる足取りが妙に心地いい。靴が変わったわけでもないのに、地面から伝わる衝撃が和らいでいる気さえしてくる。それ程に、今の悠馬の心境は穏やかであった。

 お母さんとは一緒に暮らせない。それは悠馬の理想とは離れているのだけれど、本当のお母さんと話せた気がしてこれからのお互いの人生も納得できた。そしてお母さんが苦しかった時を支えてくれた相田さんへの感謝の念も自然と湧き上がってくる。


 そんな最近にはなかった明るい気持ちが家へと向かう足を速くしている。

 駅から電車に乗って、街を抜けて、住宅街に入り、悠馬は河川敷を歩いていた。夏休みの昼間ということもあって、河川敷のグラウンドにはたくさんの子どもたちがサッカーをして遊んでいる。それがいつかの自分と重なってフッと笑みを零した。


「悠馬?」

 と、子どもたちのサッカーを見ていると、隣から聞き慣れた声がした。でも、それは少し穏やかで、自信というものを少し帯びている気がする。

「お父さん……」

「ああ〜、良かった。何とか会えた」

「どうしてここに?」

「いや、拓斗たちに悠馬がどこに行ったか聞いたら、お母さんの会社に行ったって言われたからな。それで急いで行こうとしたら、帰ってくる悠馬に会ったわけ」


 お父さんは手に膝をついて、息も整えぬまま話した。

 そこまでして会おうとする理由が悠馬には思いつかなかったから、ただ疲れている様子のお父さんを見つめていた。

「ちょっと時間いいか?」

「うん、それはいいけど」

「ありがとう」

 お父さんは河川敷の階段にゆっくりと腰を下ろした。

 運動は普段からしておかないとな、なんて言って苦笑いしている。そんなお父さんが少し不思議だった。いつもと雰囲気が違う気がする。でも、今の雰囲気の方が体に馴染んで落ち着くからまた不思議だ。


「……あれから考えたんだけどさ。俺にはまだ悠馬たちと住むには早かった」

「急にどうしたの」

「いや、借金も完済していないし、それで一緒に暮らそうだなんて悠馬たちの気持ちを無視したままだからな」

 お父さんは大きく息を吐いて、太陽の光を吸い込む川を見ている。

「借金を口実に家族の問題から逃げているんだ。それなのに悠馬たちと一緒に暮らしたいなんて虫が良すぎるもんな」

「お父さんはそれで納得しているの?」

「ああ。それで、借金を完済したら、またお願いに行くよ。悠馬たちと暮らしたいことは変わらないんだ」


 悠馬はお父さんの空気に溶けてしまいそうな柔らかい声を耳に沁み込ませた。

 悠馬も花火大会の後、お父さんのことは考えた。借金の返済は定期的にできているのだから、もう家への害というものは少ない。もちろん楽などではないが、返済もままならなかったときの荒れ模様に比べたら幾分マシなはずだ。

 だから、もしお父さんが一緒に暮らそうと言ったのなら、受け入れようかとも思っていた。

 しかしお父さんから出た言葉は、自分のけじめをつけてから帰ってくるというものだった。それが我を失ったときのお父さんからは考えられない決意で、一昔前に戻ったかのような錯覚に陥る。


 ただ、お父さん本人がそう言うのなら、悠馬の答えは一つだった。

「分かった。待ってるよ」

「おう。それと、また学校で苺ちゃんに会ったら礼を言っておいてくれないか?」

「へ? 苺ちゃん?」

 そこで出てくると思っていなかった名前に、悠馬は間抜けな声を出して首を傾げた。

「ああ。家族で会った後、俺は苺ちゃんの家に泊めてもらってな。本当は苺ちゃんのお父さんと話すつもりだったんだけど、苺ちゃんにも色々と話を聞いてもらったんだ」

「そうだったんだ……」

「うん。俺がもう一度しっかり考える時間をくれた気がしてな」

「分かった。伝えておく」


 頼んだぞ、とお父さんはポンと悠馬の肩に手を置いた。そしてそれを支えにしてゆっくりと立ち上がる。

「俺たちの場合、壊れたものは作り直すんじゃなくて新築しないといけないんだな。でも――」

 潤んだお父さんの瞳に光が差す。何とかして目尻で耐える水滴が悠馬の心を締め付けた。


「確かに、家族だったんだよなあ……」


 そしてお父さんが零したその言葉で、悠馬はやっと気がついた。お父さんは帰ってきたのだと。

 辛い現実から逃げて、誰かに当たって、全てを失ってしまったお父さんではなく、優しい笑顔で手を繋いでくれた幼い日々の記憶のお父さんがそこにいる。

 きっとこれからも現実というものは険しいだろう。でも、今のお父さんならば、それを乗り越えて笑って帰って来てくれる気がした。


 悠馬も立ち上がって光を反射する水面を見やる。

「いつでも遊びに来なよ。羽花たちも喜ぶし」

「ありがとう。……苺ちゃんのときも思ったけど、高校生って大人だな」

「……いや、まだまだ子どもだよ」


 そう言って悠馬は、お父さんに気づかれない様にそっと鞄に猫のキーホルダーを取り付けた。これがきっと、宮葉家が再び動き出した証になると信じて。


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