Chapter 1-(1) 秋のスプリング・レイン・フェスティバル
「お兄ちゃん早く早く!」
「分かってるよ。そんなに焦らなくても、まだ時間まで少しあるから」
午後八時前、羽花はテレビの前を陣取って悠馬を呼んだ。今テレビ画面にはコマーシャルが流れ続けている。この後に羽花の目当ての番組が始まる。
それは『ミュージックダイアリー』という番組だ。タイトルからも想像できるように音楽番組である。複数の旬なゲストが招かれて、生放送で歌声を披露する幅広い世代に人気のものだ。今日は羽花が大好きなアイドルが出演するらしく、保育園に行く前もずっとこの話をしていた。
しばらくすると賑やかな歓声がスピーカーから溢れ出て、様々な光が交差するエフェクトが映し出されながら番組がスタートした。
「始まったー!」
「ついに来たぜー!」
ミュージックダイアリーのオープニングテーマが流れ出すと、羽花と拓斗が嬉しそうな声を出して盛り上がった。
「てか、拓斗、今日は家にいるんだな」
「まあ、いつもならブラブラしているところだが、今日だけは別だな。何せ俺の大好きなバンドが出るんだよ!」
「おお、そうなのか。ただ急にキャラが変わって出てくるとややこしいな」
「一時間後には元に戻るから!」
「戻らなくてもいいけど……」
久しぶりに楽しそうな拓斗は珍しく羽花と並んでテレビを見ている。何だか、ツチノコを見つけたときってこんな感じなんだろうな、と意味もなく悠馬は思った。
番組は出演者を紹介する段階に入り、司会者が立っている奥の扉から順番に出てくる。最近テレビをあまり見なかった悠馬には知らない人ばかりだったが、拓斗と羽花のリアクションを見ていると人気の人たちらしい。
しばらく見ていると、一際大きな歓声がテレビから流れ出た。観客の人の声援と同時に羽花も嬉しそうに立ち上がって目を輝かせていた。
「この子? 羽花が見たいって言ってたアイドル」
「うん! 凄く可愛いの!」
黄色い声援に包まれながら階段を下りる一人の少女。暗めの茶色をした髪がストレートに腰まで伸びていて、吸い込まれそうなくっきりした瞳が印象的である。柔和な笑顔を浮かべて観客に手を振っている姿は、華やかなアイドルとは少し違って素朴であるが、人気があるのは納得できる可愛らしい女の子だ。
テロップには八篠未来と表示されている。
「未来ちゃん、今凄く人気だよ。私のクラスの男子もよく未来ちゃんの話してるし」
テレビからは少し離れたところで宿題をしていた結希も、一旦手を止めてテレビの方に目をやっている。
「いつも遊んでるナル島とゴリ島も未来ちゃん大好きって言ってたな。結婚するのは俺だって喧嘩してたわ」
目当てのバンドがまだ出てこないのか、テンションの上がり切っていない拓斗も未来の人気を認識しているらしい。
「へ~、本当に人気なんだな」
「顔と名前は一致しなくても一度くらいは見たことあるはずだよ。CMにも引っ張りだこだし、市内の広告にも大きく載ってるしね」
テレビの中の未来は司会者の隣に並び、他の出演者の登場を待っている。そんな姿にさえ羽花は釘付けになっている。
このような状態になってしまっては、羽花は一切他のことに気が回らない性格である。年齢の影響もあるが、一つのことに集中するタイプなのだ。
「結希、悪いけど羽花のこと頼んでいいか?」
「良いけど、もう寝るの? まだ八時だよ?」
「いや、ちょっと学校のことでやらなきゃいけないことがあってな」
「ああ、そういうこと。うん、分かった。頑張ってね」
結希は再び宿題に視線を落とし、手を動かし始めた。拓斗と羽花はお目当てのアーティストのために変わらずテレビに夢中だった。
結希に頼んで悠馬は自分の部屋へと戻った。机の上には書類が無造作に置かれている。学校から配布された案内のもの、白黒ではあるが絵などがたくさん書いてあってポップに仕上がっているものと様々であった。
「こういうの、楽しみなんだよなあ~」
悠馬はその中から、体育館の図が描かれているものを取り出し、周辺にメモをし始めた。悠馬にはペンと紙の摩擦の音と、リビングから届いてくる音楽だけが聞こえた。
☆ ☆ ☆
翌朝、悠馬は羽花を保育園に送り届けた後、いつも通りにミラアと登校した。夏休みが明けてから数日、高校はいつもとは違う雰囲気に包まれていた。朝から学生は活気に溢れており、教室内にもいつもは見かけない工作物や小物が多く置かれている。そして今日も例外ではなく、周りの学生が楽しそうであった。
「おはよう、治親」
「おー、悠馬。おはよう。夏が終わって数日経つけど、何かお前たちとプールに行ってから時間が止まっている気がするよ」
「それは仕方ないな。治親だし」
「よく分からないけど妙に傷つくわー」
隣の席に座っている治親はスズランテープを手で引き裂いている。ダンスなどで使用するポンポンを作っている最中だ。
「悠馬の調子はどうよ? 体育館のステージ係やらされてんだろ?」
「クラスの皆さんの押しつけのおかげでな」
「そう怖い顔するなって。みんな悠馬を信頼してのことなんだから」
「まあ、こういうの嫌いじゃないから別にいいけどさ」
「一緒にやるクラスメイトも最高で既に楽しいじゃん、悠馬は!」
「治親よ、口をまつり縫いするぞ」
治親はからかうだけからかって、手先に視線を戻した。悠馬は溜息をついて鞄の中から体育館図の書類を取り出す。
悠馬はクラスから二名代表を選んで担当する体育館のステージ係を任されている。当日に向けた設計や実際の配置、体育館におけるパフォーマンスのプログラム作成など、様々なことをやらなければならない。やることが多い故に、悠馬はクラスでの作業にはほとんど顔を出せていないのが現状だ。
「ねえ、悠馬」
書類の再確認をしていると、治親から手渡されたポンポンを引き裂きながらミラアが横に立っていた。この作業が楽しいのか、若干目に輝きがある。
「どうした?」
「これは何?」
「知らないで作ってたのか。それはポンポンって言って、ダンスのときにそれを持って踊るんだよ」
「そうじゃないわ」
「そうだろ?」
「何でみんなこれを作っているの?」
「そりゃあ……もうすぐスプリング・レイン・フェスティバルだからじゃん」
「スクラップ・ナイン・インターバルって何?」
「スプリング・レイン・フェスティバル! いわゆる文化祭! 何だよスクラップ・ナイン・インターバルって……屑鉄九個の間隔って距離の測り方独特すぎるだろ」
「長くてややこしいわ。それに文化祭なんて聞いていない」
「みんなスプフェスって略しているけどな。そして文化祭は一週間前から準備に取り掛かっているんだ」
「スクフェス?」
「お黙りなさいミラア」
毎年春雨高校では夏休み明けから数週間後に『スプリング・レイン・フェスティバル』という名称で大きな文化祭を開催している。例年、校門を入ってすぐの場所にはクラスから一つ出店の屋台が並び、体育館では演劇部、吹奏楽部、軽音楽部のステージ発表もある。有名人が来校することもあり、昨年は人気ダンスユニットである「五十三代目毛剃る丸刈りーズ」がパフォーマンスを披露した。
かなり規模の大きいと地域では少し有名で、学校に関連のない人も見に来るほど人気の祭りなのだ。ちなみにわざわざ英語にしているのは、春雨祭だと低カロリーの麺類を食べる祭りみたいでややこしいからだと言い伝えられている。
「じゃあこのアンアンは文化祭で使うのね」
「ポンポンな。雑誌じゃないんだから。そう、ほら、女子生徒はダンスパフォーマンスをしなきゃいけないだろ?」
「……そうね」
「絶対知らなかっただろ」
スプフェスでは各クラスの女子生徒限定でダンスパフォーマンスをする時間が設けられている。女子生徒自身、みんなで楽しく踊れるため好評で長く続けられている。男子からの人気は言うまでもない。
「今日もダンス練習あるからサボるなよ?」
「もちろんよ。私がサボるように思えるの?」
「自分の意思でサボるとは思わないが、知らない間にどこかに行ってそうだからな……」
「任せてほしい。私の華麗なステップで大きなお友達を魅了するわ」
「お黙りなさいミラア」
軽いチョップでミラアの頭をコツンと叩き、悠馬は時間を確認した。体育館の集合にはまだ数分ある。
「そういやさ、悠馬」
変わらずポンポンを量産し続ける治親が作業しながら声をかけた。
「今日あれなんでしょ? 今年のステージ発表してくれる芸能人が明かされるんだよね?」
「ああ。そういうことになってる」
「まあ、今年はもう決まったようなもんだよね~」
「確かにな」
実は今年の春雨高校一年生にはアイドル活動をしている生徒がいる。入学当初はかなり噂になり、教室の前も人だかりができていたそうだ。悠馬もアイドルがいるという事実は知っていた。ただ多忙なためか、あまり学校には顔を出せていないらしい。
「京安出身で春雨高校生。出るに決まってるよね!」
「そうだな。出てくれると嬉しいもんだな」
「どうかね~」
治親と噂のアイドルの話をしていると、いつの間にか悠馬の前の席に座ってポンポンを引き裂いている祥也がいた。悠馬の周りにはポンポンをひたすら引き裂く三人がいるという奇妙な光景だ。
「おお、俺の小さいころからの友達で数多の女の子に手を出してハーレムを築いている西月祥也君ではないか」
「久しぶりだからって詳しい説明をする悠馬の心遣いに感謝するよ」
苦笑いする祥也は、今日は珍しく女子を連れていない。女子を連れていなければ、真面目そうなイケメンである。
「それで、どうかねってどういう意味だよ?」
期待している治親は少しムッとしている。期待していることを否定されるといい気分がしないのは当然だろう。
しかし、その治親の問いかけに祥也はハッと何かに気づいたような顔をした。
「ああ、いや、忙しいしスケジュールとか合うのかなって。俺だってアイドルに来てほしいさ!」
「だよな! 全く未来ちゃんに何かあったのかと思ったよ」
ホッと胸を撫で下ろす治親とは対照的に祥也は「危ない危ない」と小声で零した。このときの悠馬はこの祥也の言葉の意味が分からなかった。不思議に思いながらも腕時計に視線を落とした。
「――って、未来ちゃん!?」
どこかで聞いたその名前に悠馬は驚きを隠せなかった。急に大声を出した悠馬を不思議そうに治親と祥也は見ていた。
「え? まさか悠馬知らなかったの?」
「アイドルがいたのは知っていたが、八篠未来だったとは……全く知らない」
「なんかそんな気はしたけどね~。でも未来ちゃんは知ってるんだ?」
「ああ。昨日やってた音楽番組でちょっと見たから。妹がその子、大好きなんだよ」
そう、八篠未来と言えば、昨日の夜に放送されていたミュージックダイアリーに出演していた超人気アイドルだ。羽花が大好きで喜んでいたのでよく覚えていた。
その八篠未来が春雨高校のステージで歌うどころか同級生であったとは思ってもいなかったことだ。
「つまり、俺は治親や祥也よりも先に未来ちゃんに会うってわけか」
「……ねえ悠馬。体育館係辛いなら代わってあげようか?」
「あのとき押しつけておいてそれか。絶対嫌だな!」
悠馬は未来と誰よりも先に会って知り合いたいから体育館係を譲りたくないわけではない。悠馬がこの仕事を頑張ろうとするのにはもう一つ理由があった。
「そろそろ時間だから行くわ」
そこで体育館に集合しなければならない時間が近づき、悠馬は書類とペンケースだけを持って教室を出た。すると廊下には一人の女子生徒が同じように書類とペンケースを持って待っていた。
「あ、行こうか、宮葉君」
廊下の壁にもたれて立っていた白花真菜が小刻みに足を地面につけて駆け寄ってくる。
(うんうん、これだよこれ。ビッグチャンス!)
俄然やる気の出た悠馬は、同じ体育館係に選ばれている真菜と一緒に体育館へと向かった。
☆ ☆ ☆
体育館には一年生から三年生までの各クラスから二名の生徒が集合した。半円を描くように並び、その前方には生徒指導教員が立っている。今は今日の体育館設計の話をしている。
もっとも、ほとんどの生徒の関心は、今日行われるはずのステージパフォーマンス出演者に向けられているために話が頭に入らずに上の空になっていた。
「では、次に今年のステージパフォーマンスをしてくれる演者を紹介する」
しばらく話が進んだ後、ついにその段階へと来た。待ってましたと言わんばかりの生徒たちの表情に期待が全面に浮かび上がる。
教員に呼ばれ、体育館のドアから入ってくる一人の少女。華奢でやや小柄であるその体躯に、腰ほどまでストレートに伸びた茶色い髪、パッチリとした瞳はまさしく、昨日テレビで見たアイドルであった。
「今年のスプフェスでライブパフォーマンスをさせていただきます、一年D組の八篠未来です。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする未来と大歓声が巻き起こる館内。本当に、あの人気アイドル八篠未来であった。
ただ、悠馬はこの本物の未来を見たとき、小声でボソッと呟いただけであった。
「……羽花を連れてきてやらないと」
今回の話から第3章のスタートとなります。
前回の更新からかなり期間が空いてしまいましたが、ぼちぼちと再開していこうと思っていますので、今後とも読んでいただければ幸いです。
第3章! 頑張っていきます!




