Chapter 1-(2) 一夏の始まり
「幼馴染……」
真菜は苺の言葉を聞いて呟いた。表情も若干ではあるが曇り、それからはずっと俯いている。
「それにしても急にどうしたんだ? 橋森からって結構遠いじゃん」
「まぁ、確かに遠いけど、毎日春雨高校に通ってたら遠くも感じないよ」
「そっか……」
そこで悠馬と真菜はお互いに驚愕の表情を浮かべた。レジで顔を隠していた真菜もバッと顔を出し、苺の方を強く見ていた。
「苺ちゃんって春雨だったの!?」
「ん、まぁ、悠馬君たちとは階が違うから会う機会もなかったからね~。知らなくても無理はないかも。ちなみに私はE組だよ」
春雨高校は教室配置が意外と複雑で、一年生同士でも顔を見たことのない生徒は多数いる。E組とは階どころか号館も違うので、会う確率はかなり低い。
「まぁ、夏休みだけど京安の方がもちろん都会だし遊びに来たの。悠馬君とも会いたかったし」
「ま、家にでも寄って行きなよ。羽花たちも喜ぶと思うぞ」
「ん~、でも悠馬君の家分からないからお客さんとしてここにいさせてもらうね~」
「ん、分かった。ゆっくりしていってくれ」
苺はレジの前から立ち去り、一番近くの席に腰を下ろした。すぐさま立てかけてあったメニューを見出し、コーヒーを注文する。それからはコーヒーを度々口に含みながら、見覚えのある春雨高校の夏課題に手をつけ始めた。
苺が来店したものの、まだピークではなく客足も相変わらずだった。レジの前で立っていたり、掃除をしてみたり、ただそんな時間だけが流れる空間。苺が話しかけてくるわけでもなく、真菜と話すでもなく、静寂の時を過ごしていた。
その時、一人の客が来店した。いらっしゃいませ、と声を出し席に案内する。時刻は午後五時。やっと店はピークを迎える――。
☆
時刻は十時前になり、悠馬たちは帰宅時間となった。裏口から真菜と一緒に店から出て、表通りへ出る。まだまだ人は多く、ネオンも煌めいていた。その表口に立つ赤髪の少女、苺。電話で結希にも伝え、今日は宮葉家に泊まることになった。
「それじゃあ帰ろうか」
「うん」
街灯で照らされる明るい道。おそらく自然に囲まれて育った苺にとっては今でも異世界なのかもしれない。辺りを見回し、光るライトに目を輝かせる。とても無邪気な姿がそこにあった。
「あ、そう言えば!」
京安市中心部の都会さに楽しくなって先に歩いていた苺がクルッと振り返り、悠馬たちの歩きを止めた。
「まだあなたの名前聞いてなかったね」
視線を真っ直ぐ真菜に注ぎ、足音を立てて近寄る。真菜も思い出した表情を浮かべてから笑顔になった。
「そうだね。私は白花真菜です。宮葉君とは中学校からの同級生で……」
とそこまで言いかけたところで真菜は話すのをやめた。理由としては、本当に目の前に苺の顔があったからだ。綺麗な瞳が真菜の目に映し出される。
「あ、あの……」
「……なるほどね~。あ、ごめんね! よろしくね真菜ちゃん」
「あ、うん、こちらこそ」
苺に振り回されながらも、真菜は優しく首肯した。それにまた苺は笑顔になって楽しそうに町を歩く。この元気な性格は昔と何ら変わっていない。
その後、真菜と別れ、苺と帰り道を歩いていた。街灯に時折照らされる苺の肌が更に白く見え、幻想的に見えた。
(それにしても随分と綺麗になったな~……)
元々、幼い頃から可愛い少女ではあった。しかし、こうやって久しぶりに出会ってみると少しドキッとする。最後に出会ったのもおそらく小学の時。数年で人はここまで変わるものだと不思議にも感じる。
「しっかし悠馬君も変わったよね~」
そんなことを考えると代弁するかのように苺が口に出した。悠馬と全くお互いに関して同じことを考えていたのだ。
「そんなに変わったか?」
「う~ん。見た目は結構面影あるけど……何か変わったね」
「別にどこも変わってないけどな」
「クラスの女子と普通に会話してるとか」
「ふぇ!?」
想定外の発言に悠馬は情けない声を出してたじろいだ。その声に一瞬驚くも苺はまたクスクスと笑いだして話を続ける。
「基本的に仲の良い男子としか喋らないもんね。私と話すようになってくれるまでも結構時間かかったし」
「そうか? それほどでもなかったような……」
「それほどだよ! まぁ、仲良くなったころに夏休みが終わって悠馬君が帰ってしまったわけだけど」
「そう言えばそうだったな~。あれも随分と前の話だよな」
そう。それは悠馬が丁度小学生の時だった――。
☆ ☆ ☆
ミンミンゼミの鳴き声が耳に響き渡る。夏の日差しは容赦なく大地に降り注ぐ。けれども山から流れる風が暑さを最小限に抑えていた。
服は汗でびしょびしょに濡れていた。というのも、背中にはリュックがあり、肩からは着替えの服がたくさん詰まっているバッグを持っていたので無理もなかった。疲労の表情を思い切り出しながらも、悠馬は高低差の激しい橋森の道を家族と歩いていた。当時はまだ父と母もいて、拓斗も無邪気な少年。結希はお母さんと手を繋いでヨロヨロと歩いていた。
「お父さ~ん! あとどれくらい?」
息を切らしながら拓斗が声を振り絞る。それに軽く父は「あと少しだぞ」と答えた。それを聞いてまたやる気を出す拓斗を見て、母は微笑んでいた。
宮葉家には最初から車というものがない。父も母も免許は取っていたが、車を買うにまでは至らず、仕事にも電車で通勤していた。もちろん悠馬、拓斗、結希も徒歩で小学校、保育園に通っていたので、あまり車に重要性を感じていなかったのだ。
橋森という地域はとにかく自然に囲まれた地である。バスも電車も本数が限られている。辺りは田や畑ばかりで、唯一営業しているスーパーマーケットを除けば緑しかないと言っても過言ではない。時々すれ違う人も老人ばかりで、いかにも農業の村という感じがする。
出会う人たちに挨拶をしながら進んでいくと、昔ながらの木造の家が姿を現した。それが目的地である祖父の家だった。
「おし、お疲れ様悠馬、拓斗」
「やっと着いた~」
拓斗が声を上げると家の中から祖父が姿を現した。腰は少し曲がって白髪、しかし何よりも穏やかな笑顔が特徴的だった。
家に上がって悠馬と拓斗は寝転がって絵本を読んでいた。こんなに自然に囲まれた地なのだから外で遊べば良いのだが、ずっと歩いて疲れている状態ではそんな気分にはなれなかった。
その上、橋森は典型的な少子高齢化。会う人達も老人が多く、同年代の人など一切見かけなかった。
「悠馬、拓斗。ずっと絵本読んでないで外を歩いてきたらどうだ?」
そんなことを考えると察知したかのように父が言う。悠馬と拓斗は揃って嫌そうな表情を父に向けた。すると祖父が駄菓子を食べながら悠馬たちに視線を移した。
「橋森も夏は暑いがもっと奥に行けば涼しいぞ。それにちょっと行ったところに……悠馬と同級生かな? の子がいるから遊んで来たらどうだい?」
「あ~、佐々木のところの娘さんか。優しい子だしそれも良いんじゃないか?」
何やら勝手に話を進めているが、橋森には悠馬と同級生の女の子がいるらしい。口調を聞く限り、その娘の父親は悠馬の父と知り合いのようだ。
「……どうする拓斗?」
「絵本ずっとも暇だもんね……」
悠馬と拓斗は立ち上がり玄関の方へと歩いて行った。するとヨタヨタと結希もついて来たので悠馬は手を繋ぎ、一緒に外に出た。相変わらず蝉は鳴いている。
☆
しばらく進むと畑すらなくなり、完全に林となった。祖父の言うとおり、木が日の光を遮断して断然涼しく感じる。木漏れ日がまた綺麗で趣があった。
「本当にこれで道は合ってるのかな?」
拓斗が辺りをキョロキョロしながら言う。それは悠馬も同じ風に感じていた。父の言う道を歩いているわけだが、本当に木ばかりで家など全く見当たらない。この奥に人が住んでいるとは到底思えなかった。
それでも悠馬たちは歩き続ける。別にその娘と出会わなくても、この自然だけで十分楽しめているから。拓斗と結希とこうして歩いているのがただ楽しかったから。
「ん? 悠馬お兄ちゃん、あれ見てよ」
拓斗が目を細めながら奥の方を指さす。その先にはそれほど大きくもない水車があり、その真横には田が広がっている。そしてその水車から少し離れたところに祖父の家と同じような作りの家が一つ。
「もしかしてここが……」
「おや、お客さん?」
と、拓斗と話すと後ろから声がかけられた。不意すぎて驚いた悠馬と拓斗は意味もなくその人にファイティングポーズを取ってしまった。
「あ、いや、そんなに警戒しなくても……。ごめんよ、驚かせて」
その男性は笑顔で悠馬たちを宥める。見た目は四十代くらいだが、とても活気があって若さを感じた。
「しかし珍しいな。橋森には子供なんて僕の娘くらいしかいないのに……。僕たち名前は?」
「えと……宮葉悠馬です。こっちが弟の拓斗で、こっちが妹の結希」
「宮葉? あ~、君たち涼一の子供か!」
名乗った途端にその男性は嬉しそうな表情になり、悠馬たちの前に出た。「こっちにおいで」と催促し、悠馬たちはついて行った。おそらくこの人が父の言う佐々木さんだ。それが何となく理解出来たのもあって躊躇いはなかった。
その男性が家に上がるように言うので、悠馬たちはお辞儀してから入らせてもらった。風が気持ちよく吹き抜ける構造で、いかにも森の家という感じがする。
「ま、ここで座っててよ。せっかく来たんだし、ゆっくりして行きな」
男性はリビングの方へ姿を消す。何かを見る音が部屋に木霊する。風で揺れる木々の音がまた夏らしさを感じさせた。
「誰?」
家族同士で話し合うことも出来ずにいるとリビングから一人の女の子が姿を現した。年は悠馬と同じくらいで、赤っぽい髪の毛が特徴的だった。澄んだ瞳は時折射す光でキラキラと輝いている。
これが悠馬が生きてきた中で一番冒険した夏の始まりだった――。