Chapter 3-(2) 数年間の乗り越え
どうしても怖くて逃げだしたステージ。鼓動は速まっていく一方で、祥也が来てから、未来のそれは更に加速していく。
「やっぱ、まだ大丈夫じゃないんだな」
祥也はそう言って未来の前で腰を下ろした。持っていた手提げ鞄の中からコーラの入った缶を取り出し、未来に優しく手渡す。買ったばかりのコーラの冷たさが、必死に走ってきたために発してきた熱を奪っていく。
祥也はおそらく未来のことを心配してここに来たのだろう。しかし、未来にはそれが腹立たしかった。
「結構、呑気に言ってくれるじゃん……」
「確かに呑気だな」
未来のその返答は、ある程度祥也には予想がついていたものだったのだろう。驚く素振りもなく、ずっと未来を見ていた。
「こうなったのは、俺が原因なのにな」
祥也は表情はずっと変わらない。だが、どこか苦しそうにも見えて、未来に余裕を見せるように必死にポーカーフェイスを保っているようだった。未来に余裕がない以上、そうするしかないのかもしれない。
祥也だって心苦しかったはずだ。ましてや小学生だった祥也が、大好きな人のために大好きな人との関係を断ち切るなど簡単にはできない。それが今の二人の仲を作り出してしまっているのだ。
「俺は、未来を捨てたんだ。言い訳はしたくないから、本当にそれだけだ」
「…………」
「守る勇気がなかったから、こうなったんだよな」
祥也の心の中には一つ、引っかかっていたものがあった。未来に絵梨香たちのいじめの手が行かぬようにするため、祥也は絵梨香と付き合うという条件に乗り、未来から絵梨香たちを切り離した。
「未来の言う通りだった。考え過ぎだったんだ。もっと、単純な答えで良かったって今になって気づいた。いや、気づかなかったふりをしていたのかもしれない。ずっと、未来の側にいれば解決することだったのに」
未来はずっと黙って聞いていた。ずっと足元を見つめていて、何を考えているかは読み取れない。
「あれから未来は人目ってものに怯えてしまった。俺が選んだ行動は、本当に何にもならなかった。むしろ、未来に良くないものばかりを残してしまったな」
祥也は立ち上がり、ドア付近にいる悠馬の方を見た。
「そういうことだ、体育館係。未来はあんまり悪くない」
「無理のある繋ぎ方だな……」
未来からしたら、ステージの方へ戻ってもらうために連れに来た人物だと思うだろう。悠馬がこの場にいることを知ると逆効果な気もしたが、なってしまった状況は仕方ないので祥也に合わせることにした。
悠馬はこの話を聞いて色々と疑問の歯車が噛みあった。未来がステージから逃げ出した理由。思い返してみれば、羽花が持っている未来のグッズも未来単体のものばかりだった。ライブDVDも発売されていないという異色のアイドルだということも聞いていたが、その理由がまさしくこれだったのである。
祥也は再び座り込む未来に高さを合わせて頭を下げた。
「今更許してくれなんてのは虫の良い話だってことは分かってる。許さなくていい。でも、本当にすまなかった」
「……そう。じゃあ、許さなくてもいいんだね」
「…………」
「私は、あの日以降、家族とかそういう人以外の目線が怖くなった。見られているだけで悪口言われているみたいで。それでも、芸能の仕事は好きだったから辞められなかったんだけど」
二人とも視線を交わそうとはしない。夕日が照らして作り出す二人の影も平行のままだ。
「私のことを好きだって言ってくれた祥也も私とは喋らなくなった。私だって馬鹿じゃないから分かるよ。祥也は絵梨香ちゃんに何か言われたんでしょ?」
「……」
「でもね、私、祥也のその選択は凄く悲しかった。私のことを思ってくれたからこそのものなんだろうけど、辛かった」
未来の目から一粒の涙が流れ、地面の一点を濡らした。祥也はその涙をじっと見ていた。やはり、悠馬の言っていたことは正しかった。間接的に未来を守るということを選んでほしくなかったのだ。
「でも、諦めがついたの。祥也はたくさんの女の子と一緒で私のことなんて忘れてしまっていたみたいだったし、ちゃんとレッスンも通ったから人前も大丈夫になった――って、思っていたんだけどね」
喋り出すと涙は止まらなくなっていた。
「やっぱり、そう簡単に耐えられるようにもなれないし、忘れることもできないんだよ」
その未来の姿を祥也はずっと見ていた。祥也も今、未来がこれまでの間、どう思って過ごしてきたかを初めて知ったのだ。自分が思っていたとおりのところもあれば、想像していたよりも辛いこともあった。
だが、そんな今の未来を知ったからこそ、祥也は引くことはできなかった。今まで胸の内に留め続けてきたものを吐き出すときは今だった。
「一つ教えてやるよ。俺が複数人の女の子と一緒にいたのは逃げだ」
「え?」
「女の子としての未来を忘れるために何とかしようとした結果だ。でも皮肉なもんでな、なかなか一度好きになった人は忘れられないものなんだ」
「今の祥也が言うと嘘っぽいよね。それこそ、何とでも言い訳にできるし……」
「未来のデビューシングルは初回限定だっただろ」
「へ? うん、確かに最初に作られた分しか発売しないってことだったけど……」
「俺はそれを、近くのCDショップの予約開始日の開店直後に行って手に入れたんだ」
「何が言いたいの……?」
「今までのシングル、アルバム、写真集。更にはポスターやストラップやタオルとかのグッズ、ありとあらゆる未来に関するものが俺の部屋にある」
「え……」
「気持ち悪いだろ? ストーカーみたいだろ? 訴えたら法的に何か罰くらいそうなもんだ」
その時に、祥也と未来の目線は交わった。
「でも、それくらい、活躍する未来を見るのが嬉しかった。未来のことを忘れられなかった。未来が好きだった」
「嘘だよ……そんなの……」
「嘘だったらわざわざ探しに来ないぞ」
祥也の今までの雰囲気からは一変し、真っすぐな目をしていた。未来も悲しみばかりだった感情からは少し離れてきていた気がする。
「本当に……祥也はファンでいてくれているの……?」
「もちろんだ。それに俺だけじゃないぞ。悠馬も未来のライブを楽しみにしているし、悠馬の妹さんなんか、未来の出るテレビは欠かさずチェックするらしいしな」
「そうなんだね」
未来は涙を拭ってその場を立ち上がった。そしてドアにいる悠馬の方へ向かってくる。
「宮葉君ステージ係なんだよね。迷惑をかけてごめんなさい」
「ああ、いや、俺は連れ戻しに来たっていうか何というか……」
「今すぐステージに戻るわ」
未来は屋上のドアを開き、校舎内へと足を一歩踏み入れた。そしてそのとき、振り返りもせずこう残した。
「今度は、私が乗り越えなくちゃね」
階段と足の接地音が小刻み良くドア奥の方から鳴り響き、悠馬と祥也だけになった屋上はやがて風の音だけが包み込んだ。
「祥也はこの事情を知っていたから、ライブが開催されるかどうかって言ったんだね」
「まあな。でも、開催されたときのために準備はしてきたさ」
「準備?」
「未来の団扇に未来の限定Tシャツにサイリウムだな。完璧だ」
「……ごめん、引いた」
「まあ、引くのも無理はないな!」
「汚田より気持ち悪い」
「それは傷つく……」
その後、二人は笑い合って急いで体育館へと戻って行った。スプリング・レイン・フェスティバル、今年の大イベント『八篠未来のライブパフォーマンス』はもうすぐ開演だ。




